本日から行われている「即位の礼」。
あいにくの雨模様になってしまったけど、なにやらそれを祝うかのように皇居に虹がかかったとか。
つぶやき情報だからそれは定かではないんですが笑。
時代を昭和~平成~令和とわたってきたわたしですが、こうして「時代の儀式」というものを感じたのははじめてかもしれません。
パレードは災害の被害に合った人を・・・ということで延期という形になったものの、「お金」という観点でみてしまうと、予算をかけてまでする必要のあるものなのかどうかと、きっと思う人もいらしゃるのではないのかなと思うのです。
しかし「儀式」というものは、日本だけでなく、たぶん、人間だけでもなく、何かトクベツなことがあるとき、何かしらの「儀式」というものを行っていると思います。
それは「カタチ」ではなく、きちんと「意味」があり、そこに「敬意」や生きとし生けるものとしての「感謝」に似たようなものがあるからではないのかなと思います。
赤ちゃんが産まれてから1年間に行われる、いろいろな「儀式」。
たった1度だけなのに、まだその子は理解できるものでもないのに、最初の1年は人が成長するうえで、いちばん成長がある、その証を乗り越えることができたことに「おめでと!」だけど、きっと大昔はその1年を乗り越えるのが本当に大変だったことから「儀式」として、いまもまだ残りつづけているような気がします。
それから七五三のお祝い、成人式と、子孫を残せる身体と経済力、知性や感性などを備えられるようにと、いろんな「願掛け」もそこには含まれています。
お着物や髪型、お飾りや小物、お食事なども、そこには何かの「意味」があって、お遊びパーティーをするためではなくて、その「儀式」をたくさんの人で囲み合い、お祝いをしたり、「平和」というものを感じるためのかもしれないと思います。
本日が、令和元年(2019年)だけの祝日というのは、それだけ何か特別なことが行われているからこそ、ふつーに暮らして、ただのお休みになっているような感じでも、何かひとつ、その時代に合わせて「じぶんオンリーの儀式」をしてみるのはいかがですかね。
ポイントは、ご褒美的なモノと購入したとしても、ふつーに購入しているものとはちがう取扱い方をしてみましょう。
ご馳走をつくったとしても、ちょっと高めのシャンパンに、TVをつけずに音楽をかけて、その一つ一つを今日選んでみるんです。
これを「ひとり」でやってしまうと、ちょっとさむっ!と感じてしまうこともあるかもしれませんが、それなら、隅から隅までそうじでもするのはいかがですか?
「儀式」というものを行うときは、そこの「空気」というものを整えて、清めて、気持ち良い空間にして、それを行うじぶん自身の「心」というものに「儀式」を埋め込むようなものかと思うんです。
本日行われているのは、国代表になる、日本の顔にもなる人の、この日をふつーのお休みとして過ごしてしまうわたしなんかにはわからない、大きな大きなものを継承する「儀式」なわけで、本当に同じ時間にそれが行われていると思うと・・・ちょっと考えてしまいます。
なんとなく過ごしてしまう毎日でも、小さな「儀式」をしてたりしませんか?その「儀式」を決めた日のこと、それを続けていることなどを思い出したりしてみてください。毎日していると「意味」を忘れて、なんとなくになってたりしますからね。
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