ふるさとの300年ほど前から続く潮干祭は、山車彫刻が豪華です。
新美常次郎(彫常)とか諏訪の匠、立川和四郎昌の彫刻で埋め尽くされて、側面と後面の幕は豪華な刺繍幕で、まさに「動く美術工芸品」で国の重要無形民族文化財になっています。
これだけの立派な山車はそうそうありません。
車ごとに違う、カラクリ人形が神前で舞を舞うのも見所ですが、5台の山車が、すごいスピードで回りながらぴたりと隣の山車にくっつける技には感動します。
この山車の車輪はまっすぐ進むだけなのでかじをとるのは山車の前についているとったい棒という(記憶では)という二本のかじ棒に掴まった数人の若者にすべてかかります。
90度曲がるときなど、地面のアスファルトがえぐれるくらい。この無垢の木の車輪は祭が終わると、また海の泥の中に埋められて保管されます。
昔は大潮の日に行われて、潮の干った海に男たちが山車をいれて曳きおろすという漁師町らしい荒々しい祭です。
「女」はご法度です。
過去に、何人も死人が出ましたが、祭で死んだら本望と言う土地柄でした。
5台の山車は、それぞれに組の特徴があり、囃子歌からかんばん(はんてん)まですべて違うのです。
また同じ組でも、役によってかんばんはすべて違います。
まるで1国を統治するように流れや役割が決まっていて、その体制は大昔から祖父から子へ孫へと伝えられてきたのです。
伊勢湾台風で、今の震災のようにやられてしまい、曳きおろしができなくなったのを、もう一度海に山車を!と海浜公園になった海岸に砂をいれ、再現したのです。
2日かけて、三社と県社の間を行き来します。
県社(亀崎神社)は神武天皇を祭神としています。
神武天皇が東征の折、この海から上陸したと言う伝説が残っている神社です。
今日は下の子を迎えにいって5人でいきました。
年々遠くからの観光客が増えて、特に今はウォーキングコースにも入っているようですごい人でした。
JRの駅(日本で現存する一部最古の駅舎)の前で保存会が記念グッズを売っていました。
絵はがきが10枚で200円と言う安さで驚き。
昭和34年、伊勢湾台風前の年、最後の曳き下ろしとなったセピア色の写真とかもはいっていてああ、もっと買ってお友達に手紙を出す時に使えばよかったと思いました。
小さい孫たちは暑さもあり「疲れた~」と文句たらたら。
車移動ばかりなので、歩くと言うことがこんな小さいときからダメです。
考えさせられます。
祭の掛け声「エーそれ~っ 前だ~前だ~」で、引っ張る綱に止まる同世代の子供たちが大声で掛け声をかけて力いっぱい引っ張る様子に、「たっくん、一日中ああやって引っ張って歩くんだよ!」と言うとじっと見つめていました。
孫たちは屋台のものを何でもほしがり大変。
食べ終わるともう帰ろうと言うので午後からの引きおろしも観ずに早々に帰りました。
こどもがいるので写真もあまり撮れませんでしたが、長女が手をひいてくれるので助かりました。
山車が行き来する通りには、家々に祭礼の提灯がつるされて、町全体が一年間待ち遠しくその日を迎えているというのがわかります。
こうやってまた何百年もこの祭を続けていくのでしょうね。
孫たちはようやく帰りました。
明日は用事があるそうです。
帰りたくないと上の子がグズグズいってましたが、なんとか帰りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/94/43c8d52babd61f4f33a8b1af5010ce83.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/69/597628f57bfedb5f7c63a672b75a926a.jpg)
新美常次郎(彫常)とか諏訪の匠、立川和四郎昌の彫刻で埋め尽くされて、側面と後面の幕は豪華な刺繍幕で、まさに「動く美術工芸品」で国の重要無形民族文化財になっています。
これだけの立派な山車はそうそうありません。
車ごとに違う、カラクリ人形が神前で舞を舞うのも見所ですが、5台の山車が、すごいスピードで回りながらぴたりと隣の山車にくっつける技には感動します。
この山車の車輪はまっすぐ進むだけなのでかじをとるのは山車の前についているとったい棒という(記憶では)という二本のかじ棒に掴まった数人の若者にすべてかかります。
90度曲がるときなど、地面のアスファルトがえぐれるくらい。この無垢の木の車輪は祭が終わると、また海の泥の中に埋められて保管されます。
昔は大潮の日に行われて、潮の干った海に男たちが山車をいれて曳きおろすという漁師町らしい荒々しい祭です。
「女」はご法度です。
過去に、何人も死人が出ましたが、祭で死んだら本望と言う土地柄でした。
5台の山車は、それぞれに組の特徴があり、囃子歌からかんばん(はんてん)まですべて違うのです。
また同じ組でも、役によってかんばんはすべて違います。
まるで1国を統治するように流れや役割が決まっていて、その体制は大昔から祖父から子へ孫へと伝えられてきたのです。
伊勢湾台風で、今の震災のようにやられてしまい、曳きおろしができなくなったのを、もう一度海に山車を!と海浜公園になった海岸に砂をいれ、再現したのです。
2日かけて、三社と県社の間を行き来します。
県社(亀崎神社)は神武天皇を祭神としています。
神武天皇が東征の折、この海から上陸したと言う伝説が残っている神社です。
今日は下の子を迎えにいって5人でいきました。
年々遠くからの観光客が増えて、特に今はウォーキングコースにも入っているようですごい人でした。
JRの駅(日本で現存する一部最古の駅舎)の前で保存会が記念グッズを売っていました。
絵はがきが10枚で200円と言う安さで驚き。
昭和34年、伊勢湾台風前の年、最後の曳き下ろしとなったセピア色の写真とかもはいっていてああ、もっと買ってお友達に手紙を出す時に使えばよかったと思いました。
小さい孫たちは暑さもあり「疲れた~」と文句たらたら。
車移動ばかりなので、歩くと言うことがこんな小さいときからダメです。
考えさせられます。
祭の掛け声「エーそれ~っ 前だ~前だ~」で、引っ張る綱に止まる同世代の子供たちが大声で掛け声をかけて力いっぱい引っ張る様子に、「たっくん、一日中ああやって引っ張って歩くんだよ!」と言うとじっと見つめていました。
孫たちは屋台のものを何でもほしがり大変。
食べ終わるともう帰ろうと言うので午後からの引きおろしも観ずに早々に帰りました。
こどもがいるので写真もあまり撮れませんでしたが、長女が手をひいてくれるので助かりました。
山車が行き来する通りには、家々に祭礼の提灯がつるされて、町全体が一年間待ち遠しくその日を迎えているというのがわかります。
こうやってまた何百年もこの祭を続けていくのでしょうね。
孫たちはようやく帰りました。
明日は用事があるそうです。
帰りたくないと上の子がグズグズいってましたが、なんとか帰りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/94/43c8d52babd61f4f33a8b1af5010ce83.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/69/597628f57bfedb5f7c63a672b75a926a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/be/5e78bdc2078b2cb399c577e66dc91577.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます