諦めない 2
二月二十一日の記事として「引き金」という詩を投稿しました。ロシアの軍隊が、ウクライナへの侵攻の動きを見せたときです。
引き金
引き金を
つくるひと
引き金を
ひく人
引き金をつくれ と
命じるひと
引き金をひけ と
命じるひと
その引き金で
死んでゆくひと
死んでゆく人を
テレビで眺める
あなた
わたし
二週間経って、ウクライナの状況は悪化し続けています。惨状(さんじょう)を伝えるテレビの報道が、むごたらしさを増しています。日本で、家族の生命が脅(おびや)かされる状況を見つめている在ウクライナ人の、その呻(うめ)きにも似た声も聞こえてきます。
わたしは、といえば、「引き金」の最後の「死んでゆく人を/テレビで眺める」だけの「わたし」です。
しかし、傍観者でいたくない、と思います。「ちゃんと見よう、見つめ続けよう。ちゃんと聞こう、聞き続けよう」と、自分に言い聞かせています。アンテナは鈍く、受け入れ範囲も狭い、そんな者ですが。
そして、祈り続けています。
見よ。主(神)の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。(旧約聖書「イザヤ書」59章1節)
この神さまに希望をおいています。助けを求めています。そして、「引き金をひけ」と命じることをかたくなに止めない者へ、「ノー!」と声をあげていこうと思います。
●ご訪問ありがとうございます。
避難するひとたちのコロナへの感染も気がかりです。いちどきに襲い掛かって来た不幸のように見えて、心がほんとうに苦しくなります。
けれど諦めません。諦めたら、そこでおしまいになってしまうからです。