平和を!
アメリカ機は おれたちの晴れた空から落ち
侵略者どもは 墓場への道をたどる
わが国の人びとは 爆撃の穴を埋め
こわされた道を直し
さらに新しい道をきりひらく
そうしてその傷ぐちをいやしながら
祖国はその身に新しい肉をもりあげていくのだ
これは、スオン・ジウという詩人が書いた「アメリカ機の墓場で」(大島博光訳、『ベトナム詩集』)の一節である。「アメリカ機」を「ロシア機」に置き換えたら、ウクライナの詩人がやがて書くであろう詩と思えるかもしれない。ロシアの「侵略者ども」が敗れて、平和がもどってきたそのときに。
この詩には、次のような一節もある。
母と子が雨あられと降る爆弾の下で倒れる
子は泣き叫び 母おやは隠くれ場をさがす
おばあさんが 孫をかばおうとする……
ヤンキーよ こんな光景は人類の恥辱(ちじょく)だ!
「ヤンキーよ」を「プーチンよ」としてみたら、どうだろうか。同じような「光景」が見えてこないか。「残虐」ということば、「惨劇」ということばでも及ばないと思うむごたらしい「光景」のかずかず、それらを、わたしたちはいま目にしているのだ。
すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさ
となって焼かれる(旧約聖書「イザヤ書」9章5節)
子が笑い、母親が笑い、おばあさんが笑い、―みんなが笑い合える平和な世、怒りや憎しみが支配するのでなく、優しさと愛とがおおう世、それの実現を祈り続ける。
平和を!
●ご訪問ありがとうございます。
ウクライナの看護師の女性が、「五日ほど病院に泊まり込んで働いています。これは私の任務です」ーそんなことを淡々と語っていました。
一人ひとり何ができるか、何をするか、私にも迫ってくることばです。