先日、ちょっと怖い思いをしました。
夜、何時だかは忘れてしまったけど、さんぽがてら近くのコンビニまで出掛けたんです。
ふと夜空を見上げると、すごくはっきりした流れ星を発見!
少しするとまた同じようなものを発見!
ちょっとうれしい気持ちになって家に帰って来たんだけど、ネットで「いつもの国がミサイル2発を発射した」ということが載っていた。
・・・せっかくの気持ちがいっきに、恐怖に変わりました。
8月15日は、日本にとっての「終戦記念日」。
語り継ぐ人たちがいなくなってしまっていることけど、それでも毎年のようにちゃんと慰霊祭や平和集会というものが、こどもも参加して行われている。
わたしは、残念ながらそのことを身近に感じることのできない土地で生まれ育っていることもあり、ちゃんと知ることはできない。
だけど、8月になると、毎年放映されるアニメ映画、そしてうれしいことに、その残酷の世界を歌った歌とその経験を体験した日本人だからこそ訴えることができる言葉をつづった歌を思春期でもあったときに歌うことができて、なぜかすごく胸に刻み込まれているんです。
その残酷の世界を描いている歌は、震災後の世界そのままにわたしは感じました。
あつい ひかりのなかで ぼくは いちまいの えになった
あつい かぜのなかで きみは きみはひとつの せきぞうになった
ひかりに うたれて ぼくは ぼくは かべに とけた
かぜに ふかれて きみは きみは だいちに きえた
(「消えた八月」より)
そして、震災のあと、戦争がよくないことがわかっていても、やっぱりおなじようなことが起こったのが日本。
あるところで会った友人が言っていました。
「歴史は明治、大正、昭和を学んだあとに、江戸、安土桃山を知ってから、大昔を知った方がいい」
わたしは時代の流れをなんとなくしか掴めてないし、戦国時代や新選組とか、歴史ものの小説に関してはまったく興味を持つこともできないし、あまり好きくない。
けど、ものの考え方や会社の戦略などは、その大昔の戦争で活躍した人たちの考え方はすばらしい!ということはわかる。
何がいけないのか?
なぜ、日本が戦争をしない国になったのか?
アメリカ側から見たら、「させないようにして、利用するため」かもしれないけど、たくさんの命が無残な状態になって、たいせつにしてきた田畑が、命の源になっていた河が、今もまだその後遺症が代々残って苦しんでいる人がいること。
だからこそ、こんな歌が書かれたような気もします。
わたしのくにと かのくにの ひとのいのちは おなじ
このあおい だいちのうえに おなじ せいを えたのに
ここくのつちを ふむことも かぞくとくらすことも
ゆるされない せんそうが なぜに いまも おこる
ひろしまのあるくにで しなければならないことは
ともる いくさの ひだねを けすことだろう
(「ヒロシマの有る国で」より)
わたしは、この「いくさ」のことを現代の人に伝えるなら「人を否定すること」のような気がするんです。
「ひだねをけす」ということは、「けんかをしたら、ちゃんと当事者同士で解決すること」だと思います。
「子供の喧嘩に親が出る」ということは、親の都合やめんどうな見栄、子供の本当の気持ちが消化できないようになってしまうような気がします。
しかし、大人同士のけんかは、いろいろな都合が逆にあるからこそ、何にも知らない人がものごとをまっさらに見て判断して、仲裁する方法を探すんだと思います。
どちらも、悪者探しはしていない。
「国が違くとも「生」を得たのはみな一緒」なのに、「だれかが犠牲になれば、じぶんの守りたい命が助かる」というのは、どうなのでしょうか?
だけど、自然災害だけは、その悲しみや苦しみをどこにも当てることができなくて、だから人は空に向かって、「祈り」をささげるような気がします。
第一産業者の人たちは、空を見て、祭りをして、お礼をして、じぶんたちが生きれているのは「お天道様のおかげ」と恨むこともせず、祈って、じぶんたちが生かされていることを感謝できてたんだろうなって思います。
日本語だけある「いただきます。」「ごちそうさまでした。」は、戦争に負けたからじゃない。
ずっとずっと昔からある「日本のこころ」のような気がします。
終戦記念日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」らしいですから。