寝れることって本当に素晴らしいことだと思います。
何も気も起きない日々から「はたらきたい」と思うようになってからというものの、寝れない日が出てきました。
そうすると、とにかく日中が、おかしなテンションだったり、非常につかれやすくなる。
集中力も落ちるから、仕事の質も落ちる。
こうしてblogを書いていても、すごくていねいにタイピングしないと、わけわかんないことになってしまう。
ちょっとでも寝れると、きちんと細胞が再生されて、元気に食事が取れたりします。
昨晩、久方ぶりの友人に会ってきました。
つのる話もあり、なかなか床に就く時間は遅くなってしまいましたが、ぐっすりと。
寝起きは気持ちよかったな。
ひさびさの遠出ということもあって、電車がやたら、落ちつかなかった。
(すこしずつリハビリです。)
買いもの=ストレス発散とは、よく言うモノです。
お金を使うことなのかなと思ってたのですが、実は違うんじゃないかなと感じたのです。
それは「かわいい☆」の共有です。
「これ、いいですよね」、「そう、こうするともっと」、「これはですね・・・」、「聞いてください。これはこんんなにすごいんです。」、「本当にいいですよね」などなど。
店員さんとのやりとりや、友達と買いものに行くとこんなやりとりのくりかえしのような気がするんです。
ひとと「いいでよね」のやりとりが、ストレス発散につながっているんじゃないのかな。ってね。
もちろん、大金を散財することも気持ちよいことなのですが、それってひとりで楽しんでいることだと思うんですね。
店員さんとのやりとりは、ふたり、もしくはそれ以上で「いいですよね」が集まって、それから違うモノの「いいですよね」がうまれるような、相乗効果っていうやつで、想像以上に癒される、癒されているような気がしました。
使える金額の大きさ関係なく、ウィンドウショッピングもまでも、それなんじゃないのかなって。
ひさびさの買いものをして、なんか思ったことでした。
(この時期は冬の最後のセールでめちゃくちゃお得で、誘惑ばかりです。)
いま、いろいろ片付けしながら、いろいろな準備、カラダのメンテナンス、同時進行ですべて行われています。
思いのまま過ごしていると、流れに流れ過ぎてしまって、只今、行方不明中の物質があります。
すげ~、いまの基準になっているようなものだから、さっきから探しているんだけど、見当たらない。
さっき、思い付きで買いものしたせいかな。
どうやら、小さな妖精?おじちゃんでしょうか。
いたずらスキのようです。
大人をからかうと、いい身分です。
せっかくうまく書けたのに、そわそわ、するし、今日は来客もあるので、そわそわ。
ひさびさONのわたしなので。笑
(おじちゃん、いい加減して。いや、やっぱり妖精にしておこ、おっさん同居はね。)
・・・・ない。泣
ラグビーW杯がおわりました。
リアルではもちろん、TVでも観戦することなくおわってしまいましたが、はじめて肌でラグビーというものを感じたよう感覚になりました。
はじめて知ったニュージーランドの「Haka(ハカ)」。
本来はマオリ族の戦士が、戦いの前に手を叩き足を踏み鳴らして自らの力を誇示し、相手を威嚇する舞踊である。(Wikipediaより)
あんなカルチャーショックは久しぶりでありました。
試合が始まる前の選手が気合いを入れる儀式。
相手選手への「戦う」といういがみ合いのような、相手を挑発してるような、じぶんたちの強さを相手に見せつけて、もうそこから試合がはじまっているような、選手だけでなく会場全部が飲まれてしまうあの空気感。
・・・ヤバイって。
もうあれだけで、ラグビーの虜になってしまったくらいです。
YouTubeでそればっかり観てしまって、ルールとかが複雑で、チラッとニュース番組でみてもわからなくて、外側ばかりをみてしまってたのですが、すごく観客へのルールがきびしいものになっていることを知って、テニスにも近いものを感じたんです。
あんなにぶつかり合って、Hakaのようにいがみ合いを見せているようなものなのに、とても高貴なスポーツの一種だと感じました。
一部、ちょっとかなしいニュースも出ていましたが、日本のさまざまなところで試合は行われて、会場の外ではお祭り騒ぎ、地域では地元の人たちとふれあい、日本人を感じてくださってたんだなって。
20年前の日韓サッカーW杯のときもきっとそうであったはずだけど、そこまで感じ取れることができなかったんだなって。
ひとつ前のラグビーW杯のときは、遠い国で行われていて「ブームになった」と思ったものの、やっぱりその程度のもの。
自国で行われるって、その肌感が変ってくるってことなのかもしれない。
まったく興味のないことでも気になるものになって、知りたくなる。
新しいことがわかってくると、なんかワクワクしてくる。
そうそう、あのHakaの歌詞も内容を知ると、またヤバイ・・・笑。
今度はちゃんと試合を楽しめるようにしたいです。日本の選手のみなさん、ありがと!
じぶんのために生きるは、人にもじぶんにもやさしく生きること!
先日のことじゃった。
地元の街へ、気分転換にお買い物。
最近、廃れてきたとネットでは話題になるけど、改めて都会じゃないトコにでかけると「本当か!?」と疑問に思ってしまった。
何でもそろっている百貨店。
小学生の時は、そこへ出かけられるとワクワクしたところ。
中学に上がると1Fのフロアは「クサい」と「ア〇レやパ〇コの方がオシャレだし」なんて思ったときもあるけど、都会では感じられない活気があるように思いました。
平日に行っても、休日に行っても、街のおばさまたちが娘さんと一緒にいたり、「やっぱり百貨店様はすごいっ!」て、なんかよくわからないけど、そう感じました。
その日は、いろんな都道府県の物産展みたいのが上の階の方で行われていました。
見るだけ・・・と思っていたのですが、プラプラしていると(ほんの少しの一角なんだけど)威勢のいいオッサンが大きな声で呼び込みをしてたんです。
商品をみてみると、クリーム色に詰まったパンと、袋分けしてあるパン。
とにかくオッサンの呼び込みがすごかった。
しかし、内容を読み解くことはできんかった・・・。
少しそのオッサンがいるところで、佇んでいると、トレイを手渡されてしまって、断ることもできなかった。
さっき、百貨店に来る前にパンを買ってきたんだけど「とりあえず、ひとつだけ」と思ってたら、さらにオッサンは呼び込みを押し気味でしてきたんです。
「ここでしか味わえないもの!人気商品から並んでます!今日売れるのはもうこれだけ!卵と小麦粉だけ!バターは◎△$〇&%#!」
もう、そのオッサンに押されてしまって、ひとつだけのつもりが、もう一つと・・・食パンもと思ったけど、家にあることを思い出して、そこで止めることができました。
でも、すごく気になった。
いくつかの物産展に出掛けたことがあるけど、あのオッサンのパワーはすごいわ。
人の流れも、オッサンからスタートするようになってて、キレイにランキングで陳列もしているし、最後は最近、高級食パンの流行があるから、ついつい手を伸ばしたくなる。
最後のレジは、百貨店のおばちゃん2人と正統派のおじさん。
きちんと絵と商品名と、半分単価と1個単価が順番通り書いてある紙があって、用意周到な感じ。
オッサンパワーが、ある意味恐ろしくなりました。
こんな衝撃は、初めてかもしれない。
関西人の友人は入るけど、ほんまもんの商人はやばいわ。
降り立つときは、財布の紐をしっかりせなあかんことを、知った気がします。
人気ランキング2番目のロールケーキ。どっしりして、甘んいだけど、さっぱり感もありながら、ぺろりと食べることがいます。おいしかったです。
本日からラグビーW杯が開幕!
どうしてもW杯というと・・・バレーの方に結びついちゃうけど、世界的にみるとラグビーの方がメジャーなスポーツで世界三大スポーツイベントのひとつにされているとか。
ネットで記事を追いかけているだけだと、わけわからんのよね。
スポーツ好きの人は、大変な季節なのね笑。
アメフトとの違いもよくわからないけど、がんばれ!日本っ!!!です。
そろそろ、会社勤めをしなくなって1年。
さまざまなことがありすぎて、よくわからないことも多すぎて、目をそむきたいこともあるけれど、想像しなかったことやあり得ないと思うようなことが起きるのも、世の中ふつーのこと、ということがよーくよくわかった1年になっています。
平坦であることがしあわせだというと、しあわせでない1年だったなのかもしれない。
人から見たら、不幸にみえることかもしれない。
「かわいそうに」とか、「それが今までの行いよ」とか、言う人もいると思う。
ただ、そんなの無責任に他人がいう、たわごと。
うんざりした。
わたしは正直に、じぶんに背くような生き方だけはしたくない。
他人を否定したり、他人の不幸を話のタネにしたり、後悔ばかりを口にして、じぶんは悪くないと大人ぶったことをいうことは、社会で生きる逃げ道のような気もする。
正しいだけが正しいとも言えないことくらい、誰だってわかる。
じぶんの生き方くらい、じぶんで責任持てる生き方で示していきたい!
けど、そんなん虚勢をはって、人とぶつかっても何もならない。
ただし、何かをじぶんがガマンしているとなると、それはやっぱり、じぶんに背いていることになって、人にもガマンを求めてしまうような気もする。
大きなことをしたいと思ったところで、人がひとりでできることなんて、何一つない。
そうゆうことが、スポーツをみていると、わかったりもするなって。
団体競技は、じぶんだけ目立とうとする人がいるとチームとして乱れるだろうし、個人競技は、その人を支えるためのチームがあって、ヘンにじぶんを押し付けようとする人がいると、競技する人のプレッシャーにもなるだろうし、むかしはその競技する人に夢抱いていた人が、その周りでたくさんいたりする。
応援することで元気になったり、一体感を味わうことでじぶんの活力になったり、スポーツって「戦う!」「勝ち、負け」だけど、「平和」の象徴でもあったり、ふしぎなものだなって。
そうそう、ラグビーのニュージーランド代表チームは、試合前に「Haka(ハカ)」と呼ばれる伝統儀式を行うとか。
動画をちょっと見たけど、あれは興奮する。
マオリ族という民族舞踊らしいけど、もともとは戦争の前に行う「相手を威嚇する舞踊」なのに、いまは冠婚葬祭や国賓などで行われるもので、日本でいうと日本舞踊や歌舞伎なんかに匹敵するものなのかな。
あれだって、偏見をもってみてしまったら、「けしからん!」なんてなってしまうけど、その国の伝統的なモノで、ちゃんと知ると、ただの「すごいものなんだな」「すばらしい!」と変わります。
ちょっとね、無理やり感があるけれど笑、こうやってこじつけると、世の中よくわからないことや迷宮入りしている物事に対しても、なんとか広い心が持てるような、人に八つ当たりしないで済むような気がします。
blog開設から4000日目!毎日はなかなか続かないけど、細く長く、まだまだ続けます!
ネット社会というのは、ふれればふれるほど、考えれば考えるほど、ふしぎな世界だなって思うんです。
「個人情報保護」や「肖像権」、「プライバシー」なんていうことで、問題になったり、事件や犯罪に結びついたり、大人の一部の人たちがこどもを守ろうと必死になってたりするけど、このblogのようにSNSの世界では、みんなして個人情報を公開しまくって、自慢したり、批判したりしている。
けど、このネット社会ができたことで、背伸びしても届かないような世界のことが知れたり、ふしぎと知り合ってないのにすごく友人や親なんかより、とても近い存在に感じたり、そこで励まされたり、勇気をもらったりする。
むかしむかしに出会った人たちのことが知りたいなって思えば、写真や日記で懐かしむだけでなく、実際にがんばっているその人のことを知ることができて、いつか会えるといいなって、片思いかもだけど、それもそれで、励みになったりする。
小学一年生のとき、歌でもあったけど「ともだち100人できるかな♪」とかさ、そのときは「ずっと一緒になかよしでいようね」なんて言い合っていても、なんだかんだ、その狭い世界でしか生きていないこどもだから、引っ越したり、結婚したり、仕事でどこか行っちゃったり戻ってきたり、思いもよらないところで再会したり、長く生きているって、行動範囲が広くなるって、こうゆうことなのかなって思ったりします。
だから、反対に、こうやって書いていることは、いつも近くでいる人がもしかしたら知っててくれたり、ぜんぜん知らない人も知っててくれたり、むかし仲良かった人も見つけてくれたりするのかなって笑。
ま、わたしがSNSの中のblogを選んでいるのは、個人を公開したいような、したくないような、知って欲しいからだけど、その不思議な世界とおなじようなハザマで書いていることがすきなんだけどね。
むかし、まだ遊んでたとき、知り合った人たちがネットの世界で有名人になってたりすると、ビックリするけど、トクベツなことではないということがわかって、これまた励みになったりします。
そうそう、おなじ部屋ではたらいてた人がその会社の社長とかになってたりすると、やっぱりその職の人も、ただのオッサンだということもわかります。
遅咲きでも、ちゃんと前への意識だけは持って、足元みて暮らしています。