心意 投稿者:うさぎ 投稿日:2012年10月20日(土)18時21分59秒 返信・引用
kさん 心意の心は日本の「こころ」とは、少し違います。むしろ、想いとかイメージとかいった静的なものですね。意はその想いにこうしよう、ああしようといった方向性が加わる。私なりの表現ですが。そういう意味では、心が右脳的で、意は言語との関連が強いですから、左脳的だと言えるかもしれません。脳の話をすると、人間の脳の奥の部分は原始脳ですよね。生きるための最低限の呼吸をするとか、心臓を動かすとか。人間的な高度な思考をするのは、むしろ脳の外側の部分です。本を読むとか、武術をするというのは、脳の外側の部分でしょうけれども、武術で身につけたものというのは、脳の奥の部分に記録されると思うんです。だから、忘れない。武術の動作が自然になっていくのは、頭で覚えたものでやっているうちは、不自然なものです。息をする、歩くと行った。自然にできるもの、忘れても自然にできるものって脳の奥深くにあるものだと思うのです。私の年になると、人の名前が、あれ?出てこないってことがよくある。しばらく良く考えると出てくるんですけど、しばらくあってない人だったりするとちょっと出てこないことってよくある。しばらくあっていない人は、脳のちょっと奥にしまいこんでいるんだろうなって思うんです。その引き出しがどかなあなんて探しているのに時間がかかったりします。息するのは、心意とはほとんど関係ない。もちろん不安になったら、息が浅くなったり、リラックスすると、呼吸が豊かになったりという関連性はある。歩くって、生まれて一年ぐらいかけてやっと身につけて行くわけですが、ぼけても、歩くことは忘れない。脳のかなり奥まで記録された行動だと思うのです。ローレンツが「人間は本能の壊れた動物だ」といったそうですが、人間が本能を獲得していくためには、多くの時間や努力、言語といったものが必要なのだと思います。心意拳が動物の形を真似て学んで行くものは、その動物が持っている本能を、人間が再構築して行く営みといっていいのかもしれません。おっとまた話がずれてしまってまた戻れなくなってしまいました。。。。。。。
武術を学ぶのは、言語や身体を使って脳の深層の部分を開拓して行く営みなのかもしれません。
Re: 心意 投稿者:k 投稿日:2012年10月20日(土)21時32分30秒 返信・引用 編集済
うさぎさんへ
> ローレンツが「人間は本能の壊れた動物だ」といったそうです
ウィキペディアに「ローレンツの最も大きな功績は、動物行動の観察という当時は軽視されていた古典的な手法を厳密に用い、科学の名に値するものに仕立てたことである。」と言う記述があります。
記憶違いかもしれませんが、狼の決闘で片方が瀕死の状態になると、勝った方は留めをささない という事実を観察し、「牙を持っているために本能的に同種の相手を殺すことができない」と結論付け、「自身の牙を放棄し、武器を選んだ動物がこの地球上に一種類だけいる。それは、人間である。これが人間が他の人間を殺すことができる唯一の動物である理由である」と推論した学者でしょうか
> 武術を学ぶのは、言語や身体を使って脳の深層の部分を開拓して行く営みなのかもしれません。
「本能的に同種の相手を殺すことができない」という狼の崇高さに少しでも近づけるといいのですが。まぁ、私の場合は夢のまた夢 なのですが(^_^;)。
本能を学ぶ 投稿者:うさぎ 投稿日:2012年10月22日(月)23時58分22秒 返信・引用
人が「本能が壊れた動物である」なら、動物たちが本能として持っていることをひとはまなぶことによってしかえることはできない。「人是学而知之、不是生而自知」(人は学ぶから知るのであってもともと知っているわではない。)し、学んで本能を得ていくからこそ、(「人是万物之霊」)人は万物の霊長なのであろう。戴氏は、動物の本能的な動きから、武術の動きを学ぶ。学ぶことによって人は自由になり、自然になっていく。
kさん 心意の心は日本の「こころ」とは、少し違います。むしろ、想いとかイメージとかいった静的なものですね。意はその想いにこうしよう、ああしようといった方向性が加わる。私なりの表現ですが。そういう意味では、心が右脳的で、意は言語との関連が強いですから、左脳的だと言えるかもしれません。脳の話をすると、人間の脳の奥の部分は原始脳ですよね。生きるための最低限の呼吸をするとか、心臓を動かすとか。人間的な高度な思考をするのは、むしろ脳の外側の部分です。本を読むとか、武術をするというのは、脳の外側の部分でしょうけれども、武術で身につけたものというのは、脳の奥の部分に記録されると思うんです。だから、忘れない。武術の動作が自然になっていくのは、頭で覚えたものでやっているうちは、不自然なものです。息をする、歩くと行った。自然にできるもの、忘れても自然にできるものって脳の奥深くにあるものだと思うのです。私の年になると、人の名前が、あれ?出てこないってことがよくある。しばらく良く考えると出てくるんですけど、しばらくあってない人だったりするとちょっと出てこないことってよくある。しばらくあっていない人は、脳のちょっと奥にしまいこんでいるんだろうなって思うんです。その引き出しがどかなあなんて探しているのに時間がかかったりします。息するのは、心意とはほとんど関係ない。もちろん不安になったら、息が浅くなったり、リラックスすると、呼吸が豊かになったりという関連性はある。歩くって、生まれて一年ぐらいかけてやっと身につけて行くわけですが、ぼけても、歩くことは忘れない。脳のかなり奥まで記録された行動だと思うのです。ローレンツが「人間は本能の壊れた動物だ」といったそうですが、人間が本能を獲得していくためには、多くの時間や努力、言語といったものが必要なのだと思います。心意拳が動物の形を真似て学んで行くものは、その動物が持っている本能を、人間が再構築して行く営みといっていいのかもしれません。おっとまた話がずれてしまってまた戻れなくなってしまいました。。。。。。。
武術を学ぶのは、言語や身体を使って脳の深層の部分を開拓して行く営みなのかもしれません。
Re: 心意 投稿者:k 投稿日:2012年10月20日(土)21時32分30秒 返信・引用 編集済
うさぎさんへ
> ローレンツが「人間は本能の壊れた動物だ」といったそうです
ウィキペディアに「ローレンツの最も大きな功績は、動物行動の観察という当時は軽視されていた古典的な手法を厳密に用い、科学の名に値するものに仕立てたことである。」と言う記述があります。
記憶違いかもしれませんが、狼の決闘で片方が瀕死の状態になると、勝った方は留めをささない という事実を観察し、「牙を持っているために本能的に同種の相手を殺すことができない」と結論付け、「自身の牙を放棄し、武器を選んだ動物がこの地球上に一種類だけいる。それは、人間である。これが人間が他の人間を殺すことができる唯一の動物である理由である」と推論した学者でしょうか
> 武術を学ぶのは、言語や身体を使って脳の深層の部分を開拓して行く営みなのかもしれません。
「本能的に同種の相手を殺すことができない」という狼の崇高さに少しでも近づけるといいのですが。まぁ、私の場合は夢のまた夢 なのですが(^_^;)。
本能を学ぶ 投稿者:うさぎ 投稿日:2012年10月22日(月)23時58分22秒 返信・引用
人が「本能が壊れた動物である」なら、動物たちが本能として持っていることをひとはまなぶことによってしかえることはできない。「人是学而知之、不是生而自知」(人は学ぶから知るのであってもともと知っているわではない。)し、学んで本能を得ていくからこそ、(「人是万物之霊」)人は万物の霊長なのであろう。戴氏は、動物の本能的な動きから、武術の動きを学ぶ。学ぶことによって人は自由になり、自然になっていく。
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