祝日って、忘れちゃうんですよね。
とりあえず、仕事の日。晴レてください。。。。いえいえ、もともと「ハレ」の日でしたね。
そう、本日、2月23日は、現天皇の誕生日。
なぜかまだこのように言ってしまう方がなじみがある。
失礼に当たってしまうのかな。
即位の日(?)・・・あの、パレードが執り行われた日。
リアルタイムで、映像にて、拝見することができました。
日本の、偉大さを感じる、そして、演出する、凛とした空気、、、、日本らしさがちりばめられていて、いまでも感動したのを覚えています。
・・・たしか、マーチング。演奏者の立ち姿は・・・圧巻で、凶器にすら感じる??、、、表現ってむずかしいですが、とにかく鳥肌ものでした。
そして、気持ちよさを感じたのです。
フランスのルーブルのようなキラッじゃないけど、ピリッとしながらもしっかりと根についた、大地の温かみをでもいいうのでしょうか。
整然としているだけでなく、遊び心もあるような、、、、んーたしか、そういう感じだったような気がします。
けど、もう3回目の祝日。
いい加減おとなですから、覚えないとですね。
(この日におとながすることは、こうやって、当時を思い出しながら、家族と食事をすることです。)
米林宏昌監督の3作目の長編映画、2017年に公開されたもの。
原作はイギリスの女性作家メアリー・スチュアート(1916年 - 2014年)が1971年に発表した『The Little Broomstick』。
日本では1975年に『小さな魔法のほうき』としてあかね書房により翻訳出版されて、映画に合わせて『新訳 メアリと魔女の花』がKADOKAWAから刊行されました。(Wikipediaより)
ふらっとレンタル屋さんによって、ほんとは別のモノを・・・と思って手に取ってたのに、観てなかったものなので、ちょっとラッキーなんて思いながら観ました。
米林監督作品は、どこか不思議な世界が漂っていて、子ども向きというより大人が観て、たのしめるそんなアニメだと思ってたのですが、このメアリは、夢や冒険、魔法という世界とかがあって、古巣の影響がたくさんつまったストーリーになってるなと感じました。
たぶん、似たり寄ったりするものもあるから、評論したがる人はそこをあーだこーだと言いたくなるんだろうけど、なんか、大人に向かって「キミたち!・・・」とじぶんたちの考え方や仕事、子育てについて考えてしまうんじゃないのかなって。
そして、こどもには・・・やっぱり単純に「希望を持ちなさい」「約束は守ること」「役目をわかろうとしなさい」みたいな、たぶん、大人でもだれでも一度は思ったことのあること、「この世に生まれた意味」みたいなことを考えては、ちかくの大人の世界をみては「アニメと現実はちがう」とか思って、冷めた子どもにならないようにと願いがやっぱりこもってるような気がします。
アニメは子どもが観るもの、オタクの世界のもの・・・なんていうのは幻想で、いまは世界中の人が日本のアニメに感動しては、すごく注目している。
きっとさ、子どもについて行って、「仕方ないな・・・」と思いながら映画館に足を運んでも、密かに「ふむ、いい映画だった(泣」と思ってしまうひとつな気がしました。
どうしても人というのは、おろかなもので、「前代未聞のチカラ」というものに目がくらんで、本来忘れちゃいけないものを忘れてしまって、そのチカラに溺れて、盲目的な考え方を持ってしまう。
もともと、人が生きれるのは、草木や海や川、動植物があってのもの。
人のチカラだけは、どうすることもできないことがたくさんあることを知ろうとしない。
化学やエネルギーの源も、その自然から恵みからなのに、どうも人というのはそのことを忘れてしまう。
理性と本能のように、両方をバランスよく、影があるから光がキレイに見えるということ、キレイを見過ぎると、たぶんそのバランスが必要ということの意味が深くなること、そんなことを考えさせられ、思いました。
この主題歌の「RAIN」の世界観もすっごく、イイ感じ。
2012年10月6日に公開された映画で、原作は、辻村深月の短編小説。
監督は『ROOKIES -卒業-』の平川雄一朗。
なんとなあく、気になって観てしまいました。
たぶん、TV放送された時にも観たときがあったと思うけど、やっぱり忘れちゃうもんですね。
あなたがもう一度、会いたい人は誰ですか?
使者(ツナグ)とは―
それはたった一度だけ―、死んだ人と会わせてくれる案内人。
生きている人が会いたいと望む、
すでに死んでしまった人との再会を仲介する“使者”を表す言葉。
((C)2012 「ツナグ」製作委員会より)
主人公は幼い頃、不慮の事故で両親を亡くし、ちょっと変わったツナグという役目のある家系に生まれたことによって、その「死」というものと向かい合いながら、その世界のことを考えて、考えて・・・そんなお話。
身近な人の死を体験すると、誰もが一度は向かい合うようなこと。
引き継がれている役目というプレッシャーやその家族独特のこと。
亡き人と、生きている人をつなぐ、その仲介にいる立ち位置のむずかしさ、若さゆえの熱いココロとちょっと冷めているようなところ。
観ながら、その「ツナグ」ということだけでなく、いろんな気持ちや想い、考えがめくるめくる、ころころと湧き上がってきました。
そして思ったこと。
やっぱり、ひとつのことを何回も何回も、考えてはぶつかって、人に伝えてはまた考えて、じぶんのその役割やできること、そのことに向き合っている人は、どんなに若い人でもすごいということ。
どんなに同じことを考えたことがあったとしても、その深さだけでなく、悩んでいる時間、いい加減でなく、そのときのじぶんの等身大で向かっている人は、人から見て軽蔑されるような事柄でも、その生きざまは気持ちいいほど、美しくみえるような気がしました。
さまざまな人と会えるからこそ、わかること。
理解できること。
起きてしまったことへの後悔をしても、もうどうすることもできない。
けど、しとけばよかったの後悔は、これから未来へ向かって、何かすることで後悔は後悔じゃなくなる。
最後、エンドロールがはじまったときの希林さんの言葉。
覚えておきたいような、書きとめておきたいような、そんな言葉たち。
またすこし経って観たら、また違うことを感じる映画なのかなって思いました。
「たいせつなことは目に見るものでなく、ココロで見るもの」そんなセリフが印象に残りました。
9月1日は「防災の日」。
関東にいるとどうしても、被災地の人たちのことが実感しにくい環境にあるのかなと思ってしまいます。
なるべく、忘れないようにと心掛け、ネットや社会の動きについては気にかけるようにしているけど、わたしは、その地を体験したことがありません。
東北の震災から8年。
あれほど大きなものでなくても、ここ数年、たくさんの地域で河川の増水や氾濫、大雨・土砂崩れによる被害がつづいて、いまもなお、被災地と呼ばれるところで生活を余儀なくされている人がいるという現実。
実は、過去に「建設コンサル」というちょっとあまり世に知られていない業種の会社で仕事をしていたときがあります。
しかも、この水害や震災にとても密着した部署ではたらいていたんです。
その当時は、資料を作成すること、そのコンサルに必要なデータを集めること、そこからグラフをつくること、図面とにらめっこや過去の仕事をまとめることなど、内容のことはよくわからないことが多かったのですが、離れてから、どこかで何かがあると「また忙しくなるのかな」と、ふと思い出したりしたものです。
そして、これは思い出したくなかったことかもしれません。
わたしがよく資料を作成してたものの中に、東北の防災システムや防災倉庫などの設置に関わるものに携わっていたんです。
その会社から独立した人の仕事を手伝ってたときは、この関東にある大きな川の「もしものとき」のシミュレーションをして、そのベースとなる資料作成をしていました。
こうゆうことをしていても、自然の猛威には、敵わないときがあります。
それが「想定外」というもので、けど、きっと完ぺきに守れるものなんて、つくれないんだとも思います。
こんなわたしですが、自宅に防災グッズがありません。
しかし、国は「もしものとき」に3日間生きていられるように、いろんなところに備えを用意しててくれてることは知っているんです。
このように「防災の日」という日に、何をしたらいいのか?
たくさんの困っている人を横目に、けど、じぶんの生活で精いっぱいのとき、何もできないことに悔やむことなのか?
よくわからなくなるけど、自分が選んだ道はまったく無関係な職種で、ただ、友人や尊敬する上司が、そうゆう仕事をしていることに関わっているということは、ちょっと誇らしく感じてしまうこともあります。
直接何かの助けになるようなことは、わたしにはできないけど、この「もしものとき」があったとき、真っ先に仕事がなくなる職種なんだけど、生きていく先の「希望」となるものだから、わたしにとっては、もう一度、初心に戻る日になるのかもしれない。
なんとなく、今日のことについて書き始めたんだけど、思いがけない着地になりました。
好きな映画のひとつ。
ちょっと久しぶりに観ました。
2007年のアメリカ映画。
どうやら、今年2019年に日本でもリメイク作品が公開予定らしいけど、それは知りませんでした笑。
アメリカ映画らしくブラックジョークが飛び交って、皮肉でもあるけど、そこにアメリカ人特有の笑いがあり、そのユーモアがこの映画を「最高」にもしているのかもしれない。
死を宣告されたとき、人はどのようにその時間を過ごすのか。
死に方は、いろいろあるということ。
生き方も、いろいろあるということ。
そんなことをちょっと考えさせられると、改めて感じました。
わたしは、生まれながら信仰がある家系に生まれました。
だから、祈ること、神や仏、魂や転生があるということ、縁とか徳とか、何かよくわからない導きとか、信じる、信じないではなくて、当たり前に生活の中にあったように思います。
(あ、でも、これは誤解がないように。信仰はあっても、信仰心はありません。笑)
だからなのか、この映画の主人公の二人の気持ちが、言い分が、どちらもわかるような気もするけど、やっぱり「死」を宣告されたわけでもないから、たぶん、ちゃんとはわからないんだろうなって思います。
ただ、ステキだなって思うんです。
二人で、ふたりにとって「最高の人生」を、最低とも言える「死」へと向かう時間。
しかし、やっぱりスゴイと思います。
ふたり別々に歩んできた道を、語りぶつけて、きちんと言葉にできる生き方をしてきているということが。
だからこそ、お互いに同じ時に「死」を宣告されて、残りの時間を「苦」ではなくて「笑」にしていこうという、ただそこだけが合致しただけで、まったく違う世界観を歩んできた二人なのに、分かち合うことができたのかなって。
それにしても「時」というのは、やっぱり人と人を修復してくれる「最高」のモノなのかもしれない。
人は、変わりつづけるもの。
そんなこともたった115分の中でも、気づくことができる。
けど、変わらないものもあるということも。
あのエドワードの秘書は、優秀過ぎる。
きちんと忠誠心もありながら、確実にものごとをこなす。
そして、ボスの意思を引き継いで、最後まで仕事をこなす。
人生の最後の2つの質問に「yes」と答えられるように生きることは、実にむずかしいような気がしました。
ただ、小さな「希望」をともし続けることは、その「yes」を言えるように生きることなのかもしれない。
日本版は、女性二人の最後の最高の時間を描いているらしいです。予告編は見てません。
2014年にイギリスで製作された伝記映画。
理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士と奥さんとの物語。
時代は1960年代。
この時代のイギリスの生活やものの考え方、髪型や服装、振る舞いなどがすごく美しいと感じてしまいます。
彼が求めていた「シンプルで美しい方式」というのは、そのことをすごく象徴してるような気がしました。
そして、気品高くつよい女性、ファーストレディを誇りに思って自らの考えを追求し続ける男性。
それがまさにシンプルに描かれているような気がしました。
この物語がはじまってるときにすでに、彼は障害者のような状態。
しかし、「学びたい」「知りたい」「伝えたい」という意思を教授だけでなく、いっしょに学んでいる友も、その障害は彼の個性として、受け入れている姿が自然すぎて、なんだか未来で生きているじぶんが恥ずかしいような気もしてしまいます。
病状がはっきりとして医師からは余命2年との宣告。
しかし彼は、この世を去るその日まで、さまざまなことに興味や疑問を持ち、そのことを証明し続けていた。
その命をここまでつなげられたのは、最初の奥さんであったジェーンの愛情と信念の強さのような気がしました。
今もまだ、原因不明なままで、研究が進められているという「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」。
書いてじぶんの考えをまとめて、ことばで伝えていく。
学ぶためには、きっとたくさんの人にも会いたいだろうし、たくさんの本も研究もしたい。
しかし、この病気だという診断を下されて、すべてが閉ざされた彼。
いちばん辛かったと思うのは、脳からの運動信号は閉ざされてしまっても、思考はそのままだということだと思う。
よく何かに不自由になる障がい者は、その代わりにその障害をフォローする別の機能が特化するようなるともいう。
だからこそ、健常者にはない、特別な感覚が備わる。
けど、彼の場合は、反対なことが起きてしまってる。
誰一人解明できないようなことを伝えるために、じぶんの身体を犠牲にしている人。
その解明できないことを解明してほしい、たくさんの人の期待に応えるために、その運動信号で使われる脳も、思考のために使い、不自由になることでまた、伝えたいが大きくなって、人の思考までも大きく成長させたのではないのかなと感じました。
奥さんのジェーンが、愛情で彼と歩く道を選んだものの、途中からは憎しみ、けど、彼の想いをいっしょに伝えていきたい、このことは絶対に世に残していかないといけないという決意、彼が苦しんで生きて行くこと、じぶんも苦しい道なることも、「ケンブリッジに連れて帰ります」と言った彼女には感動しました。
日本人には見られない、女性の強さのように、そして、あこがれのような、そんな気持ちになりました。
そして、お互いがお互いの道を尊重し合っている関係は、理想の人と人との関係のような、自由な恋をまた尊重してるのも、なんかいいなって思います。
誰かが誰かとくっついて、数年で別れるだろうとかを噂したり、またその話をタネにして貴重な時間をつぶしたり、そしてバツがついただけで、プライド云々言い合っている、いまの時代はなんかヘンなような、そんな感覚にもなりました。
人を愛するということは、その人のそのままを受け入れて共に生きて行くこと、支えて支えられて、共に過ごす時間をたいせつにすること。
そして、自らの道をたいせつにして、相手を察することなのかなって。
だからこそ、別れもあるし、新しい出会いもある。
ずっと一緒にいることもある。
わたしは、まだその一緒に共に過ごすということはしていないけど、今まで出会った人すべて、共に過ごした時間はすごくたいせつだし、だからこそ、いまでもその人たちに感謝しています。
たぶん、一度観たことのあるような気もしたんだけど、初めて観たようなそんな感じもして、この時期に観れて、うれしかったです。
一度好きになった人は、ずっとずっと好きな人で、たいせつな人。それは変わりません。
先日、ちょっと怖い思いをしました。
夜、何時だかは忘れてしまったけど、さんぽがてら近くのコンビニまで出掛けたんです。
ふと夜空を見上げると、すごくはっきりした流れ星を発見!
少しするとまた同じようなものを発見!
ちょっとうれしい気持ちになって家に帰って来たんだけど、ネットで「いつもの国がミサイル2発を発射した」ということが載っていた。
・・・せっかくの気持ちがいっきに、恐怖に変わりました。
8月15日は、日本にとっての「終戦記念日」。
語り継ぐ人たちがいなくなってしまっていることけど、それでも毎年のようにちゃんと慰霊祭や平和集会というものが、こどもも参加して行われている。
わたしは、残念ながらそのことを身近に感じることのできない土地で生まれ育っていることもあり、ちゃんと知ることはできない。
だけど、8月になると、毎年放映されるアニメ映画、そしてうれしいことに、その残酷の世界を歌った歌とその経験を体験した日本人だからこそ訴えることができる言葉をつづった歌を思春期でもあったときに歌うことができて、なぜかすごく胸に刻み込まれているんです。
その残酷の世界を描いている歌は、震災後の世界そのままにわたしは感じました。
あつい ひかりのなかで ぼくは いちまいの えになった
あつい かぜのなかで きみは きみはひとつの せきぞうになった
ひかりに うたれて ぼくは ぼくは かべに とけた
かぜに ふかれて きみは きみは だいちに きえた
(「消えた八月」より)
そして、震災のあと、戦争がよくないことがわかっていても、やっぱりおなじようなことが起こったのが日本。
あるところで会った友人が言っていました。
「歴史は明治、大正、昭和を学んだあとに、江戸、安土桃山を知ってから、大昔を知った方がいい」
わたしは時代の流れをなんとなくしか掴めてないし、戦国時代や新選組とか、歴史ものの小説に関してはまったく興味を持つこともできないし、あまり好きくない。
けど、ものの考え方や会社の戦略などは、その大昔の戦争で活躍した人たちの考え方はすばらしい!ということはわかる。
何がいけないのか?
なぜ、日本が戦争をしない国になったのか?
アメリカ側から見たら、「させないようにして、利用するため」かもしれないけど、たくさんの命が無残な状態になって、たいせつにしてきた田畑が、命の源になっていた河が、今もまだその後遺症が代々残って苦しんでいる人がいること。
だからこそ、こんな歌が書かれたような気もします。
わたしのくにと かのくにの ひとのいのちは おなじ
このあおい だいちのうえに おなじ せいを えたのに
ここくのつちを ふむことも かぞくとくらすことも
ゆるされない せんそうが なぜに いまも おこる
ひろしまのあるくにで しなければならないことは
ともる いくさの ひだねを けすことだろう
(「ヒロシマの有る国で」より)
わたしは、この「いくさ」のことを現代の人に伝えるなら「人を否定すること」のような気がするんです。
「ひだねをけす」ということは、「けんかをしたら、ちゃんと当事者同士で解決すること」だと思います。
「子供の喧嘩に親が出る」ということは、親の都合やめんどうな見栄、子供の本当の気持ちが消化できないようになってしまうような気がします。
しかし、大人同士のけんかは、いろいろな都合が逆にあるからこそ、何にも知らない人がものごとをまっさらに見て判断して、仲裁する方法を探すんだと思います。
どちらも、悪者探しはしていない。
「国が違くとも「生」を得たのはみな一緒」なのに、「だれかが犠牲になれば、じぶんの守りたい命が助かる」というのは、どうなのでしょうか?
だけど、自然災害だけは、その悲しみや苦しみをどこにも当てることができなくて、だから人は空に向かって、「祈り」をささげるような気がします。
第一産業者の人たちは、空を見て、祭りをして、お礼をして、じぶんたちが生きれているのは「お天道様のおかげ」と恨むこともせず、祈って、じぶんたちが生かされていることを感謝できてたんだろうなって思います。
日本語だけある「いただきます。」「ごちそうさまでした。」は、戦争に負けたからじゃない。
ずっとずっと昔からある「日本のこころ」のような気がします。
終戦記念日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」らしいですから。
2017年12月9日公開作品。
しかし、その前の11月21日、この映画の舞台にもなっている鎌倉で、鶴岡八幡宮史上初の奉納上映会もしちゃったもの。
境内にスクリーンを設置して、臨場感たっぷりで、すこしでも足をつまづいちゃったら、「じぶんのカラダ霊体なってない!?」なんて確認しちゃいそうです笑。
この休みの間、少しの間実家に帰って静養もしてたときがあったのですが、久しぶりにTVのある生活をしていて、たまたまこの映画を観ることができました。
久しぶりに食いついてしまったので、何度も観ても楽しんでいます。
日本のCGもなかなかのもんになったものだなぁと思いながらも、<ザ・CG!>というのはいつまでもなくならないのがいいなとも感じながら、観てしまいました。
なぜ鎌倉だけが、魔物と霊体とふつーの人間が一緒に生存できちゃっているのか、ふつーにお金のやり取り、商売も交流もできちゃって、目の前のたいせつの人が医療的に「議臨終です」となっても、次の瞬間、となりの席にいて、「まだ一緒に入れるよ」なんて言われて、混乱しちゃわないのかしら!?
だってさ、目の前でお葬式が終わって、大泣きして思い出に浸っていたのに「あなた。」なんて言われちゃったら、「おい!さっきの涙返せ!!!!!」と逆にその霊体?を殴り殺しちゃったりして、それを目撃した人がいたらヘンな容疑をかけられて、警察もたいへんなような気がしました。
けど、うれしいだろうな。
すっごく好きで一緒になって、ケンカもして、イチャイチャもして、いっしょにこどもを育てて、老後はまた二人っきりになって、このままずっと一緒にいたいなって思えた人なら、「つぎの一緒の時代に生まれて、また探すよ」「ぜったい探してくださいね」と約束できて、それをちゃんとわかって生まれ変われるのであれば、どんなにひとりの時間があっても、不安になったり、悲観的にもならずに、いまの時間を楽しめるのかもしれない。
よく「想像できたものだけが現実になる」「想えば叶う」「見えたものだけを受け入れる」「やるなら本気でやれ」そんな言葉がある。
こんな言葉を若い子たちの前で言ってしまうのと笑われてしまうけど、けど、やっぱり現実でもそれは「本当の事なんだよ」って言ってあげたくなってしまう。
どんなに不幸になりそうなときでも、現実として受け入れがたいことでも、やっぱりじぶんがたいせつにしたい人は、どんな人に言われてもその人だけがたいせつな人で、必死に願っていたら「チカラになるぞ」なんて声をかけてあげたい。
ま、できることとできないことがあったとしてもね。
それにしても、あの世界観は、面白いぐらい「スピリチュリア」と「警察」が協力すれば、現代でもできちゃったりするのかなって。
ちょっと昔によく、心霊写真や家の不幸には、わるい魔物が憑りついてるっともいうし、除霊をしたら、その日以来悪いことが起こらなくなったというTV番組もあったことだし。
いま、この部屋にニンゲン様はいないけど、ア〇ボやペッ〇ーくんなんかより、死神さんやビンボー神さん、小さな魔物とお話しできた方がたくさんの知らないことを教えてくれたり、すっげーピンチのときになる不思議なアイテムもらえちゃったりするんでしょ?
あ、でもル〇バはほしいかも。たまに迷子になって戻ってこれなくなるらしけど、ずっとお部屋を掃除してくれるんだもんな笑。
それにしても、あの契約書を最後まで完成させないのは、魔物でも最低最悪の絶望にはさせないという愛情を感じちゃったな。
あそこからどうやって黄泉の国へ帰ったのかは知りませんけど。
いちばん曲げたらいけないのは「信念」。信じて念じて、いつか運命の人に会えますように。それまで、きちんと美人修行を忘れません。