東北とウクライナと、そして希望と
二〇二一年の十月に「晩鐘(ばんしょう)」という詩を投稿した。この詩は二十年以上前に書いたものである。
そのときわたしは、仕事で地方へ出張していた。駅前でバスを待っていた。するととつぜん、一羽の鳩が落ちてきた。まさに落ちてきたのである。そして短い時間もがいたあと、そのまま動かなくなった。わたしは、鳩が落ちるところを初めて見た。目の前で死んでいく鳥の姿も。衝撃だった。
この詩は、その光景をもとに書いたものである。
晩鐘
一羽の鳩が地に落ちた。
墜(お)ちることで一つの意味になろうとした。
だが もはや地に墓はなかった。
至るところが墓穴であったから。
鳩の心臓から流れでた血が かつて
洪水(こうずい)となって地を覆(おお)ったという伝説。
〈神〉とか〈愛〉とか 謎めいた言葉が
まだ人びとの慰めになっていた。
しあわせも不倖せも
とどのつまり 寂寥(せきりょう)である。
夕映(ゆうば)えのなかに浮かびあがる
土気色(つちけいろ)の岩山。
そこに
鳩が夢見た小さなちいさな金の十字架。
その後、東日本大震災が起きた。続いて、コロナが世界を襲った。今、ウクライナでの惨劇がおさまらない。ウクライナにかぎらず、争いは他の国・地域でも続いている。現実となったむごたらしさに、ふかいかなしみが湧きあがる。
「平和の象徴」といわれる鳩が地に落ち、わたしたちは苦しみを味わってきた。どれほど多くの人が傷つき、亡くなっただろう。お墓に埋められない亡き人の姿も目にしてきた。愛は凍(こご)えている。神はどこにおられるのかと、うめきたい思いになるかもしれない。
けれど、この詩を書いたときも、さらに困難を深めてしまったかのような現在でも、わたしは諦めない。
平和はきっと来ると、平安はきっともどってくると、私は神に期待するのだ。
●ご訪問ありがとうございます。
今日は3月11日、東日本大震災11年の日です。当事者の方々にとって、つらい一日であるかもしれません。
報道が減ってきました。けれど、忘れたくありません。覚え続けていようと思います。
夢に出てくる家族の一人ひとりが、
その夢を語る遺族の一人ひとりが、
「まだ終わってなどいない」ことを
わたしに告げています。