祈りを、うたにこめて

祈りうた(ココロ日誌  交歓年賀状)

交歓年賀状


1 二〇二二年
 二〇二二年の年賀状のやり取りも終わりに近づいた。わたしも差し上げ、先様からもいただいた。多くは、心にかけていながら一年間行き来のなかった方々との賀状による交歓である。お元気だったか、まだご活躍かと嬉しくなる。九〇歳になる方からの賀状は、特に心が弾んだ。
 一方、肉筆で何も書かれていない賀状もいくつかある。宛名も文面もみな印刷されたもの。気にかけてくださっただけでも有難いのだが、正直なところ「なぜくださったのだろう」という戸惑いもある。
  稲畑汀子の句に「年賀状だけのえにしもいつか切れ」というのがある。少しだけ頷いてしまう、恩知らずのわたしである。


2 二〇二四年
 葉書が値上げされるというニュース。これはいよいよ「賀状終(しま)い」が近づいてきたと、妻と感想を言い合った。
 すでにニ三年前から「今年で失礼します」という賀状をいただくようになっていた。賀状の代わりにメールでのご挨拶も増え始めている。私自身も、これまでのご厚情に感謝しながら、幾人かの方々に交歓のお別れをさせていただいた。
  コロナ禍の鉄条網をくぐって「自由世界」との行き来が始まった。この一年、実際に合って懐かしい人たちと言葉を交わし合う、あるいは、メールなどでやり取りを重ねるほうへと移っていくだろう。それでも、年末に「値上げされた年賀葉書」を買い、手間をかけて「交歓年賀状」を続けるだろうか。いただいた賀状をもう一度読みながら、ぼんやりと考えている。







★たんぽぽの 何とかなるさ 飛んでれば 
★いつも読んでくださり、ほんとうに有難うございます。

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