内なるもの投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 3月16日(土)07時20分37秒 |
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戴氏心意拳の練拳は、内なるものを作っていく作業だと思います。 「重神不重形 重内不重外、以意領気以気催勁、丹田一動渾身動、内勁一発勁無窮」(戴氏心意六合拳 技撃精要」(P42) 初期に、形という容れ物を作ったら、あとは「内なるもの」を作っていく。内なるものができていけば、様々な変化として出てくる。 土佐の川えびさん、摩脛摩勁は、「戴氏心意拳目録」には、示されていません。「書かなかった」、あるいは「ない」「隠していた」のではありません。目録に表していったものは ほんの一部の現象でしかないのです。目録に書かれていない技法は他にもあるし、「内なるもの」からは、様々なものが溢れでてくる。 戴氏の教授を受けるとき、これはこう使える、こうも使える・・・・と様々な技法変化が出てくることに驚かれることがあると思います。戴氏の門人たちは、一つ一つの技法変化を 次はどうして、次はどうすると学んでいったわけではないのです。私もそうでしたし、王映海師父も戴魁師爺もまたそうだったはずです。陰陽、動静、剛柔をわきまえた「内なるもの」が作られていけば、千変万化していくことができるのです。 戴氏心意拳を学び始めた頃、私が「この技法名はなんですか」とか「どう使うんですか」とか「拳譜はないのですか」とかしきりに聞くものだから、師父は「形に現れたものは、本物ではない。本当のものは内側にあるのだ」と自分の腹を軽く叩くような仕草をされながら、優しい眼差しで私を諭してくださったのを今でも鮮明に思い出します。 本や文字の役割は、人に伝えるために「整理する」ということなのだと思います。私たち戴氏心意拳を学ぶ者達は、日々の鍛錬の中で、本や言葉に表された内奥にあるものを掴んでいく作業をしていかなければならないのだと思います。 |
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