学ぶ順序
投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 7月21日(土)07時11分52秒 返信・引用
学ぶ順序については、我々日本人の方が、勝手に、順番を決めて、体系化したいというようなところがあるようです。
順番が決まっていた方が安心する。
戴氏の伝統では、順番よりも、p13~p17に書かれているような、いかに学ぶかの方が重要なのでしょう。
王先生のところでも、丹田功や虎歩との関係がどの技法になっても、振り返っていくし、それが究極の学習方法でもあると思います。
段階的に次々と新しいものを学んで行く方法よりも、循環的螺旋状に上の段階新しい段階にもぼって行きながらも、丹田功や虎歩に戻りながら、成長して行く。
戴氏の伝統は、そこにあると感じます。
Re: 学ぶ順序
投稿者:k 投稿日:2012年 7月21日(土)10時17分19秒 返信・引用
> No.84[元記事へ]
うさぎさんへ
> 段階的に次々と新しいものを学んで行く方法よりも、循環的螺旋状に上の段階新しい段階にもぼって行きながらも、丹田功や虎歩に戻りながら、成長して行く。
> 戴氏の伝統は、そこにあると感じます。
そう思います。それでこそ以下の「授拳規矩」が意味を持ってくるのでしょう
人と人の心が出会う。戴家の拳を学ぶとは、人と人の心が交わり、感化するということであって、金で買えるものではない。人が金持ちか貧乏であるかなどは関係ない。人の交わりを大切にしないものには教えることはできない。師と弟子は、父子の如く長い年月をかけて絆を深めていく。言葉できちんと伝え、技法をしっかりと伝える。巧妙になるのであって、絶対の方法などない。あなたがわかり、私もわかる。慣れ、なじみ、和むことを貴しとし、コツコツと努力を続けることを大切だとする。道は長く遠い。年月をかけて人の心はできていく。人間が万物の霊長であるのは、学ぶから知るのであって、生まれながらにして知っているのではないからである。
スグ上に書いてあるのでコピベーが気が引けるのですが、一応張っておきます。
投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 7月21日(土)07時11分52秒 返信・引用
学ぶ順序については、我々日本人の方が、勝手に、順番を決めて、体系化したいというようなところがあるようです。
順番が決まっていた方が安心する。
戴氏の伝統では、順番よりも、p13~p17に書かれているような、いかに学ぶかの方が重要なのでしょう。
王先生のところでも、丹田功や虎歩との関係がどの技法になっても、振り返っていくし、それが究極の学習方法でもあると思います。
段階的に次々と新しいものを学んで行く方法よりも、循環的螺旋状に上の段階新しい段階にもぼって行きながらも、丹田功や虎歩に戻りながら、成長して行く。
戴氏の伝統は、そこにあると感じます。
Re: 学ぶ順序
投稿者:k 投稿日:2012年 7月21日(土)10時17分19秒 返信・引用
> No.84[元記事へ]
うさぎさんへ
> 段階的に次々と新しいものを学んで行く方法よりも、循環的螺旋状に上の段階新しい段階にもぼって行きながらも、丹田功や虎歩に戻りながら、成長して行く。
> 戴氏の伝統は、そこにあると感じます。
そう思います。それでこそ以下の「授拳規矩」が意味を持ってくるのでしょう
人と人の心が出会う。戴家の拳を学ぶとは、人と人の心が交わり、感化するということであって、金で買えるものではない。人が金持ちか貧乏であるかなどは関係ない。人の交わりを大切にしないものには教えることはできない。師と弟子は、父子の如く長い年月をかけて絆を深めていく。言葉できちんと伝え、技法をしっかりと伝える。巧妙になるのであって、絶対の方法などない。あなたがわかり、私もわかる。慣れ、なじみ、和むことを貴しとし、コツコツと努力を続けることを大切だとする。道は長く遠い。年月をかけて人の心はできていく。人間が万物の霊長であるのは、学ぶから知るのであって、生まれながらにして知っているのではないからである。
スグ上に書いてあるのでコピベーが気が引けるのですが、一応張っておきます。
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