Dandelion~美容師の生活~

ヒトのために地球のために自分ができること

映画*おおかみこどもの雨と雪

2019-07-02 21:35:27 | かたりごと

細田守監督の長編オリジナル作品第2作目の作品。

長雨だし、ひまつぶしにたくさんのDVDを借りて来たひとつ。
何回も観ているけど、改めて観るといろんなことを思います。

昨日はまた別の細田監督の作品を観たんだけど、アニメだけど、こどもより大人が観て、学ぶというか、いろいろなことを考えさせられる、そんでもって、大人がこどものことを振り返ったりするような、そんな内容だなって思いました。

この「おおかみ~」は、なんかの雑誌で細田監督が作品について語っているのを読んだことがあったんです。
じぶんにこどもが生まれて、そのことをヒントに感じたことを作品にしているということ。
そのときは、優しいパパさんのイメージが、こども想いのパパさんの感じに思ったのをいまでも覚えています。

ただ、この物語では、「オオカミ人間」という特殊な、本来ではありえない主題にしているけど、親やじぶんが「ふつー」とはすこしちがう環境で育った子や、そのような配偶者を持ったときの社会からの目、こどもは大人とは違うけど、しっかりと何かを感じて、生きようとしているということを知れるような気がしました。

あとは、どんなことがあっても、生きることに一所懸命であること、笑うこと、こどもをたいせつに「だいじょうぶ」と言い合える関係は、ステキだなって思います。

最初は「都会モンは・・・」や「田舎ぐらしを流行としか・・・」とか地元のながく暮らしている人は色眼鏡で見てしまうけど、主(ぬし)が助け始めると、いろいろ変わるんだなって。
そして、畑仕事している主(ぬし)は、多くは語らないけど、ほんとうの事しか言わない。
正しいことしか言わない。

この季節になると、思い出すんです。
若いとき、ひとりで「リアル・ウル〇ン滞在記」をやったこと笑。
北の大地のにんげんもおなじでした。

不器用だけど、ちょっとこわいなって思ったときもあったけど、話題がすくない土地だから変わり者だとわたしのことをウワサの肴にしてたということも、なんとなく知っていました。

けどね、たくさん食べて、たくさん笑って、「いつでも帰っておいで」って言ってくれるのは、日本の自然がいっぱいある人の、土地柄なのかなって思います。

まだまだ未経験の分野である「子育てのこと」をこのように教えてくれる映画はすごくすきです。


主題歌を歌っている人の声も、歌も、すき。⇒こちらのCDもおススメ♪



あんしんということ。

2019-06-15 18:45:18 | かたりごと

先日、以前かかりつけだった病院へ行ってきました。

まだ美容室でしっかりはたらいてたとき、からだの不調を訴えてもビタミン剤を打って店に立たせようとする店長で、もちろんじぶんがいないと成り立たないような店でもあったから、仕方ないにせよ、じぶんの味方になる病院、医師を見つけないといけないなと感じ、見つけた病院。

当時は内科だけでなく、婦人科も併設していたから、本当に「女性のための病院」として、完全予約制だけどムリして受診したものです。

ちょうど30歳手前にその病院を見つけて、カラダの変化もあるときで、内科・婦人科・心療内科すべてを診てもらって、どの先生と話しても親身に話を聞いてくれて、小さなわたしの動作や言葉にも気にかけてくれて、本当に安心できる病院で、いろいろあって行きにくい心境にもなっていたんだけど、もう一度じぶんのかかりつけにしようと行ってきました。

30歳はある意味、学生を卒業して社会を出て10年。
ある程度、会社でも社会的にも「自立」していたい年頃。
しかし、当時のわたしはそこまでに至っていませんでした。

そして、焦っていました。

じぶんに「その力量はある」と思っていても、社会に認めてもらうためには、じぶんの実力だけではなく、「人とのつながり」がいちばんたいせつで、とくに「独立」「フリーランス」といったはたらき方になると、なお一層、そのことが大きく影響してきます。

その縁にもめぐまれても、いつもその一歩先に行くことができず、コケていたんです。

いろんなことがうまくいきそうで、ビックリするほど、その相乗効果を考えていくと眠れなくなっていったんです。
寝ようと布団の中に入っても、リラックスするとまたいいアイデアが浮かんできてしまって、メモらないと忘れてしまう。
どんどん楽しくなって、いつの間にか3日ほど寝てないということになり、仕事に影響が出てきたのがわかったんです。

じぶんは正しく処理しているつもりができていない。
どんなに注意して、心がけてもまた失敗している。
けど、じぶんのしごとのアイデアはどんどん膨らんでいく。

それではじめてそこの「心療内科」というところにお世話になりました。
あ、もう少し若い時に大学病院のクリニック的なところには行ったところあったけど、ぜんぜんちがった。

100問ちかいさまざまな5択問題を解かされて、分析してくれて、クスリを処方されました。
抵抗はあったけど、それで「あんしん」をすごくしたんです。

専門分野の「医師」という先生に、サポートしてくれてる感があることが。

もう記憶は薄れてしまっているけど、そのとき「安定剤」と「睡眠導入剤」をいただいたと思っています。
しかし、アイデアがどんどん膨らんでいくことは、収まりませんでした。

いろんな人に会うこと、新しいことをはじめること、これからじぶんがやりたいことができるというワクワクが収まることはありませんでした。

しかし、今思ってもやっぱり眠れなかったことがすごく大きかったような気がします。


そして、わたしにとって「ある事件」が起こりました。


隠していたいような、忘れたいような・・・しかし、現実として起きてしまったこと。
どうすることもできなかった。
避けることもできなかった、大きなことでした。

だけどそのことがきっかけに、考え方を広く持てるようになった気がします。
「精神科」「心療内科」という診療科のことにちょっと不信感を持つようになったこと、いや、「病院」や「医師」に対してすごく警戒心も持ちながら、「クスリ」に対してもちゃんと考えて、意味を考えて、本当に必要かを思って摂取するようになりました。

あれ?なんでこんなことまで言っているんだろう笑。

今日言いたかったことは、先日そのかかりつけの病院の先生方にお会いして、やっぱり安心したんです。

心療内科の先生には10代のときのこと、20代のときのこと、30代にあったことを話して「精神病ではないね。」「震災の被害者か・・・」という言葉をもらって、なんかたくさんの人が東北の震災のときにおなじような思いをしたんだなって、じぶんだけではないと思えたことがとても安心したんです。

閉鎖病棟で入院したときは、わたしの話を聞いてくれるだけで、耳を傾けてくれなかった。
「いまのあなたの状態では、状況を理解することができない」と勝手に医師に判断されて、何も説明してくれなかった。
搬送されたときさえも、「ここは病院です。」ということさえ教えてくれなかったんです。
何も知らずに閉じ込められてしまって、不安にならずにいられる人がどこにいるんでしょうか。

しかし、これが社会として許されて、現実に起きていることです。

思うんです。
「精神科」「心療内科」と分類されるところは命に大きく影響はしないけど、「人の人生」という一生に影響するもので、クスリを服用することは良くも悪くも少なからず、脳や感覚に影響があるような気もするんです。

だってね、安定剤というものはやる気の元でもある「ドーパミン」や「アドレナリン」のようなものが多く出すぎているものを強制的に抑えるもので、火山の爆発に栓をするようなことになります。
だから、勝手にやめると抑えていたものが出てくるので、じぶんでもあり得ないような行動をするようになる。
それを「再発しましたね」と診断してまだ病院へ送るのが、いまの閉鎖病棟の連鎖になっています。
これをくりかえして、さらにほかのクスリを服用するようになる。
終いには「うつ状態」にされて、「落ち着きましたね」と退院となるんです。

これは、わたしが実際に体験して感じたこと。

それらは、自然に生成される人間の神経伝達物質の一つなのに、基準値という偉い人たちが勝手に決めた数値以上になると「異常」と判断するのはどうなのでしょう。

ただ、「クスリ」ができたことを完全否定することはありません。

だって、神経細胞はとてもとても小さなもので、まだまだ解明できていないことがたくさんあるもので、「ドーパミン」や「アドレナリン」などが多く生成されることで、じぶんでも制御できなる、人に迷惑をかけるような行動をすることがあることは否めないから。

そのために少しの時間、隔離する必要があって、しずかな時間を過ごすことはたいせつだとは思うから。


今回、また不眠状態になってわかったこと。

それは「精神科」や「心療内科」に通っているからといって「精神疾患者」とカンタンに病院も医師も判断をしなくなったんだなということ。

そして通院している人も、きっと「社会の被害者」だったり、「社会のために役に立ちたい」と思っている人が多いということでした。

東北の震災の影響は、今もまだ人々の心を痛めているということ。


東北で実際に被害にあった人たちは切に願ったそうです。「忘れないでほしい」と。


映画*宇宙兄弟

2019-06-06 23:56:29 | かたりごと

実写版は2012年5月5日に公開して、アニメ版は2014年8月9日に公開
原作まんがは、まだまだ絶賛増刊中!

こうゆう少年漫画ものは、少女漫画にはない人間臭さがあって、「夢」や「希望」、「友情」や「平和」とかの大人になると忘れてしまいそうなこと、けど、幼いときも大人になってからもなぜか覚えているセリフがあって、ネットでもたまに特集されてては、ちょっとふむ~とうなずいてしまったりします。

アニメはヒマをしていたときに映画館で観たことがあったので、実写版を借りてきました。

もちろん、ストーリーの流れもわかってはいるけど、ソワソワわくわくしながら、六太が土壇場で語りだす夢は、ちょっと泣いちゃいました笑。

そして、思い出したことがありました。

むかし、都会生活から離れて集団生活をしている友人がいて、遊びに行ったときのことです。
わたしは見学のようにそこにいたのですが、ちょっとモメゴトのような会議をしているときで、内容を聞きながら「違和感」をおぼえたんです。
もちろん、わたしは部外者だし、ただ聞いているだけだったのですが、友人から意見を求められビックリしました。

何かを語ったか言ったかは覚えてないけど、その都会から離れた生活をあえてしている人たちなのに、都会のルールをそこに取り入れようとしていたのはナンセンスだと思ったんです。

ライバルであってもライバルじゃないし、与えられた場所・内容・役割などをいっしょにいる空間にいる人たちと共に過ごすことをいちばんに考えることが、ライバル同士イイ戦いができる。

いがみ合ったり、消し落とそうとしたり、じぶんのことだけを押し通したり、「勝つこと」だけに集中しては、人もじぶんも、本当に持っている魅力を存分に表現することはできない。
人もじぶんも、本当のステキを出すことはできなくて、たぶん、それを見ている人たちもきっと、おもしろくない。

特別な役割を託すため、選ぶ方は相当の本気が隠されていて、「イイ戦い」を見たいんだろうなって思います。
イイ戦いをする「戦士」同士は、仲間に入ると「イイチーム」をどんどんプラスにしてくれる。
たくさんのワクワクや、じぶんや人を、未知の世界へ連れてってくれる。


こうゆう話はたまに観たくなる。「夢」や「希望」をバカにしちゃあきませんね。


小説*デッドエンドの思い出

2019-05-30 13:04:40 | かたりごと

小説『デッドエンドの思い出』よしもとばなな著

5つの短編集で、いちばん最後に掲載されているのがこの表題になっています。
よしもとばななさんというと「キッチン」が有名で、その他にもたくさん書かれているだろうけど、うちにあるのはこの短編集と親書の1冊だけ。

もちろん短編集だから、短くてさくって読めてしまうけど、ひとつひとつが印象に残って、いろいろ考えさせられて、何回も読んでると出てくる登場人物一人ひとりと出逢っている感覚があって、歳を重ねれば重ねるほど、共感も覚えます。

もう何年もうちに住んでいるものだから、たまに外に出かけてくる時もあります。
友人宅へ行き、お子さん(中学3年生女子)が勝手に読んで「おかあさん、この本エロい・・・」と言って帰ってきた。
その子には「エロい本を読んでるお姉さん認定」をされてしまったものでもあります。
きっと読んだことのある人は、どのお話だかお分かりになるでしょうが、それ以外は中学生が読んでも楽しめるものだったんですけどね笑。

5つのお話の主人公である女の子たちは、みんなどこかで傷ついてたり、人のことや物事を深く、けどさっぱりと、淡々と考える。
なんか、幼い子も主人公に出てくるけど、すてきな子たちだなって思ってしまいます。

しかし、それはもうひとつの親書のばななさん自身のことがとても影響していて、反映されていることもちょっとあることがわかったりします。

もちろんそれは、お父さんの吉本隆明さんの影響もたくさんあるだろうけど、むずかしい言葉でなく、こうやって物語として語られるとすぅっと言葉が溶け込んでくる感じがします。


たまたまネットで下調べをしたら、2019年2月16日に映画公開されていました。ちょっとびっくり!映画はこちら。小説はこっち



いま、たいせつなこと。

2019-05-22 22:48:59 | かたりごと

これは、改めて思っていることです。

いま各地で地震や思いもよらない天災、事件や事故、なぜか救急車や消防車、パトカーを多くみるようになったり・・・遠くにでも残念な報告があったり。

せっかく「令和」という新しい年がはじまって、なんかすてきな空を見るようになったり、多くの虹や前代未聞の現象があったり、日本の伝統的な儀式をリアルタイムに感じることができたのに、なんか「時代の混乱期」にいるような「変わり目」にもいるような不思議な感覚が少しあります。

わたしは、後悔ばかりをくりかえして生きてきました。

とくに、東北の震災があったときは、深く深く落ち込んで、何もできない動くことができなかったじぶんをすごく悔いているんです。
そのとき、いろいろの役目があってしごとがあって、ちゃんと向かい合うことができた人たちがある意味うらやましくとも思っています。

その当時、新しいことを始めようとしてた人たちは現場を見に行ったという。
気になる会社さんは、いまでもきちんと長い長いサポートができるようにと、支えつつ、支えられていますと報告をしている。

震災があったとき、わたしがはたらいていた会社は、リアルタイムに取引先の緊急対応の順番にビックリし、すべてがその日中にキャンセルされてしまいました。
そのキャンセルされた後続処理、やっと大きくステップできるタイミングだったので、余震が続く中、社内ではさまざまな対策がされていきました。

そして、これをいちばんにぎやかな街で、混乱も大きく感じて、空気が重くさみしくなって、このときはいちばんやっていけない、やらないと、自然となってしまった業界だったので、乗り越えるのが大変でした。

いちばん大切な友人の結婚式もあった。
半年前に報告をもらってたし、わたしも準備をしていたものがありました。

華やかで、キレイで、にぎやかで、夢を語ったり、夢を売ったり、生きがいにはなるけど、人に笑顔をふりまく、元気をあたえるものだけど、「生命維持」を考えるといちばん遠くに考えられてしまうもの。

このときばかりは、美容師の仕事をアシスタントのままに途中にしてしまってたこと、貯えをしてなかったことをすごくすごく悔いたんです。

けど、何かできないかって、日々のニュースを見ながら、ひとり考えました。

そして、なぜか出た答えが「ある歌を歌うこと」でした。
同窓会をしたばかりで、その当時のみんなで歌えないかと、便利なSNSも出たばかりで、うまく使えないかと思いました。

たくさんの人が動いていること、たくさんの人が藻掻き苦しんでること、叫んでいること、必死に何かやっているのに、何もしていないじぶんがやっぱり苦しかったんです。

ただ、かなしかった。

なぜにあり得ないことが起きているのに、「批判する」「誰かのせいにする」「見てみないフリ」を自由にしているのだろうと。

だから、この歌を届けたいって思ったんです。


わたしのくにと かのくにの ひとのいのちはおなじ
このあおいだいちのうえに おなじせいをえたのに
ひろしまのあるくにで しなければならないことは
ともるいくさの ひだねをけすことだろう



日本でうまれたからこそ、大事にできる。

そして、おなじかなしみを同時に味わっているからこそ、寄り添うことができるはずなのに、どこかじぶんの目の前の情報に流されてしまう、「ウツ」を病気として逃げをつくってしまって、それをやさしさだと勘違いしている人も多いのが本当に残念な気がします。

ある人にはココロを軽くする言葉かもしれない。
けど、どの人に言われるかによって、ものすごく傷つくこともある。
その向かい方によって、真剣さがわかって支えにもなる。

しかし、その「ウツ」を真剣に向かい合っている人には、気を付けて使わないと、刃物になるような、大きな言葉だということも知っていないといけない。

だからかもしれない。

一度ニュートラルになって、争わない武道を選んで、もう一度支える美容をきちんと取り組みたいって、いちばん女性が耀く瞬間をたいせつにしたいって思えるようになったのは。


10年前はYouTubeになかったのに、たくさんの学校で歌われるようになりました。これはお気に入りの合唱です。



TV*サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ

2019-05-18 14:11:16 | かたりごと

 


1986年5月19日(月)19:30~20:54にフジテレビ系列局で放送された単発テレビアニメ。
テレビと日本アニメーションの共同制作されたもの。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)


小学生の頃、自宅にビデオがあって何度も何度も観たもの。
オープニングの歌が大好きで、ふと観たいなと思ってももうレンタルビデオ屋へ行っても見当たらなく、たまたま調べたらYouTubeにあってビックリしました。

某スタジオが作成した映画にも、その監督のテレビアニメにも似ているような、青いロボットの映画でも観たことあるような、すべてガッチャンコされたようなアニメ。
まさかTVで放送されていたものだとは・・・。

最近のアニメは、大人が観てもたのしめるけど、むかしのアニメもやっぱり負けてませんね。

ストーリーもセリフも、展開も単純すぎて、ピュアすぎるからちょっと可笑しくなってしまうこともあるんだけど「やっぱり争いはよくない。」「話し合いをすればわかり合える」ってこと。
もしかしたら、このままだと同じようなことが起きてしまうのではないか!?なんていうことをちょっと感じてしまいました。

いま、日本では「憲法9条」についての論争がされているけど、原爆落とされた世界代表として、あとは原子力被害国としても、たいせつなような気もするんです。
あとは、たくさんの震災を経験している国でもあるし、支援することもたくさん知っている国だし、その回復力も世界で絶賛されちゃってるんだから笑。

一度、たくさんの人が日本から離れてしまったけど、また戻ってきてくれて、さらに住んでくれる人たちも増えてきたんだから、一緒になかよくする方法を探していった方がいいような気がする。

いまはお休みをしている合氣道ですが、日本人より海外の人の方が熱心に稽古して、審査も<初段は1時間/人>なんです。
なぜならば「ぼくらは日本人ではない。日本の心がベースにないから」だということを聞いたことがあります。
しかし、その海外の人にはずかしくない日本のココロを持っているか?と聞かれると、「yes」とは言い切れません。

ただ、言葉がちがくても、稽古をするとわかり合えることはできます。

来年行われるオリンピック、そして大阪万博。
日本のココロでおもてなしできるように・・・そんなことを思いました。


争わないアニメはこちら。争わない武道の演武大会は、来週5月25日武道館で行われます。くわしくはこちら



障害?のこと。

2019-04-11 14:07:05 | かたりごと

以前、わたしが閉鎖病棟にて入院したときのことをちょっとお話します。
(↓↓こちらお読みになってから、おすすみください。)
ご無沙汰ぶりです。」「空白の時間、その1」「空白の時間、その2」「空白の時間、その3

もともと幼いときから、夢見がちな少女でした。
マイクを持っておこたのテーブルの上に乗って、アイドル気分で歌ったり踊ったり。

小学校の運動会は、なぜかじぶんが主役☆と
実行委員はわたしの役割!とじぶんで決めてやっていました。
マンガや映画をみては、こんな女の子になりたいなって思ってました。

好きだった男の子や年上のお姉さんには
「独立するなんて100年早い!」と言われてたくらいです。

しかし、よく夢を叶える本みたいなのには
「じぶんが叶えたい夢は映像としてイメージして、具体的にしていくのがいい」ということが
たくさん書いてあるのを目にしていました。

なので、じぶんのやり方のイメージの持ち方のなにがまちがってるんだろうと
自問自答をしていたんです。

しかし、思春期にいじめにあったこと
思い返すともっと小さいときにもいじめっぽいことにあって
気が付かないほどノー天気な子だったんだなってことを思い出しては
人とのコミュニケーションの仕方がわかなくなり
じぶんはどのようなことを考えて、ともだちづくりをしてたのがわからなくなり
じぶんの気持ちの伝え方、言葉にする方法、じぶんのモチベーションの保ち方などなど
たくさん、たくさん、本屋さんや有名な人の言葉や生き方をみて、方法を知ってきました。

人より先に、多くの人がのっているレールから外れて
小さいときから年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんが周りにいたこともあって
ぼんやりと大人の空気を感じて、じぶんの居場所を、立ち位置みたいなのを
あとは、大人のイイ感じとイヤな感じとかも刷り込まれていたのかもしれません。
もちろん、大人がよろこぶ行動もね。

ギャップが激しくて、受け入れられなくなったとき
すごく違和感と拒否感や存在価値の自己否定がはじまったんだと思います。

けど、だれかの役に立つこと、よろこんでもらうことがうれしかったわたしは
どうすればいいんだろう、どうすればもっとよろこんでもらえるんだろうと
何度もまわりの人に投げていました。

何度も何度も、いろんな方法を考えて
その当時は自ら飛び込む方法しか知らなかったんです。

そして、限界が来たとき、わたしは気づきました。
外側ばかりを広げて大きく太くして、まったく内側が空洞だったということ。

だから、そのチャンスがたくさんやってきたのに
知識とその感覚はあっても、ポキッと折れてしまったんです。


これが、世にいう「躁(そう)」のはじまりでした。


外側がかなり大きかったせいか、「不眠」状態がつづき、幻聴や幻想があって
パニックになり頼れる人がいなく助けを求め
さまざまなところを彷徨いましたが、あるところで捕まってしまいました。

そして、ちゃんといまの状況をじぶんで判断も説明もしているのに
常識外れのことを言ってるため「おかしくなってしまった人」と分類され、病院へ搬送。

だから、搬送先で医師からの説明もなく
勝手に親にだけに説明して「統合失調症」と診断されてたみたいです。

よくわからないクスリを毎日飲まされ、よくわからないけどじぶんの荷物がその場所にあって
先生だか看護師だかわからないような人がなだめに来ては、注意されたり怒られたりする。

クスリはよくわからないうちにさまざまなものに変更されていました。

わたしと同じような人たちに会えるようになってから
とても強いクスリを飲まされていること
クスリによっておかしな行動を取ってしまい
それをまた抑えるために注射を打ってもらったり・・・。

落ち着かなくて1日中歩いていたり
カラダのさまざまなところに違和感があったり
そのことを訴えても
「それは〇〇というもので、統合失調症の症状のひとつですよ」でした。

そして、その症状のひとつに「不眠」がありました。
それも当時すこし常用していたクスリを飲んでも中途覚醒するようになり
・・・寝れなくなることへの恐怖を抱くようになったのです。

そして、ある日突然「ウツ」になりました。
昨日までたのしく話せた人と話せなくなって、ずっとベットで寝てるような状態に。

たくさんのやりたいことへの意欲もなくなり
じぶんの生きている意味さえも考えられなくなりました。

退院後は、じぶんは存在していても邪魔になる存在。
ただの「カネ喰うムシ」のような感覚になり
この先生きて行く価値がわからなくなりました。

家族にも邪魔扱いさているのが
いてもいなくてもいいようなそんな扱いをされているのがわかりました。

そして、別の病院へ行ったとき
「病気だから人のことが信じられないようになってるんですよ」ということも言われて
一緒にいた親にも軽蔑されました。


だれも、わたしを必要としてくれる人、信じてくれる人がいない。
わたしの話に耳を傾けてくれる人がいない。

そんな状態になって、よくわからない状態になってバケモノ扱いされて
どうやって人を信じたらよいのでしょうか。

わたしは、じぶんのことではなく人のため、相手のため、世の中のために
たくさんのことを考えて、役に立つこと、人が笑ってくれることを考えているのに
なぜバケモノ扱いされないといけなかったのでしょうか。

学歴がないから、信用されない。
年下だからバカにされる。
長く生きている人より、多くの知識を持ってるから怪訝な目で見られる。

それでも、受け入れてもらえるように
いろいろ、いろいろ伝えているのに、受け入れているのに
なぜ人はその外側ばかりで、何か不都合があるとマイナス面に焦点を合わせて
じぶんのプラス面を全面的に出して、正当化するようになるのでしょうか。


物事じぶん目線でなく、多方面から物事をみて
ただしいを探していく作業をするがたいせつな気がするのです。

なので、わたしは「精神科」「心療内科」「閉鎖病棟」へ偏見を持ち
なぜ生まれたのか、なぜ必要なのか、本当はどのようにあるべきなのか、などなどを調べて
そのような患者が増えている理由、なにがそうさせているのか、根本はどこにあるのか。

しかし、そのような世界がちゃんと正当化されて、世の中に浸透してる。
有名な人もたくさんの人がちゃんと告白して
その世界の映画やドキュメンタリーも多く出ている。


わたしは、東北の震災があった際の、原子力への偏見と同じだと思うんです。

よくわからない人たちがそこではたらいている人に向かって
石を投げたり、そこではたらいてる家族だというだけで矢面に立たされたり・・・。

泣いている人には、泣いている人の数だけ、泣く理由があります。
似ていることがあっても、その人にだけしかわからない悲しみがそこにあります。
そして、その深さは似ていても、どれだけ深いかその人にしかわからないんです。

だからきっと、たくさん泣いている人は泣いている人に寄り添える人になれる。

「泣いた数だけ大きくなれる」みたいな歌があって
はげまされたりするんじゃないのかなって思います。

その涙の表現が、悲しみや怒りになっている人のことも
よくわかるようになるんじゃないのかな。


ただ、それは、経験だけじゃない。

いろんな疑似体験や本や映画、有名な人の壮絶な人生をみて
やさしくなれる方法はたくさんある。

そのイチバン大きな出来事が「震災」「戦争」「凶悪事件」なんじゃないのでしょうか。
だから、TVや新聞で大きくとりあえて、たくさんの専門家の人が詳しく教えてくれる。


東北の震災があったときは
その伝える人たちはたくさん悩んだと苦しんだと、伝えてくれたのではないのでしょうか。

じぶんのたちの活動の意味を考えた。
そのことを考えて、活動を自粛した。
活動をしばらくおやすみをした。

その人たちは苦しんで泣いて、何も食べれなくなって部屋に閉じこもってる。

そうゆう人たちに向かって「あなたは病気ですよ」とは、カンタンにわたしは言えません。
近くに居たら、肩に手を添えに行くこと、手をにぎりに行くことを考えたいです。


こうやって物事考えていても、声を掛け合う仲間を作ることができなくて

・・・すごく悔しく思っています。

まだまだアマちゃんだったんだと、もう一度ゼロから勉強です。

ただね、いまは前より少しだけ、上手に凹めるようになってると思ってます。

這い上がるには、ヒトに頼らないとダメだということが
やっとわかったような気がします笑。


ココロの病気はやっぱり「ヒト」から生まれている。「ヒト」が治すもの。癒すもの。

 


映画*バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び

2019-04-09 12:24:09 | かたりごと

まだblogを始めたばかりに観た映画。
ちょっとこっぱずかしくて、書けなかったんだけど、書いちゃおうかな。

『バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び』
20世紀のあらゆる芸術とエンタテインメントに影響を与えた伝説のバレエ団“バレエ・リュス”の半世紀以上にわたる活動を描いたドキュメンタリー。
貴重なフィルムや当時のダンサーたちへのインタビューなどを絡めバレエ・リュスの歴史を紹介。
「キネマ旬報社」データベースより

2008年4月5日~5月9日、東京都写真美術館で上映されていたのを観ました。
よく行く街じゃないけど、たまにふらっと気になってHPを見ては、映画をチェック。

もともと、ダンスや歌、ミュージカル系の映画が好きだから、時間のスキを見て行ってきました。

古いフイルム映画を観てるような、コミカルに動く人間、バレエに対する強い想いや戦争中も踊り続けるという凄まじい中で、おじいちゃんおばあちゃんになってもバレエを毎日踊る楽しさを忘れない。
あとやっぱり、その時代の髪型やメイク、衣装、洋服がとてもかわいくて、またおばあちゃんたちが、おばあちゃんになってもそのころのままのかわいらしさを残してて、ステキだなって思う映画でした。

いまでもたまに観たいなって思って、ネット散策してたら、DVDを発見したり、マンガもある。
しかもコスチューム展もしてた・・・惜しい思いをしています。

あれを実際に見れただなんて・・・。

ご興味ある方はこちらを↓↓
公式サイト(注意:音が出ます)、コスチューム展YouTube(プレビュー)


業界ちがいでも、あんなおばあちゃんに憧れます。あんなおじいちゃんの夫が欲しいです。

 


おねがいごと。

2019-04-02 22:34:13 | かたりごと

たぶん、このblogを読んでいただいている方は薄々感じている方がいるかもしれませんが
きっとむかし、Facebookからこのblogをつなげたことがあるので
わたし自身のことをわかっていることもいるかと思います。

だから、ちょっと<おねがい>があります。

わたしは、そのFacebookとこのblogをつなげ、blogの空白の時間
閉鎖病棟に入院をさせられていた身です。

最近ネットやマスコミなどでも「すすんで心療内科、精神科に通いましょう」「うつは風邪のようなものです」と
いろんなところに書かれていると思います。

ただ、ちょっとだけ考えてみてください。

心療内科や精神科で病気と言われているものは、本当に<クスリ>で治ると思いますか?

・彼氏や彼女にフラれて、落ち込んで仕事に身が入らない。
・学校でいじめにあって、ひとりぼっちになって、外に出るのがこわくなった
・勉強をしすぎて、受験前のプレッシャーで、おなか痛くなって受験に失敗した
・好きなことに夢中になって、何日も寝なくても大丈夫になった

以上のことが、「うつ」「不登校」「ひきこもり」「不眠症」と診断されて、<クスリ>が処方されます。

わたしは、それらはふつーの心理状態であって、<クスリ>で治るようなことではないと思っています。
じぶん自身の思いグセや喜怒哀楽の<哀>が大きくなって、そのじぶんのいちばん弱いところに被害があるのです。

もともと胃が弱い人は「胃痛」「胃潰瘍」、耳が敏感な人は「三半規管」「ふらつき」「めまい」
そして、カラダは丈夫だけどココロが弱い人が「うつ」「不登校」になります。

このココロが弱いけど、正義感が強い人は「躁(そう)」になります。
これはむかしお世話になった専門医の方から聞いた話です。
「躁(そう)」と言われる人は、「芸術家」「絵描き」「音楽家」「研究家」となにかに特化したモノがあり
傍から見ると、理解しがたい行動をしたり、それこそ集中しているときは何日も寝ないで物事に取り組んでたりしてしまう。

30代前半、診断されました。
「いい血液をしているから、すこしムリをしても大丈夫ですよ」とね。

そして、わたしはその「躁状態」になったのですが、キャパオーバーしてしまって
じぶんでも信じられない行動をしてしまい、そのまま病院へ入院させられてしまいました。

知識がある人なら、どのような状態で、どんな入院の種類になるのかおわかりになるかと思います。

しかし、私は思いました。
じぶんの状態を理解して、けど方法がわからなくて、思い立ったが吉日で行動したら
わけわからなくなって、こわくなって助けをどこかに求めてたんです。

病院に着いた時、何人もの看護師さんに拘束されて、眠らされました。
主治医みたいな人には「あなたはいま、何も判断できない人ですよ」と言われて、カチンときた記憶もあります。
そして、説明もなく怖い個室に閉じ込められて、時間もわからないような部屋で
定期的にかわるがわる看護師さんみたいな人が<クスリ>を持ってきます。

その怖い部屋の中で、よくわからない行動をしてしまっている。
じぶんの意思とはちがう、どこか操られてるような感覚になってしまっている。
じぶんが<バケモノ>になっていると、それを訴えても<注射>を打たれて
楽になる感覚はあるけど、これを続けていてはもっとダメになるという怖さも抱いていました。

その怖さはいまでも鮮明に覚えています。
何を訴えても「あなたは病気ですよ」「クスリを飲む必要がありますよ」と言われるんです。

わたしは「クスリを飲んでもラクになってる感覚はない」「おかしくなってる感覚はある」そう感じているのに。
けど、そのわたしの感じている思いは、なにも尊重されない。

わたしは知っていました。
もともと、精神に関することはじぶんで勉強して、「徳を積む」という感覚で鍛えるもの。
あまり大きな声で言ってはいけないけど、その<クスリ>を直にたくさん触れる仕事をしたことがあって
「手がおかしくなる」という感覚があったから。
美容師の仕事をしてから、手がどんどん敏感になっている感覚があるから、その直感はまちがってないと思います。

本人が<クスリ>を飲んで安心するなら、いい役割をするものになると思います。

ただ、できるだけそうゆう人が身近にいたら、抱きしめてあげてください。
「大丈夫だよ」と肩をさすってあげてください。
近くにいてあげられないような人も気にかけてあげて
その人からのhelpでなく「大丈夫?」とメールでも電話でもしてあげてください。

 きっとその人はそれだけで救われます。
<クスリ>なんかより、その人にとって<安心というクスリ>になって、生きるチカラに変わります。

ぜひ、病院を勧めることより、その行動をしてみてください。

体験したことのあるわたしからのおねがいです。
なるべく本人のココロの声に耳を傾けてあげてください。

風邪も本人が風邪ひいていると心配があるから病院に行くものです。新しい生活にキンチョーするのもふつーのことです。

 


本*もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

2019-03-23 01:42:49 | かたりごと

たぶん、ずっと古くからある経営書が、わかりやすく物語にされた最初の本だったように思います。
もうひとつ有名な経営書も友人に勧められて、マンガも含めて読んだけど、こっちの方がすんなりと入ってきました。

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公立高校野球部のマネージャー
みなみは、ふとしたことでドラッカーの
経営書『マネジメント』に出会います。
はじめは難しさにとまどうのですが、
野球部を強くするのにドラッカーが
役に立つことに気付きます。

みなみと親友の夕紀、そして野球部の
仲間たちが、ドラッカーの教えをもとに
力を合わせて甲子園を目指す青春物語。
(本書:裏表紙より)
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空いた時間があると、ふらっとぶらぶら、本屋をなんとなく歩くのがすきなんです。
気になっている世界や業界、狭い本屋だと隅から隅まで、平置きからポップ、目に止まった本は立ち読み。
この本もそうな風にして手に取った本でした。

映画化にもなると少し話題にもなってたし、まとまった時間が取れたら、読もうとカバンにひそめてたのを思い出します。

終電を逃し、始発まで待たないといけなかったとき、ファミレスで一気に読んでしまったんです。

そして、じぶんの考え方はまちがってなかったんだと、涙しながら、なんか認めてもらえたような、そんな気持ちにさせられた本でした。

いつもお昼の友にしているサイトでは、本家の訳をずっとしている人との対談もしていて、『マネジメント』や『ドラッカー入門』はさらっと読んで、線を引きながら読んで、これで「ひとりで美容師として独り立ちできる!」と確信したものです。

ただ、まだ甘かった。

わたしには、それを突き通す「つよさ」と「筋肉」が備わっていなかったから、あと「持久力」もなかった。

たくさんの夢を思い描いてたせいもあって、一気に関わりたいと思っていたプロにも出会ってしまい、けど、みなみのように仲間をしっかり信じることができませんでした。

わたしは、どうしても同じ業界の友人も先輩も、どこかバカにしてしまっているところがあって、「見返してやる!」が強かったから。
「一緒にやりませんか?」「教えてください」が言えませんでした。

いや、みなみのようにうまく交換条件、イノベーションをできなかったんです。

こうやってやることは、お金が発生しない同級生や習い事の仲間とふつーにしてたことだから、大好きな歌の先生もそうしてるって目の前で見てきたから、けど・・・断られることの怖さの方が大きかった気がします。

どうしても世間では立場を下に見られやすい美容師、派遣社員、アルバイトをしてきた身で、高校も中退。
実務でどんなにがんばって、成果を出してきても、結局のところ、何かあるとその身分で評価させられてしまう。

あとは、小さいときから年上のおにいちゃんやおねえちゃんといたせいか、すこし大人びてたせいもあって、学生時代も5,6歳上と一緒にいた方が楽だった。
世間のレールから外れてからはずっとイチバン末っ子で、好き放題やっては褒められたり、かわいがられたり、怒られたり・・・。

そんなこともあってから「なにくそっ!」「何もわかってないじゃん!」と、けど、理解されるためにはどうしたらよいかと、ずっとずっと探して考えて、ぶつかって、こわれてなくなって、また考えて・・・・。

こうやって本屋で有名な人とおなじ?考え方だし、じぶんがやりたいことじゃなくて、ちゃんと世の中のためにと思ってやっていることだから、きっと伝わる日が来るって、信じて信じて、その日が来るまでがんばるのがじぶん。

だからこの本は、いつも見える場所に飾っています。
読み返すことはないけど、本を見るだけで、そんな気持ちを支えてくれるから。


読んだ当時のじぶんは、木を育てられたと思ってたけど、樹になれてなかったんだと思います。

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追記(2018年04月03日)
たぶん、こんな会社がイノベーションをたくさんしてると想像しやすいかと。
ちがう方面からご覧ください⇒ここ。