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ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

荏原七福神第4話 探訪隊は二国を渡る  

 本日は8日である。松飾りは7日までという慣習からいうと松明けということになる。つまり、お正月は終わったのである。あああ、もうヾ(≧へ≦)〃。なのである。あとは、今年の大晦日を迎えるだけである。早いものだ。一年は。
 荏原町までたどり着いた探訪隊は、いよいよ国道一号線、地元民からは二国と呼ばれている国道を渡ることとなった。一号線が何故二国と呼ばれるのかというと、海寄りには東海道に沿った国道15号線が横浜と東京を結ぶ道として京浜国道として開通していたため、二つ目の京浜国道として当たり前のように第二がついたのである。なんのこっちゃw ちなみに第三京浜もあり、ここよりさらに内陸部の上野毛・玉川ICから横浜の三ツ沢間が昭和40年に有料道路して開通している。
 第二京浜は昭和9年に東京五輪に向けて計画された道路であったが戦時のため一度工事が中断し、戦後の昭和33年なって完成するに至ったという完成までに24年もかかったサイドストーリーがありそうな道なのであるが、地元では単に二国で終わっている。「ねえねえ、あの道はね、戦前にね、日本が初めてオリンピックを誘致するときに計画されたんだけどね、オリンピックが来なくてさ、結局、戦争のせいでできるのが遅れたという因縁のある道なのよ、分かったぁ」なんて言ってくれた人は、いまだかつていないである。かわいそうな二国である。でも、じつはお年の方ならご存じのフランク永井が歌うところの「夜霧の第二国道」で有名なのだよ。高速道路のない時代に片側3車線の道を横浜へ外車のスポーツカーで飛ばすというのは、憧れだったのかもしれませんな。ついでにいうと、なんと同名の映画があった。1958年というから昭和33年であり全通した年である。このストーリーと出演者がまた、すごい。 ()内が役名で、小林旭が(ジョージ倉田=ハワイの二世)フランク永井が(フランク永山)香月美奈子(アイリン原)岡田眞澄(シドニイ岡)と二世の方々がずらりと並ぶのだ。もちろん、主題歌はフランク永井さんですね。ストーリーはgooのシナリオを読んだが、カタカナの名前と地名で混乱w。なんともいえません。ご興味のある方は、ぜし、http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25623/story.htmlを読んでください。監督は宇宙戦艦ヤマトの舛田利雄である。
 ということで、まだ、話は二国を越えていない。今度は弁天様が怒っている。いかん。さ、信号をよく見て渡りましょう。三軒通りを大井町方向に品川用水跡を跨いで100mほど行った左側に上神明天祖神社があるのだ。弁天様は、神社内のかわいい池に浮かぶ弁天島にいらっしゃるのである。さて、ここで上神明天祖神社には下神明天祖神社という親戚神社があるようなのである。その昔、立会川沿いのこの地域は蛇窪と呼ばれており、その蛇窪が上下の村に分かれたことから、各々の村の鎮守として分祀したのではないかと推定されているそうだ。一説には鎌倉時代の森屋氏が土着になってからの創建とも言われる。また、同時期に大干魃、飢饉がおきた時、大森厳正寺の法密上人がこれを黙示できず同寺の戍亥(じゅい)の方向の森に雨乞いの祈願をし、赤誠と心霊の冥助により雨が降り危機を逃れた。それに感激した北条時千代が勧請して天祖神社の縁起ともいわれているのだ。感激は重要であるね。
 弁天様、弁財天は、富貴開運に御利益がある。元は大黒天と同じくインドからのご出馬である。あの梵天又は帝釈天の妃で、サラバティー(聖なる河)の神格化した女神であるので、水に関係したところに多いのであります。有名なのは江ノ島ですかね。
 弁天様の写真を撮っていたら、なにかが落ちてくる。見てみると銀杏である。なんか、臭いなぁと思っていたら、その原因も銀杏だったのだ。探訪隊員の話によると、この状態で土に埋めて、一週間もすると回りの実が落ち銀杏の種子が出てくると言う。さわったが、なんかそんな気がしなかった。今度、試食させてくれるというので期待である。隊員はいい人なのである。加えて、天祖神社では、御神酒が2種類あったのだ。甘口と辛口。これで、通算、4杯目である。ありがたやなのである。
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