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ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

やらずの雪

 なんのことはない京浜急行が立会川で人身事故との報。大門で電車に乗ったわいいがいっこうに発車しない。なんやかやして、雨も強くなっているだろうと、ここはタクシー奮発と一駅前で降り、もし降ってなければ食後の散歩、雨が降っていたら予定通りタクシーでと戸越銀座を降りて地下から外へ出てみれば、ありり、牡丹雪がぼたぼたと。一瞬にして歩く気力失せ、赤い空車のLEDを探す。
 乗ってみたらこの土地不案内という運転手。言葉もどこか変わっている。中国訛り!聞いてみたらハルピンのご出身だそうな。北京のさらに北。寒い土地だそうで、この冬の東京の寒さもハルピンからみればたいしたこと無い。こちらは、ハルピンといわれ、日本軍のした蛮行を思い出し、なぜか謝る。すんません。運転手は、いや~とそれ以上は話さず、ゆきつもりますね。あすあさまでふるとこまります。さむいのいやですよ。と話をずらしてくれた。この雪、今の時間、すでに1cm以上積もっている。
 そう、今日の話題は最近霜柱見ないねとう話題にしようと思っていたが、雪のお陰で閑話休題。でも、写真だけは昨日撮ったもの。賞味期限切れになる前に、ごらんにいれておく。こいつら、雪の下でまた大きくなりそうだ。
ついでにダイエットは、リバウンドを迎えております。解禁と同時にホルモン、中華、豚入りスープカレーに本日は、昼にミックスフライ、夜は軍鶏と黒豚の店!しっかり、増えておりますので、明日からおでん生活に戻ろうと思っておりますのでよろしくお願いします。

コメント一覧

ごまさ
ほんとに見た
タイはバンコックの市場での出来事です。市場なのでお魚を売っていたお店だと・・うう、すいません、記憶があいまいです・・。その市場の人にソフトクリームみたいなものが食べたいのですがと英語で聞こうと思ったのですが、英語音痴の悲しさ。結局、冷たい、こんな棒のような、冷たい、氷」というようなことをジェスチャー混じりで聞いたら「お~~、フロストカラム」と言って見せてくれたのが、ソフトクリームではなく地面を指したのでした。

 あああ、そこにあったのは、確かに「霜柱」。お魚問屋なので始終店周りは氷が一杯なのでしょうか、ななんと、地面に霜柱が。これこそがポーン・ピングワット博士がご研究されていた「タイの霜柱」だと今回の記事で認識した次第です。市場の人も霜柱を指しながら「百ワット」とあの当時騒いでいたように思います。それがピングワット博士のお名前だったのでしょうか?この夏、またタイに参りますのでその時、確かめて参りたいと思っております。
ハバロスク氷ん子
いま大人気
乾燥霜柱の製法を知っている人が、樺太にいます。内幌という町が樺太にあるんですがご存じでしょうか?このブログを見せていただいて、祖父にアシュア族ってという話をしたら、樺太時代にアシュア族の末裔と帝国燃料興業であったことがる、その時に笑い話で「乾燥霜柱」のことを聞いたと言っています。でも、祖父も92歳なので記憶も曖昧です。アシュア族の方の名前だけは覚えております。確か「コーライトビッチ」ということです。いっそ、これをお書きになった方で、樺太アシュア族のさらなる末裔の方と会いに行くというツアーを企てていただくと祖父も行くかもしれません。是非、きかくしていただければと存じます。こちらのブログのご発展をお祈りしております。
星子
シベリアの夏
 あ、「乾し霜柱」、知ってます。私、去年の夏休みにシベリア鉄道に乗ったんです。そして社内販売でビールのおつまみに乾した帆立の貝柱を買ったら、その乾し貝柱、「乾し霜柱」っていう名前だったんです。あら可愛いと思って販売員の人に思わず「可愛い名前ですね」って言うと、その人が名前の由来を説明してくれたんです。それがまさにアッシュ族と霜柱の干物とシベリア隕石の話しでした。その話はロシアの人は小学校で習うので、みんな知っているそうです。

 ちなみにモスクワ大学では乾燥霜柱の製法の研究を続けているそうですよ。いまのところ霜柱は無理なんだけど、コーヒーなら冷凍して高熱で瞬間的に乾燥させるところまではできたって、大喜びしてるそうなんです。でも、それって、ただのフリーズドライ製法っていうんですよね。

ほいほい
ご苦労様
牛夫も所長もご苦労様です。御説、拝聴賜りましたが、私は、タイの博士の説に与するものであります。また、新たな情報としてシベリアでは霜柱も大きなものになると一本が直径1cmにもなるという。それを乾燥させて、干物化させたものが「乾し霜柱」でシベリア原住のアシュア族の夏の乾燥期の貴重な携行飲料であったという。しかしながら、アシュア族がシベリア隕石で全滅したために、その製法と使用法は謎に包まれたままなのであるそうな。これが、現存する技術となれば、ノーベル賞ものであると思われる。
日本地下水生態研究所
霜柱減少についての研究から
 霜柱が見られなくなった理由については、これまで二つの説があります。

 一つ目の説は、都市化が原因というものです。都市化というと、アスファルト舗装によって土が見られなくなったのだから当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、そういうことではないのです。また都市化による温暖化ということとも違うのです。たとえば零下3度という同じ気温のもとでも、都市化するにしたがって、同じ土の単位面積あたりの霜柱の数が減っているということなのです。

 この説は、1996年にポーン・ピングワット博士というタイの地質学者がバンコクで行なった調査を基に論文で発表したものなのですが、都市化による霜柱の減少の理由としてあげたのは次のようなものでした。

 「霜柱というのは、一見したところ簡単にできそうに思えるが、あれはあれで当人の水にとっては柱となって地表に立ち上がるためにはそれ相応の技術と体力を要するものである。しかるに都市化によって霜柱を作れる土の面積が減ってくると、その技術も披露する場がなかなか得られないということになる。いきおい、霜柱として身を建てる技術を苦労してまで身に付けようという若い水たちが少なくなり、幸いまだ土として残っている土地の中に居る水も、せっかくの寒い朝にも寝転んだままなすすべがないということになる。したがって都市化によって単位面積あたりの霜柱の数は減らざるを得ない。」

 当時この説は地質学会でも評判を呼び、ビングワット博士も一時はノーベル地質学賞の有力候補としてとりざたされたのですが、あるときワシントン・ポスト紙の科学担当記者が、そもそもバンコクで霜柱は立つのだろうかと疑問を投げかけたのをきっかけに、データの捏造ではないかとの疑惑が巻き起こり、結局ノーベル賞の受賞はならなかったという曰くつきの説であります。

 もう一つの説は、我々「日本地下水生態研究所」が研究しているもので、霜柱の減少は温泉の掘削が原因ではないかというものです。

昨今では温泉掘削技術の進歩と癒しブームが相まって、都内やその近郊では温泉の掘削が盛んに行なわれています。 温泉は、地熱で温められた地下水が地表に湧き出たものですが、その水はもともとは地表に降った雨が長い年月を経て地下深くまで到達したもの。それをどんどん地上にくみ上げるものだから、地下深く眠っていた水の需要は急に高まっているわけです。するとその情報は、地中にある水にすぐに伝わります。「おい、もっと深いことろじゃ、オレたちの需要も相当高いらしいぜ」という具合です。そして温泉として地表にくみ上げられた水は、たくさんの人に喜ばれているという話ももちろん聞こえてきます。

 雨として地面に吸い込まれた水の行き先は、地下深く潜って温泉になるほかには、浅いところを横に伝わって川になったり湧き水になるか、植物に吸われてその身体の一部になるか、蒸発するのを待つか、それともただなんとなく地中に留まっているかというぐらいですが、こうして地下深いところでの需要が高まるにつれ、どうせならそっちへ行って温泉となって人様にも喜ばれようとする水が増え、地表近くに留まって冬の何日かだけ霜柱になろうという水が少なくなったのではないか。そのために霜柱が減ったのではないか。これが私たちの研究所の立てている仮説なのです。

 これはもちろん現在のところは仮説にすぎませんが、私たちはこの仮説の実証するため、近々、地下にいる水にアンケート調査を実施する計画です。長い年月をかけても地下深く潜り温泉となりたいか、それとも地表近くに居て、その時々の気分で霜柱になったり果汁になったりと気ままに暮らしたいか、などの人生に対する意識調査のようなものをです。
牛お
タイトル?
昨晩は住む街により まちまちですねぇ。 雨じやぁじやぁの下町だったり。雪降り山の手だったり?確かにかくれんぼ霜柱 久しく目にしませんでした。コンクリートだらけだし。中国人の運転手!??ホントすかぁ?怪しい! とうとうタクシーまで偽装すかぁ?しかねないなぁ・・・・でも、CIO微酔いでどうせ白タクに捕まったのでは?(笑い)
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