祈りを、うたにこめて

祈りうた(いのち  雨  地続きの暮らしの尊さ)

 

 

(はげ)しい雨のなか

娘は保育園へ子どもを預けにいく

息子は職場へ働きにいく

きのうしたことを

きょうもする

 

烈しい雨の下

どくだみはぴんと葉を張り

花を十字に広げる

きのうしたことを

きょうもする

 

雨が烈しい以外

きょうも特別なことはないよ と

にっこりわらいながら

 

 

 

地続きの暮らしの尊さ

 

 

 かつて私は、毎日が凡庸(ぼんよう)であると思うときがあった。昨日の次は今日、今日の次は明日、そのつながりに意義を見いだせず、虚しさや疲れを覚えるようなありさまだった。労働にも、友だちとの交わりにも感動がない、そんなよどむ心が支配していた。
 そのくせ、自分から能動的に働きかけるのでなく、内心では、いつか・誰かが座り込んだ私を起こし、光のなかへ引っ張り出してはくれまいかと、そんなぼんやりとした期待を抱いていたのである。
 日常の肌を手さぐりしながらも、がしっとつかみきれない心だった。
 いまロシアの侵略にさらされているウクライナのひとたちを見るとき、日々の暮らしがどれほど重たく、大切なものであるかを知らされる。昨日と今日が地続きであることは当たり前ではないのだ。むなしいことではないのだ。それどころか、ほんとうにほんとうに尊いことなのである。

 

 

 

●ご訪問ありがとうございます。
毎日は変化に富んでいます。決して平凡なものではありません。だから、何の変化もないむなしい毎日、という気持ちに落ち込むことはできません。
昨日と今日は確かに地続きである、一日いち日変化はあるけれど、しっかりとつながっている、そういう実感をもった暮らしをしている大勢のひとたち。そのたくましさ、笑顔はいいなあと思うのです。

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