砂蜥蜴と空鴉

ひきこもり はじめました

♯121 布を愛した男

2006年06月21日 | ログ
誰からも愛されない男がいた。
彼は布を愛した。
悲しい夜。寂しい夜。
人から与えられぬ温もりを与えてくれる掛け布を愛した。

彼は独りであったが孤独ではなかった。
彼の夜には布があった。
身体を包んでくれる布を彼は心から愛した。

愛するがゆえか。
彼は布を自ら織るようになり、すぐに街で評判の職人となった。
布は人の温もりを知る恋人達にも評判であったし
彼のように布以外の温もりを知らない者達にも評判であった。

彼の店は大きくなり、十分な財産を築き上げた。
それでも彼は誰からも愛されなかった。
あるいは愛されていたのかもしれない。
だが少なくとも男は布以外の温もりを知らずに生き続けた。

長い年月が過ぎた。
子が生まれ、孫が生まれる程に時が過ぎた。

彼は死んだ。
彼の布は多くの人々に愛されたが
彼自身は誰からも愛されずに死んだ。

死に顔は安らかだった。
彼は布に包まれて死んだのだから。

彼の遺書に従い店の布は全て無償で人々に配られた。
遺書に記された言葉は一行であった。

願わくば誰にも愛されぬ者がこの布によって愛されんことを。