どうも、ご無沙汰しておりました!dontenです。
さて、この前なのですが本当は名古屋に行く予定でしたがなぜかその日はいく気になれなかったので家でゆっくりしておりました。
ただ、天気が良かったので外には出たいと、唐突に懐かしさがこみ上げるという少しよくわからない精神状況。
どうしても、昔のなじみのある場所に行かないといけない、そんな気がした。どうしていかないといけないのか、どこに行かないといけないのかさっぱりわからなかったが、どうしても行かないといけないという強迫観念はあった。
天気、もしかしたら雲一つない晴天で、しかも平日で人がいない状況、こうして昼の空をじっくり見上げたのは何十年ぶりだったからかもしれない。
野暮用でコンビニへ寄った際に、鈴鹿山脈を見ると雪が積もっており、懐かしさのあまりあまり深く考えずに車を走らせること20分あまり、dontenの母校(?)、幼稚園の近くを通った。
遠目に見たからかもしれないが、ずいぶん小さく感じたのです。
とはいっても5年以上前に幼稚園は場所を移しており、幼稚園とは言えど跡地なのだが、校舎が残っていた。
どうしても近くで見たくなったdontenは、近くに車を止めて歩いた。
廃校で人がいないとは言えど、私有地であると思われるので中までは入らず道からよく見ようと我が母校を眺めた。
入口。よく遊んだ木が目に入る。昔から変わらないな。木の根元に「世界人類が平和でありますように」の柱がたっていた。これも昔のままだな。
校舎の廊下。昔は先生がよく掃除をしていて床もぴかぴかだったのに、、天井やらに蜘蛛の巣が張っていた。時間がたつってこういうことなんだと思った。
中庭(?)、とりあえず外。木を伐採したからかかなり日当たりがいい(そのおかげで道から見えたのだが)。あと気になったのが砂場以外の(砂場はあるかどうか見えなかった)遊具が一切なかったこと。新しい校舎に持って行ったのだろうか?
校舎。人がいないだけあった。少し不気味。靴箱もすべてカバーしてあったし。一番気になったのは、こんなに校舎小さかっただろうか。ということ。
昔の自分にとっては、家にいる以外の、、もう一つの世界といってもいいほどいろいろ見て感じて聞いて、とした処だった。もっと広かったと思うんだけど。今でもはっきりとまではいかないが断片であれば結構覚えている方だと思う。
おやつの牛乳が脱脂粉乳とか、ご飯食べるの遅くてよく怒られたり、食器返却でミスって怒られたり、当番がいつもおんなじこと組んでいたり、弁当箱がたこさんだったり、友達とよくネットシーソーしたり、ままごと、お人形のおもちゃのドアが一個しかなかったり、幼稚園のお祭りのうちわにカレーこぼしたり、みんな木登りできるのに自分だけできなかったり、はないちもんめしたり、、先生と目が合っただけで大泣きしたり、避難訓練のご褒美にバドミントンのラケットもらったり、地震体験車で震度7を体験したり、お仕置きに福ちゃんなる人形のある倉庫に入れられたり、毛虫踏んじゃって大騒ぎしたり、転んでぐずって先生にばんそうこうもらったり、消防車が来て中走り回ったり、先生と一緒に写真とったり、男子と喧嘩して先生に廊下立たされたり、かといって休み時間には一緒に車引いて競争したり、帰る前にはみんなで歌を歌ったり、ものまねして先生に怒られたり、遠足でたけのこ見つけてずっとむいててたけのこなくなったり、きのこ見つけて大騒ぎしたり、クリスマス会でサンタさんがまさかの遅刻をしたり、お昼のあいさつ、ご飯のあいさつも教えてくれたっけ、学芸会では孫悟空、フレーメンの音楽隊もしたっけ。そうそう、いつもお母さんの迎えが遅かったから先生にアンパンマンのビデオテープかけてもらっていたなぁ。卒園の時は先生大泣きしてたっけなぁ。
これでも小学校に入る前は、今使っている机をもらって大喜びしていたっけ。今では狭苦しささえ感じる机。自分は知らないうちに大人になったのだな…。
自分が通っていた時期は、(当然だが)人がいたのに、いるはずの場所に人がいないだけで違う場所に来たみたいだった。
ふと時計に視線がいった。そうすると、
時計の針は現在の時刻を指していた。
(あまりはっきりとは見えなかったけど、たしかに今の時間を指している気がした。)
こういうところでは、てっきり時間は止まっていたりするものだとは思ってはいたものの、時計はきちんと動いていた。
きっと自分が卒園してからも、校舎が移転してからも、いままでずっと針を進めて刻んできたのであろう。(※恐らくの話)
自分は知らないうちに、気が付かないうちに大人になっていたんだなって。ここの時計はずっと、必要でなくなった今も刻んでくれていたと思うのは考えすぎだろうか。(※くどいようですが恐ら(ry)
時計を見ていても、ぬぐえない違和感。もう自分はここにいるべき人間ではないんだろう。もう卒園したし、何よりもう幼稚園自体は移転している。ここは元は幼稚園だけどもう幼稚園ではないし、自分も幼稚園児ではない。思い出か、残り香か、後ろ髪ひかれる思いがあったけどいつまでもいるべき場所ではないということはわかってはいた。もう少し居たい気はしたが、もう帰らないと。
という感傷に浸りながら帰っていたら、車を縁石にぶつけた。
\(^o^)/{ハイ変なやつ!!
運転中は後ろを振り返らず、前を向いて運転しよう\(^o^)/
旧カテゴリー 今日の私のノスタルジ。
さて、この前なのですが本当は名古屋に行く予定でしたがなぜかその日はいく気になれなかったので家でゆっくりしておりました。
ただ、天気が良かったので外には出たいと、唐突に懐かしさがこみ上げるという少しよくわからない精神状況。
どうしても、昔のなじみのある場所に行かないといけない、そんな気がした。どうしていかないといけないのか、どこに行かないといけないのかさっぱりわからなかったが、どうしても行かないといけないという強迫観念はあった。
天気、もしかしたら雲一つない晴天で、しかも平日で人がいない状況、こうして昼の空をじっくり見上げたのは何十年ぶりだったからかもしれない。
野暮用でコンビニへ寄った際に、鈴鹿山脈を見ると雪が積もっており、懐かしさのあまりあまり深く考えずに車を走らせること20分あまり、dontenの母校(?)、幼稚園の近くを通った。
遠目に見たからかもしれないが、ずいぶん小さく感じたのです。
とはいっても5年以上前に幼稚園は場所を移しており、幼稚園とは言えど跡地なのだが、校舎が残っていた。
どうしても近くで見たくなったdontenは、近くに車を止めて歩いた。
廃校で人がいないとは言えど、私有地であると思われるので中までは入らず道からよく見ようと我が母校を眺めた。
入口。よく遊んだ木が目に入る。昔から変わらないな。木の根元に「世界人類が平和でありますように」の柱がたっていた。これも昔のままだな。
校舎の廊下。昔は先生がよく掃除をしていて床もぴかぴかだったのに、、天井やらに蜘蛛の巣が張っていた。時間がたつってこういうことなんだと思った。
中庭(?)、とりあえず外。木を伐採したからかかなり日当たりがいい(そのおかげで道から見えたのだが)。あと気になったのが砂場以外の(砂場はあるかどうか見えなかった)遊具が一切なかったこと。新しい校舎に持って行ったのだろうか?
校舎。人がいないだけあった。少し不気味。靴箱もすべてカバーしてあったし。一番気になったのは、こんなに校舎小さかっただろうか。ということ。
昔の自分にとっては、家にいる以外の、、もう一つの世界といってもいいほどいろいろ見て感じて聞いて、とした処だった。もっと広かったと思うんだけど。今でもはっきりとまではいかないが断片であれば結構覚えている方だと思う。
おやつの牛乳が脱脂粉乳とか、ご飯食べるの遅くてよく怒られたり、食器返却でミスって怒られたり、当番がいつもおんなじこと組んでいたり、弁当箱がたこさんだったり、友達とよくネットシーソーしたり、ままごと、お人形のおもちゃのドアが一個しかなかったり、幼稚園のお祭りのうちわにカレーこぼしたり、みんな木登りできるのに自分だけできなかったり、はないちもんめしたり、、先生と目が合っただけで大泣きしたり、避難訓練のご褒美にバドミントンのラケットもらったり、地震体験車で震度7を体験したり、お仕置きに福ちゃんなる人形のある倉庫に入れられたり、毛虫踏んじゃって大騒ぎしたり、転んでぐずって先生にばんそうこうもらったり、消防車が来て中走り回ったり、先生と一緒に写真とったり、男子と喧嘩して先生に廊下立たされたり、かといって休み時間には一緒に車引いて競争したり、帰る前にはみんなで歌を歌ったり、ものまねして先生に怒られたり、遠足でたけのこ見つけてずっとむいててたけのこなくなったり、きのこ見つけて大騒ぎしたり、クリスマス会でサンタさんがまさかの遅刻をしたり、お昼のあいさつ、ご飯のあいさつも教えてくれたっけ、学芸会では孫悟空、フレーメンの音楽隊もしたっけ。そうそう、いつもお母さんの迎えが遅かったから先生にアンパンマンのビデオテープかけてもらっていたなぁ。卒園の時は先生大泣きしてたっけなぁ。
これでも小学校に入る前は、今使っている机をもらって大喜びしていたっけ。今では狭苦しささえ感じる机。自分は知らないうちに大人になったのだな…。
自分が通っていた時期は、(当然だが)人がいたのに、いるはずの場所に人がいないだけで違う場所に来たみたいだった。
ふと時計に視線がいった。そうすると、
時計の針は現在の時刻を指していた。
(あまりはっきりとは見えなかったけど、たしかに今の時間を指している気がした。)
こういうところでは、てっきり時間は止まっていたりするものだとは思ってはいたものの、時計はきちんと動いていた。
きっと自分が卒園してからも、校舎が移転してからも、いままでずっと針を進めて刻んできたのであろう。(※恐らくの話)
自分は知らないうちに、気が付かないうちに大人になっていたんだなって。ここの時計はずっと、必要でなくなった今も刻んでくれていたと思うのは考えすぎだろうか。(※くどいようですが恐ら(ry)
時計を見ていても、ぬぐえない違和感。もう自分はここにいるべき人間ではないんだろう。もう卒園したし、何よりもう幼稚園自体は移転している。ここは元は幼稚園だけどもう幼稚園ではないし、自分も幼稚園児ではない。思い出か、残り香か、後ろ髪ひかれる思いがあったけどいつまでもいるべき場所ではないということはわかってはいた。もう少し居たい気はしたが、もう帰らないと。
という感傷に浸りながら帰っていたら、車を縁石にぶつけた。
\(^o^)/{ハイ変なやつ!!
運転中は後ろを振り返らず、前を向いて運転しよう\(^o^)/
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