祈りを、うたにこめて

祈りうた(いのち  気高いこころ)  

気高いこころ

 

 大関松三郎という詩人がいた。農民の子どもで、小学生のときにたくさんの詩を書いた。暮らしに根ざした、いや土に根を張った詩を書いた。有名な詩が、次の「虫けら」である。

 

虫けら

 

一くわ
どっしんとおろして ひっくりかえした土の中から
もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる
土の中にかくれていて
あんきにくらしていた虫けらが
おれの一くわで たちまち大さわぎだ
おまえは くそ虫といわれ
おまえは みみずといわれ
おまえは へっこき虫といわれ
おまえは げじげじといわれ
おまえは ありごといわれ
おまえらは 虫けらといわれ
おれは 人間といわれ
おれは 百姓といわれ
おれは くわをもって 土をたがやさねばならん
おれは おまえたちのうちをこわさねばならん
おれは おまえたちの 大将でもないし 敵でもないが
おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする
おれは こまった
おれは くわをたてて考える

 

だが虫けらよ
やっぱりおれは土をたがやさんばならんでや
おまえらを けちらかしていかんばならんでや
なあ
虫けらや 虫けらや

 

 彼は「おまえたちを けちらかしたり ころしたりする」と書く。書いて、農作業をするとき、土の中の多数の虫を殺すことに「こまった」とも書く。そして「おれは くわをたてて考える」のだ。自分が生きていくことについて。自分が生きていく時、他のいのちが犠牲になってしまうという、ぎりぎりの命のやりとりについて。
 「やっぱりおれは土をたがやさんばならんでや」と書いた彼は、深い思いをこめて「なあ/虫けらや 虫けらや」と呼びかける。葛藤するこころ、情けにあふれた心で、呼びかけるのだ。
 最後の五行は、涙が出てくる。生きることの意味を真剣に探ればさぐるほど、彼には他の命の尊さが見えてきたのである。
 食事をするときの「いただきます」というあいさつは、魚であれ、肉であれ、野菜であれ、果物であれ、「わたしが生きるために、あなたの命をいただきます」という意味がこもったことばだという。この詩は、切々とそのことを教えてくれる。
 大関松三郎は、十八歳で戦死した。日本が太平洋戦争で降伏する半年ほど前のことだった。彼の遺した詩集は『山芋』という。

 

 この詩を読みながら、己の欲望のために何の情けも無く殺戮(さつりく)をくり返すプーチンの軍隊を思う。尊いいのちを奪ってしまうことに理由などはない。いたみも罪意識もない、ただ野蛮なだけの軍隊である。
 大関松三郎の、そのこころの気高さを知ると、あまりの違いに心が張り裂けそうである。

 

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3月23日、ロシアの侵略が始まって1ヶ月になります。市民の犠牲者が増すばかりです。早くはやくこの侵略が終わりますように。

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