祈りを、うたにこめて

祈りうた(いのち  ケガしなかった?)

ケガしなかった?

 

 

私は茶碗をよく割る子どもだった

そのたんびに心が砕けた

罪意識がバラバラと床に散った

けれど母の罵声(ばせい)はなかった

「ケガしなかった?」 

それが最初の声だった

 

息子らもよく茶碗を割った

皿も割った コップも割った

そのたんびに背が縮んだように見えた

子どもの上目づかいは切なかった

「ケガしなかった?」 

母をまねた

 

 これまでに一度も茶碗を割らなかった人、皿を割らなかった人、コップを割らなかった人など、おそらくほとんどいないでしょう。日用の品々でなく、壺など高価な物を割ってしまった人もいるかもしれません。
 思わず手がすべったときの絶望的な感触。
 落ちて砕けたときのあの衝撃的な音。
 少し大げさに言えば、自分は過ちをおかす者であること、それを知らされた出来事です。さらに大げさに言えば、人生には取り返しのつかないことがある、そのことを教えられた出来事です。
 そのとき「だいじょうぶ、だいじょうぶ!」と言ってくれた母。「それより、おまえの手や足のほうが心配だよ」と言ってくれた母。
 たとえ取り消せない間違いをしでかしてしまっても、悪いと思う気持ちがあれば、そしてそれを言葉や表情や態度であらわせば、ゆるしはある―そのことも胸に刻んでくれた出来事です。
 私たちの「過失」は日常的に起こり、「ゆるし」もまた日々の暮らしの中に用意されています。「過失とゆるし」に焦点を絞れば、毎日の出来事はその連続、その堆積であるかもしれません。
 その奥のほうに「悪」や「罪」は根を張っています。芽を吹きだそうと待ち構えています。けれど、それがもしも露わになったとしても、悔い改めれば、そうしさえすれば、「神の赦し」は、天に広がっているのではないかと思います。創世の時からずっと。

 

 

●ご訪問ありがとうございます。

 ロシアの侵略のことを思い浮かべながら書きました。すでに何万人もの命が失われてしまいました。取り返しのつかないことです。
 しかし、と思います。
 今こそ罪を悔い、悪を止めてくれ! と。
 たった一人の侵略者、それを取り巻く同類の者たち。
 今こそ罪を悔い、悪を止めてくれ!
 赦しの神が見ておられる! と。

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