ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

荏原七福神裏巡りレポート(その一)

毎年恒例の荏原七福神巡りであるが、まともなレポートは毎年しているので今年は裏七福神と称して、一味違うレポートにすることとしたのである。 七福神巡りのコースは立会川沿いに6.5kmにわたり、ほぼ上流から下流に向かって並んでいるのであるのはご承知のごとく。よって旗の台の自宅はこの荏原七福神巡りでいうと中間点くらいの場所であるので、一気に攻めるとなると西小山か大井町かどちらかからスタートしなきゃいけないのであるが、今年はサッカー部後輩の&君と一緒なので巡り終わったらお疲れさん会ということとなると大井町だろうということで、自動的に出発点は小山八幡宮に決定となり、2時半に旗の台から出発したのである。
しかし、まず最初にお参りをしたのは、自宅から一番近い「旗が岡子育て地蔵」なのである。
  
                                                                                ©ando

ここは昔、写真の右側に池上電気鉄道の「旗が岡駅」の駅前広場があったところで、今の「旗の台駅」からは五反田寄りに約100mほど行ったところ。ちょうど文教学園の体育館の裏手になるのだ。たぶん、駅に乗り降りする人にも拝まれていたのだと思われる。
地名的には、「旗が岡」は源氏の頃からの地名であり、当然ながら古いのである。旗の台というのは、東急に池上電気鉄道が買収された後の昭和26年(ワシが生まれた年ね)に大井町線との乗り換えが便利なように現在の場所に移動したことで命名されたのである。今は旗の台駅側が商店街の体をなして、昭和医大に向かって人通りも多いのであるが、当然ながら駅があった頃は、こちらがメインの商店街で名前も「旗が岡商店街」。今もちゃんと残っている。しかし、ほとんどが焼鳥屋さんとかであるがね。
たぶん鉄道ができる前の昔から旗が岡駅前に鎮座していたのが、この子育て地蔵で、地元の人(たぶん旗が岡商店街の方々)がしっかりと守っていてくれているのだ。ワシも子供ができてから20年以上もこちらにはお参りをしているのだが、七福神巡りの裏版として旗が岡という地名とともに紹介するのである。なんと、「その一」は七福神巡りをする前の話で眠くなったので終わりである。
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