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隔月刊でアメリカ最大のバルーンメーカー『パイオニアバルーン社』が全世界のバルーンメンバーに
無料配布するバルーン雑誌『IMAGES誌』の中に昔なつかし顔が出ていた。
ピーターとジョージ、彼らとの出会いは21年前にさかのぼる。
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私が30才の時にアメリカ、アナハイムにあるテーマパークに行く事になった。
お客さんが入る正面入口からではなく関係者ゲートからです。
当時、「日本とアメリカで同じテーマパークで同じ業種の仕事をする業者と話がしたい」と日本側のテーマパークの最高責任者(アメリカ人)に無理を承知で話をしてみた。当時はメールも無く、テレックスで日本からアメリカにその要求が流された。アメリカサイドはそれを快く了解してくれて、私の念願でもある日米合同バルーン技術会議が夢叶ったのです。その時にアメリカサイドで私のためにセッティングしてくれたミーティングのバルーン業者は3人でした。その中のひとりがピーターだったのです。いろいろ書きたいのですが文章があまりにも長くなるので次回改めて。その後、ピーターの会社『バルーンヘブン』に行きジョージを紹介してもらった。当時のアメリカの主流であった装飾技術(バルーンデコレーション)はまだ日本で誰も行なっていなかった時期です。そして、私が独自で開発したバルーンアトラクション(バルーンを使った特殊効果演出)はアメリカではまだ誰もやっていない技術でした。お互いの持ってない部分を共有し日本とアメリカの同じテーマパークでその技術を披露出来るようにもなったのは事実です。あれから20年、今回ピーターが紙面に現れ非常に懐かしく、興味もあったのでうちの会社の貿易担当に4ページに渡る記事を翻訳してもらった。タイトルは『成功の道』ピーターが今このような記事を書けるのは私自身も嬉しく思います。
お互い20年間の歳月をバルーンで生きて来た、生きて来れた友人がいる事を。
この記事を翻訳した文章を別ページにアップします。
バルーン業界の人達は是非一読ください。
「この翻訳を読んでいると私自身の考えとかぶる部分が非常に多い事に気がつく」
http://www.discusroom.com/balloon_images.html
彼らはその後、ロサンゼルスオリンピックの開会式、ワールドカップ等アメリカにおけるビックイベントで私が教えたバルーンアトラクションの技術を使い華やかな演出をやり遂げた。
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