祈りを、うたにこめて

祈りうた(聖句つれづれ  鎖からのほどきー「長血」の女性 全五回の五)

聖句つれづれ 鎖からのほどきー「長血」の女性 全五回の五



そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。
彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。
彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。
イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」 すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」 しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。
彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」
(「マルコの福音書」五章、新改訳聖書二〇一七年版) *緑字は、今回の中心となる箇所。

〈要約〉長い間婦人科系の病を患っていた女性だが、「治りたい!」という強い気持ちを保ちつづけてきた。ある日、イエス・キリストの癒やしの力を知った。そしてそれを信じた。勇気を出してイエスに近づいたとき、彼女は信じたとおりに癒やされた。それだけでなく、心の葛藤からも社会的な縛りからも解き放たれた。信仰をもってイエス・キリストにすがる、そのことで救われた、という物語である。



さらなる癒やしと祝福




 イエスは、「自分の衣に触れて病が治ったと実感した」女性を探された。弟子たちが、自分を群衆から守ろうと張りつめている中で。
 私はここに、イエス・キリストの深い優しさを感じないではいられない。イエスは、自分に助けを求めてすがってきたこの女性を心に留めてくださったのだ。信仰を通して出会った女性を、「だれがわたしの衣にさわったのですか。」と尋ねることで、これからもずっとつながっていこうとしてくださったのである。
 信仰は神と一対一で出会い、交わることである。クリスチャンは、祈る言葉として、最初に「天の父なる神さま」「主なるイエスさま」などと呼びかけるが、その瞬間から、この世にいるのは神と私だけになる。神である「あなた」と、人間に過ぎない「わたし」との一対一の関係になるのだ。静かな、深い、濃い時間をともに過ごす関係に。
 自分の衣に触れた人は誰かと探されたイエスは、まさにこの一対一の関わりを取り結ぼうとされたのである。


 「彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。」とある。病を癒やしていただいたが、自分はとんでもないことをしてしまったと、おびえたのだろう。周りはヤジウマばかりだ。何事かと興味津々(きょうみしんしん)である。口を開くことにも勇気が要っただろう。なにしろ、ほんとうのことを言ったら、興味津々のヤジウマはたちまち、石を投げつけかねない非難者に変貌してしまうのだから。それ以上に、目の前におられる尊い御方の衣を触ってしまったのである。どんなお叱りを受けるかもしれない―と、恐ろしくなったと思う。
 彼女は、おずおずと語ったろう。まだほんの数分前までの自分自身とのあまりの変化に驚き、とまどいさえしながら。しかし、「癒やされたのだ」という歓びと安らかさを心のずっと奥のほうで感じながら。
 イエスはじっときいておられた。おそらく微笑みながら。そして言われたのだ。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。」と。―わたしが癒やしたのではありません、娘さん、あなた自身がわたしを信じて癒やされたのですよ、と。
 「娘よ」という呼びかけのなんという優しさ。いつくしみの深い、愛に根ざした言葉であることか。あなたのこれまでの全部の苦しみをすべてわかった。どれほどつらい思いをしてきたことだろう、ほんとうにたいへんだったね―そういう慰めに満ち満ちた言葉。
 この対話を、ヤジウマたちも聞いていた。「長血」が癒やされたのであれば、忌み嫌うべき宗教上の理由は消える。もはやこの女性を冷たい眼で見たり、さげすんだり、遠のけたりすることはできなくなる。―イエスは、群衆の中で、人々の前でこの女性に告白させることで、社会への復帰も遂げさせたのである。
 最後にイエスは言われる。「苦しむことなく、健やかでいなさい。」
 十二年間の病は終わった。人々からの忌み嫌われも終わった。自分自身の心の葛藤も終わった。―そう宣言された。
 ―あなたはこれから、あなた自身の人生を、こわがらずに、安心して、健やかに、堂々と生きていきなさい。わたしはあなたと出会ったのだ。これからもあなたと一対一でつながり続けよう。あなたはもうこの世で独りぼっちではないよ。だから、あなた自身のかけがえのない人生、替えのない、あなた自身という存在。それを大切にして、笑顔で生きていきなさい。
 そして、これまでの疲れが薄まってきたら、救われた歓びと感謝をもって、あなたの周りの人々にも目を向け、心に留めなさい。特に、あなたのように苦しんできた人々のこと、つらさの中で弱っている人々のこと、かなしい寂しい孤独な人々のことを思いなさい。声にならないか細い声に耳を澄まし、しっかりとききなさい。それらの人々に、あなた自身の声や言葉でグッドニュース(福音)を知らせながら、与えられた時間をていねいに豊かに生きていきなさい。
 「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。」  




★祈り求めるものはすべて得たと信じなさい。その通りになる。(聖書)
★いつも読んでくださり、ほんとうにありがとうございます。
五回の連載になりました。文章の量が多くなったので分けました。もしできれば、五回通して読んでいただければうれしいです。
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