フィリピンのほほん生活記ー朝焼けに染められて

フィリピン・タガイタイの景色と日々の出来事を綴ったブログです。

サボン(軍鶏)を持つ夢

2012年05月14日 07時59分01秒 | 動物

 

 本日のマニラ新聞

5月14日のマニラ新聞から

飛び交う札束、根強い人気

首都圏マラボン市にある「デルモンテ・コックピット」では、木・土曜日を除く毎日、
闘鶏が開催される。近くには鶏用の栄養剤を売る専門店もある。

 闘鶏場はボクシングの会場風。中央に四角い試合場がある。そこには砂がまかれ、
四方はガラス張りだ。だから、観客席のどこからでも、鶏の戦いぶりを堪能できる。
観客の大半は男性で、女性客はほとんどいない。

 入場料は闘鶏場ごとに異なり、試合の人気を見て、主催者が決める。
200ペソ程度の料金から、特別戦「ダービーマッチ」が開催される日は800ペソに跳ね上がる。

 オーナーの小脇に抱えられた鶏2羽が入場すると、観客から歓声が上がった。試合直前まで
賭けが行われる。試合前には鶏を互いに近づけ、戦闘意欲を高める。戦いの邪魔にならないよう、
鶏はとさかを切り取られている。

 2羽は、首の周りの羽毛を逆立て、相手を威嚇した。左足には、長さ約5~13センチの
「ガフ」と呼ばれるナイフがひもで結びつけられている。

 試合は片方が死ぬか、一方が戦意を喪失したとレフリーが判断するまで続く。
勝ったオーナーには賞金と、負けた鶏が与えられる。

 賭けの胴元はいない。観客同士が「ワラ」(なし)と「メロン」(あり)に分かれて賭けあう。
同額の賭け金で勝負できる相手を探し、賭けを成立させる。賭け金は勝者が総取りする。

 水平に指を動かすと100ペソ、下に出すと千ペソ、上に出すと1万ペソ単位となる。
まるで証券取引所の手サインのよう。例えば、600ペソの賭けは、指を6本水平に動かす。
次々と賭けが成立していった。

 賭けには、勝ち負けがつきものだ。首都圏パサイ市の闘鶏場をのぞくと、
ジョン・ガビロさん(43)が肩を落としていた。失業中で、娘(12)の学費を稼ぐために、
勝負にやってきたが、負けて、無一文になってしまった。かつて、
闘鶏で1日約14万ペソ(約28万円)もうけたことがあるという。

 闘鶏場には、主催者の許可を受けた「ベットテイカー」と呼ばれる仲介者がいる。
ベットテイカーは、賭け手に代わって、賭けを成立させてくれる。仲介料は、もうけの1割。

 すべて記憶頼りの賭けで、試合が終わると、現金を投げ合い、賭け金を回収する。
6万ペソ以上の高額の賭けもしばしば。高額紙幣を丸めた束が飛び交う。

 「デルモンテ・コックピット」のベットテイカー、ジュン・ガルシアさん(46)は
「闘鶏は紳士の遊びだ。賭け金回収にも、紳士としての信頼が大切だよ」と話していた。

 闘鶏場には「ガファー」と呼ばれるナイフ付け専門の職人がいる。
ロニー・バレンティーノさん(49)はガファー歴30年のベテランで、80種類のガフを
持っているという。「鶏の大きさに合うガフを選ぶには経験が要るね」と、自身のコレクションを
見せながら、笑った。

 試合に勝った鶏は、治療室に運ばれ、傷口が手当される。針と糸を使い、
傷口を縫合していく。麻酔はしない。傷口がうまないように、抗生物質が注射される場合もある。

 アントニオ・チェンさん(52)は、闘鶏のオーナーになってから7年。今は4羽持っている。

 チェンさんの鶏1羽はこの日、試合には勝ったものの、両足、胸、顔に傷を負い、
250ペソ支払って手当を受けた。「傷が治ったら、また闘ってもらう」とチェンさん。

 『フィリピンの事典』(同朋舎)によると、スペイン統治時代以前から、闘鶏は盛んだったという。
やがてカトリックの祝祭日に合わせて、闘鶏が開かれるようになり、比文化として根付いた。

 多くのファンがいる一方で、国際的な動物愛護団体からの批判の声も高まっている。
闘鶏関係者は批判に敏感になっており、首都圏にある数カ所の闘鶏場から取材を拒否された。

 「動物の倫理的扱いを求める人々の会」(PETA)は「闘鶏は残忍で、
今すぐ廃止しなければならない。伝統文化を口実にした残虐行為は許せない」と、手厳しい。
                               
                            (鈴木貫太郎) 5月14日のマニラ新聞から

 


 
 本日の日記

  2012年 5月14日(月) 午前4時 天候 晴れ 気温26℃ 湿度83%



 今朝は昨日と同じ4時起床、カメラ片手に屋上に昇る、夜明け前闇夜の写真を一枚、

撮って見たいのだ、昨日から撮ったのだが、夜明の雰囲気を、伝えるのに良いなと

感じたのです。屋上に昇って、殆ど感で位置を決めている。はっきり見えないのが辛い、

本日のマニラ新聞に、サボン(軍鶏)に、関する記事が目に付いた、フィリピン国に住み、

真っ先に目に付いたのが、戦後日本でも、盛んに行われた、闘鶏だったのです。日本の場合、

死ぬ事は殆ど無いのですが、フィリピン国の闘鶏はお互いに、足に刃物を付け闘うので、

負けた方が殆ど、死んでしまう。運悪いと両方が、死ぬ場面も何回もで食わした。

タガイタイには数年前に、闘鶏場が出来たのですが、それまでは葬儀費用捻出の為の、

臨時賭博場が出来るのを、待って居たのです。ギャンブル好きの、国民性が生んだ、理に叶う、

互助制度なんですね、貧乏で葬儀を執り行う事が、困難な人でも、葬儀ができるのですから、

昨日の午後畑に向かう途中、偶然サボンを抱いた、遠い遠い親戚の人間に出会ったのです。

 もっとも血縁者が多い、バランガイ(最小行政区)では石を投げると、血縁者に当たると、

思うほど親戚が多いのです。向こうからやって来ましたよ、顔も見るからにサボン似、

まるで親子のようです。カメラを向けると。良い笑顔で答えて呉れました。【笑】


 

 この男は前のバランガイキャピタンの息子、2007年7月に、シャブ事件で逮捕されたので。
この事件に関連の、2008年8月10日(月) 晴れ 朝5時30分の気温25℃の日記から、

 この所、日本での覚せい剤、蔓延の事件報道が伝えられますが、私の住む
フランシスコバランガイでも、キャピタンの息子が、昨年7月カビテ州ダスマリニャスで
逮捕されたのです。なんでもシャブを買い求めに行き、待ち受けたポリスマンに、
身柄を拘束されたのです。タガイタイよりトライシケルで出かけ、仲間2人と共に、
同時に逮捕されたのです。他の2人は即釈放されたのですが、馬鹿息子だけが
拘置されたのです。

 釈放の条件が30万ペソ(当時のレートで約70万円)ですが、かき集めた15万ペソ
(当時のレート約35万円)で泣き付き、2ヶ月後開放されました。

 この事件はフィリピン特有のセットアップ事件と聞いておりますが、日頃から
キャピタンの息子だと鼻にかけていたようです。
 
 キャピタンは来年で任期が終了するのですが、日本でしたら間違いなく辞職するか、
罷免要求が起きるはずです。でも此処はフィリピン毎月の手当てが魅力なんですね、
息子の保釈金の借金返済にでしょうか、(笑)

 

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
闘鶏 (ショウタ)
2012-05-14 08:33:45
おはようございます。

闘鶏はダニエルさんの住むカビテ州には多いですね。元来の博打好きのせいもあるのでしょうが、
鶏はフィリピンには欠かせないせいもあるのでしょうね。

確かに動物擁護団体から言わせれば、戦わせることは残虐かもしれませんが、
軍鶏そのものは戦うために生まれたと言っても過言ではないでしょう・・・。
それにしてもあの硬い肉はいただけませんが・・・(笑)
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逆アングルに。 (yu)
2012-05-14 09:33:10
おはようございます、ダニエルさん、皆さん。

夜明け前の闇が一番暗い、と言われてますが、
それでも朝4時の写真を拡大すると、左中央下から朝焼けが始まっているのが判ります。
これは直接見ると、もっとはっきり見えるのでしょうね。
我が団地の三階ベランダからは、望むべきもない風景です。螺旋階段の塗装工事も終わったようで、柱や手摺りが綺麗に写っていますね。あぁ~登りたい!!

昨日は青と深い霧、今朝はオレンジのグラデーション、良い立地環境ですよねぇ!
観光客はパラスインザスカイからタガイタイを眺望するのでしょうが、逆アングルにこんな風景があるなんて・・・。

闘鶏はYOU TUBEでしか見た事がありませんが、お金が賭かった場所は熱気がありますね。
チャンスがあれば一度くらい雰囲気を味わいに行ってみたいです。

返信する
闘鶏 (Yamachang)
2012-05-14 10:20:42
本日も美しい夜明けの写真、有難うございます。比国に関心のない方でしたら違った感想を持たれるかも・・・(笑

闘鶏は初渡比当時から承知してましたが殺生が極端に嫌いですので誘われても断り続けました・・・(汗

正義感で批判をしようとは全く思いません。世界各地では闘牛も闘犬もあります。私はどうしても血に弱いので、人の傷口の介抱も出来ません・・・(苦笑

数年前に知り合ったパンパンガのピノイは闘鶏を自宅で育てていました。今は交流がありませんが、彼の場合は金儲けより闘鶏そのものが好きな様子でした。
返信する
カナン!・カリワ! (きら)
2012-05-14 11:26:54
ダニエルさん、皆様お早うございます。

闘鶏はフィリピンに来てまだ間もない頃、親戚に連れられ一度だけ見に行きましたが、
手を口に当てツバを飛ばしながら、カナン・カリワと賭客を募る姿が印象的でした。
何故か勝った方に賭ていた時は、賭が成立していなく、負けた時は何時も賭が
成立していて、未だに意味が解りません。
私は何時もカワワでした。(笑)

妻の実家も下町なので、朝早くから近所で飼っている闘鶏の、朝の挨拶の五月蠅い事!
これがフィリピンの朝だと思いましたが、今となっては良い思い出です。
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闘鶏 (タガイタイ・ダニエル)
2012-05-14 11:36:52
ショウタさん・今日は、

 >鶏はフィリピンには欠かせないせいもあるのでしょうね。

 鶏を飼うのも好きですが、食べるのも好きですね、
朝から晩まで、頭の天辺から、指、あげくは、血液まで、【笑】

 >軍鶏そのものは戦うために生まれたと言っても過言ではないでしょう・・・

 私の育った家では父が軍鶏を飼っていました。
近所にも闘鶏場が有り、大人がより強い鶏を作る為、
交配させていやのです。フィリピンと違うのは、刃物は付けませんから、
負けても死にません。
でもその鶏は、負けぐせ付き勝負ぶには勝てないからと、
され食べられてしまうのです。
家では負けた軍鶏はよく食べました。その時子供心に、
軍鶏肉は硬くて噛みきれず、好きではありませんでした。
 所が大人になり、軍鶏が柔らかく美味しい事を知ったのです。
大人になる前の若鳥は柔らかく美味しいのです。
今までの硬いと云う、固定概念が崩れさりました。
 ショウタさん今度若鳥を食べて見ましょう。
坂本龍馬が好きだったと云う、
軍鶏鍋をフィリピンで味わいましょうね、
【笑】

 本日はいつもガラスの破片で、軍鶏の爪を鋭く研いで居た、
親父の顔と、あの時の日本の軍鶏の顔を思い出して、
コメントを書いて居ります。
返信する
逆アングルに。 (タガイタイ・ダニエル)
2012-05-14 12:08:54

yuさん・今日は、

 >それでも朝4時の写真を拡大すると、左中央下から朝焼けが始まっているのが判ります。

 ほんのり色づくのです。yuさんはさすがです。
あの色づきが強くなり、
朝焼けがが始まるのです。私は綺麗に色づいてくれと願うのですが、
空振りになるのが多いのです。

 >螺旋階段の塗装工事も終わったようで

 細かく観察されて居りますね、yuさんがお出に成られるまで、持たせないと、【笑】

 >青と深い霧、今朝はオレンジのグラデーション

 気がつきませんでした。今一度見直して見ます。今度から、太陽が右に移動しますからね、

 >逆アングルにこんな風景があるなんて・・・。

 かんがえたら180度違い、全く逆ですね、

 チャンスがあれば一度くらい雰囲気を味わいに行ってみたいです。

 yuさんがお出でになり時上手く、死人が出て、葬儀のある家が有れば良いのですが、
後は闘鶏場にに出向きましょう。

 
返信する
闘鶏 (タガイタイ・ダニエル)
2012-05-14 12:35:54

Yamachangさん・今日は、

 >美しい夜明けの写真、有難うございます

 朝4時の写真を撮るのが癖になったようです、【笑】馬鹿でしょう。【笑】

 >比国に関心のない方でしたら違った感想を持たれるかも・・・(笑

 きっと笑われていますよ、【笑】

 >殺生が極端に嫌いですので誘われても断り続けました・・・(汗

 優勢に見えても、刃物の刺さり具合で逆転も有るのです。
運が最大の勝因に思います。横綱と、十両の試合でも、
横綱が勝手に死ぬ場合も、偶に有るのです。

 >世界各地では闘牛も闘犬もあります。

 土佐犬の喧嘩も残酷ですね、闘牛だって角が折れる場合も、

 >私はどうしても血に弱いので、人の傷口の介抱も出来ません・・・(苦笑

 看護師さんにはなれないですね、血に慣れた女性向きの職業ですね、【笑】

 >闘鶏を自宅で育てていました

 私も軍鶏を飼ったら、喧嘩させないと思います。まして刃物を付け闘うのですから、
 
返信する
カナン!・カリワ! (タガイタイ・ダニエル)
2012-05-14 13:03:43
きらさん・今日は、

 >親戚に連れられ一度だけ見に行きましたが、

 サボンはどの相手でも闘う訳でなく、見合いが有るのです、
一番闘志を燃やした、相手を組ませ闘いさせるのです。

 サボンの体調も有るのでしょうが、闘志を燃やさないサボンは、
その日喧嘩は出来ないのです。【笑】

 賭が成立していなく、負けた時は何時も賭が
成立していて、未だに意味が解りません。

 相対で仲立人が居て掛ける場合、掛率が5分5分ではなく、
6分4分、
3分7分と人気の無いサボンにハンディが付くのです。
勝ち続けて、いましうたが、いかにも弱そうなサボンに負け、儲けも吹っ飛びました。
それ以来勝てません。

 >私は何時もカワワでした。(笑)

 冗談、ヨシ子さんです。同名の人の方が可哀想でしょうね、【笑】


 >これがフィリピンの朝だと思いましたが、今となっては良い思い出です。

 私が大阪に渡り何か寂しいと思うのは、サボンの啼き声が聞けない事ですね、
 
返信する

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