全く、真面目に生きてもロクなことがない。
私はとある証券会社に勤める会社員。
もう40を過ぎ50に手が届く所まで来ているのに何のポストにもついていないヒラだ。
大手という事もあり給料は決して悪くないし結婚もしている。
同僚からの評価も真面目で通っている。
だが悲しいかな。
私の心はちっとも満たされない。
昔から真面目が取り柄と言われて生きてきた。
その生き方自体は正しかったと思うがどうにもこうにも面白みがない。
その原因はやはり証券会社という環境のせいだろう。
かつての同僚は30代で独立し投資を始めたヤツも多い。
そして時代の流れか連中の多くが成功を収めている。
毎日残業を繰り返しやっと得られる給料を今や少々知恵のついた程度の若造までが5分の売買で稼ぎ出す。
これは不条理というものだろう。
そんな事を考え歩いていた時だ。
何やら見知らぬ男が近づいてきた。
「こんにちは。遠山さんですね」
「いかにも遠山だが君は誰だね」
男は不思議な笑いを浮かべて食事をご馳走したいと申し出た。
普段の私ならば断る所だが、世の不条理に憤っていた為だろう。
久しぶりに限度を忘れて飲みたくなった。
二つ返事で承知する。
男が入ったのはさる高級なレストランだった。
私も部長のお供で一度入った事があったが味も値段も一流の店。
居酒屋辺りに入るものだと考えていた私はすっかり驚いてしまった。
「おい、いいのかい?」
「何がですか?」
「いや値段だよ。私は持ち合わせが少ないのだ。後で割り勘にしようと言われても・・・・」
男は笑って財布を出した。
その厚みの何と分厚いこと!!
「ご安心下さい。今日は完全に私の奢りですよ」
「むぅ。確かに値段の心配はなさそうだがそうなると別の疑問が浮かぶことになる」
「なぜ、私が見ず知らずの貴方をこんな豪勢な食事に誘うのか、でしょう?」
頷く。
風貌は私より年下に見えるし生来の金持ちが持っている雰囲気もない。
そのくせ財布の中身はぎっしりと来ている。
「ははぁ。我が社の内情を探るスパイだな。しかし残念だが私はしがないヒラでね。教えるようなことはない」
「今の時点ではそうでしょう。しかし一週間後の人事で貴方は見事、係長へと昇進します」
「何だと!?」
「驚かれるのも無理はございません。しかし事実です」
信じられない。
次の人事で係長になる候補の一人に私がいたのは事実だ。
しかし対抗馬の風間君は若手のホープで部長のお気に入り。
いつものように私の昇進は流れると思っていたのだが・・・・。
「人事部は貴方の真面目で誠実な人柄を買ったのですよ。
風間氏は確かに優秀ですが若さゆえの無茶無謀のきらいがある、とね」
一体この男は何者だろうか。
人事の人間がこんな事を事前に漏らす筈もなく、さりとて悪戯にしては我が社の事情を知りすぎている。
「あぁ失礼。驚かせてしまいましたか」
「それは当然のことだろう。君の正体も目的も、私には皆目見当がつかないよ」
男は少しの間思案した後にとっておきの話をするとばかりに声を低くした。
「そうですね。本当は喋るつもりはありませんでしたが、何しろ貴方は私を儲けさせてくれた張本人だ。お教えしましょう」
「儲けさせただって?私がですか?」
「はい。この財布に入ったお金は全て貴方の株の売買で稼いだ金なのですよ」
語られたのは摩訶不思議な内容だった。
現代では会社に投資をする為の株式市場がある。
そして同じように秘密裏にではあるが人間の株というものが売買されている世界があるというのだ。
「こちらを御覧下さい」
彼はノートパソコンを開きそのディスプレイを私に見せた。
膨大な数の人間の名前。
そして横に記された無数の個人情報とその「株価」
「まさか・・・こんな・・・・」
「私は1ヶ月前に貴方の株を購入しました。来期の人事で貴方が昇進する可能性に期待してね。
確かに貴方はぱっとしない人間でしたがその分株価も割安でした。
実は私、風間氏とは学生時代の知り合いでしてね。
彼は優秀な人間でしたがそれ以上に隙も大きいということを知っていた。
そこで貴方に投資して見事、大成功を収めたという訳です」
唸るしかない。
私の株価を確認すると確かに先月までと比べて2倍近く上昇していた。
「一体誰がこんなものを・・・・」
「私もよくは知りませんが最初に始めたのはとある証券会社の人事部長だったらしいですよ。
冗談のつもりで知り合いの人事部長達に話したらアイディアが受けて
刺激に飢えた金持ち連中も話に乗った。
それで大手と言われる証券会社の社員全ての個人情報が開示され
本人達の見知らぬ所で「自分の値段」がつけられるという・・・・いやはや怖い話ですな」
詳細と書かれた場所をクリックする。
学歴は元より家族構成。誕生月日。血液型から所有する資産と住所まで
あらゆる情報が掲載されている。
性格の項目を見て呻く。
真面目だが平凡。誠実ではあるが決断力に欠ける。
経験に基づいた判断は可能だが突発的な事態に弱く大局的な視野を持たない。
全て自分でも自覚していたことだ。
自覚はしていたが―――「株式情報」と言う冷徹なる観察眼によって自分という人間がどれほど小さいのか思い知らされた。
「そう落ち込まないで下さい遠山さん。
ご自身の評価が気に入らないとは思いますが貴方より酷い人なんて沢山いますよ。
むしろ貴方ほどの「優良株」は珍しい。
何しろ欠点らしい欠点がありませんからね。
突発的な下落の心配がない。その点で言えば風間氏はダメですね。
彼の「噂、風説」の欄をごらんなさい。複数の女性に手を出している。また強気な言動で敵も多い。
こういう人はダメですね。株価が上昇しても常にスキャンダルなどの心配をしなくちゃいけない。
貴方の株価が安かったのは単純にそう、「運がない」と思われたんでしょうな。
投資家の多くは、験を担ぎますから」
「験かつぎ、ですか」
「えぇ。とりたて欠点がないにも関わらず貴方は昇進をしていない。
普通に考えれば「だからこそ今度は昇進する」と考えるものですが不思議なものですね。
そうすると今度は「どうせ今度も昇進はしないだろう」と投資家達は考える。
貴方の地位が相応な、適正な位置ではないと知りながらね」
「どうして貴方は私に投資を?
風間君に管理職として問題があるとしてもだ。
私が彼より能力のない人間だったらやはり係長になるのは彼だっただろう」
「えぇ。ですから失礼を承知で数週間、貴方を観察させて頂きました」
「・・・・・・」
絶句だ。
まさかという気分。恐らく株を購入する一ヶ月前以前の事なのだろうが別段不審な気配など感じなかった。
自分が鈍いのか。それとも目の前の男がよほどの「凄腕」なのか。
「そんなに驚かないで下さい。
観察と言いましたが私だって別にストーカーのように張り付いていた訳ではないですよ。
ただ貴方の仕事ぶりを観察したり同僚の方に直接貴方のことを聞いてみたり。
まぁ、失礼なことをしたと思っています。どうかお許し下さい」
「・・・・・・・はぁ。分かりました。正直なところ私は怒っていますが
別にここで怒鳴りつけても私が得をするものでもない」
「ありがとうございます」
「しかし、代わりといっては何だが・・・・私も貴方の参加している「人間株式市場」参加してみたい」
「・・・・・・・・・」
「不躾ではあるが契約方法、あるいは参加方法を教えて貰えないだろうか?
もちろん秘密は守る。このことは誰にも言ったりはしない」
男は先程とは違い長く、そして深く考えこむ。
私は真剣な眼差しで彼を見つめる。
15分ほどの時間が流れた。彼は長く息をはいた。
「分かりました。実を言えば私も今の貴方と同じように自分に賭けた人間と話したことで
この人間株式の存在を知りましてね、
他人事とは思えない。私自身も貴方に感謝しているし探偵まがいの行動を恥じてもいます。
いいでしょう。遠山さんに人間株式の参加方法をお教えしましょう」
「ありかどうございます」
男は一枚の書類を差し出した。
誓約書、だろう。名前の欄には「影山 優」という名前が記載されていた。
「これが参加証です。
たとえ人間株式の存在を知っていてもこれがなければ取引に参加できません。
発行費用は一人につき1000万円。ただしこの参加証は譲渡が可能です。
遠山さんにお譲りしますよ」
「よろしいんですか!?」
「えぇ。私は今回の売買で十分に稼ぐことが出来ました。
何しろ家から車まで全てを売って貴方に投資しましたからね」
「家まで・・・・・」
「大勝負でした。
負けることは出来なかった。だから念には念を入れて貴方の身辺を調査しました。
パソコンに入力されてる情報だけでは心もとなかったものですから」
「そして見事勝利された訳ですね」
「全て貴方のおかげですよ」
心からの感謝の微笑み。
「参加証の被譲渡者名に自分の名前を書き記し黒封筒でご自分の会社の人事部長宛に送って下さい。
一週間ほどで自宅に自分の参加証が届くはずです」
「はい」
「同じ封筒に詳しい取引の仕方や自分のIDやパスワードが入ってますので無くさないように。
それから・・・・投資金額は最低100万以上と高額です。慎重に運用して下さい」
「100万・・・・・」
「参加者の大半がゲーム感覚のお金持ちですから。
私や貴方のように一攫千金を狙う人間は少数なんですよ」
「なるほど・・・・貯金を解約しないとダメだな」
どさりとテーブルの上にあの分厚い財布が投げ出された。
「餞別です。ご自由にお使い下さい」
「なっ・・・・いいんですか?こんな大金を」
「貴方にはこの何十倍も儲けさせてもらいましたから。
それに経験者からの忠告です。
この人間株式は通常の株式投資のように参加してはいけません。
もっと刹那的な、マネーゲームに参加するような気分で望まなければ。
自分の金を使うとき、人は散々迷います。
先程慎重にと言った言葉と矛盾するかもしれませんが
人は身銭をきるのに臆病です。そして臆病は性質の悪い不運を呼び込みます。
使うのは振って沸いたような金を。現実的じゃない金を使うべきです」
彼は笑って財布を渡し私はそれを受け取った。
別れ際に彼は言った。
「ご武運を」
私はありがとうと頭を下げてから家への道を歩き始めた。
誰か冴えない、しかし真面目な男と知り合いではなかったか、それを思い出しながら。