徒然なるままに

子供の頃から活字が好き。読んだ本のこととか日々の暮らしの中で感じたことを綴っていきます。

伊勢湾台風から50年

2009年09月26日 | 思い出
私の生まれた町は、海の幸に恵まれた漁港の町だった。
しかし一夜にして、大型台風がその姿を変えた。
明日横浜より昔この町にすんでいた義姉たちがくるので、懐かしい老舗の和菓子のお土産をと思い、久々海岸にちかい通りを走った。
以前は、「伊勢湾台風浸水位」という木札があったがいまはもう建て直しが進み見つけることができなかった。
一階の屋根に近いところまで浸水したが、この町は奇跡的に一人の死者も出さなかった。
早い時点で避難勧告が出されたらしい。
私は、高台に住んでいたので水の被害は考えられなかったが、さらに高いところにある小学校の講堂にどんどんと避難する人たちを見て、遊びのような感覚で避難したがり母にたしなめられた記憶がある。

そしてひどい風が吹いたあと、突然に風が止んだ。
外に出て空を見たら、雲間にぽっかりと穴があき夜空がみえた。星まで見えた。
これが台風の目だと教えられた。そしてしばらくたつとまたすごい風が吹いてきた。
このときの空の記憶は今も忘れられない。

一夜明けて朝になり、海岸の通りの町並みの浸水を知った。
日にちがたつにつれ、伊勢湾に面した名古屋市の被害のすさまじさを知ることになった。

同じ半田市内でも、死者がでなかったのは奇跡に近く、50年経った今年、あちこちで目にした被害写真で、改めてそのすごさを知った・・
名古屋市南区などはすべての水が引くまで120日以上かかったとTVでみて絶句した。
5000人を超える人たちが亡くなった。
近くの貯木場の大木が流され凶器となったという・・

この町も今は堤防ができ、昔の面影はない。
漁師もいない・・・

しかし、私の舌には、漁師だった祖父が食べさせてくれたでっかい蟹や、本蟹(本ワタリ)、シャコ、あさり、牡蠣、鰻、アナゴ・・数多くのおいしい海の幸の記憶がしっかり残っている。

たくさんの被害者の冥福と、残された人々の幸せを改めて祈りたい。

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2 コメント

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伊勢湾台風 (久子)
2009-09-27 21:13:49
そうでしたね。そうですよね。
私はちょうどその時二年間東京生活でした。
あとで父からいろいろ話を聞きました。
そうですか、あの水位の木札ももうないのですか。時が流れているのですね。
おじい様のおいしいお魚をいただけてsakkoさんは料理上手なのでしょうね。
災害が起こらない世の中だといいけれど・・

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この間まであったのに (sakko)
2009-09-28 21:36:02
久子さん
コメントありがとう!

天災には人の力は無力です。
特に、台風はね・・

山車祭りは、人口海浜作ってまで曳きおろしを再開したわよ!
またいらっしゃいね~
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