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尚書 周書 召誥 (韓国語訳などから日本語にしてみました)

2021-10-25 11:22:29 | 日記
尚書 周書 召誥

王乃初服。嗚呼!若生子,罔不在厥初生,自貽哲命。今天其命哲,命吉凶,命歷年;知今我初服,宅新邑。肆惟王其疾敬德?王其德之用,祈天永命。

原文のあるサイト

原文、譯文(現代中国語訳)のあるサイト

譯文(現代中国語訳)
“王是初理政事。啊!好象教養小孩一樣,沒有不在開初教養時,就親自傳給他明哲的教導的。現今上帝該給予明哲,給予吉祥,給予永年;因為上帝知道我王初理國事時,就住到新邑來了。現在王該加快認真推行德政!王該用德政,向上帝祈求長久的福命。

韓国語(한국어)訳のあるサイト

韓国語(한국어)訳
王乃初服(왕내초복)
"왕께서 처음으로 정사를 돌보시니,

嗚呼(오호) 若生子(약생자)
아아! 마치 자식을 낳은 것과 같은데,

罔不在厥初生(망부재궐초생)
처음 자식을 낳을 때 달려 있는 초심과 같지 않아서,

自貽哲命(자이철명)
스스로 현명한 명(命)을 부르게 되는 것입니다.

今天其命哲(금천기명철)
오늘 하늘이 주신 명이 명철한 것인지,

命吉凶(명길흉)
명이 길한지 흉한지는 알 수가 없습니다.

命歷年(명력년)
명(命)은 세월을 두고 지내 보아야 합니다.

知今我初服(지금아초복) 宅新邑(택신읍)
이제 우리는 처음 정사에 임하여, 새 고을에 살게 된 것이니,

肆惟王其疾敬德(사유왕기질경덕)
왕께서는 서둘러 덕행을 공경하도록 하십시오.

王其德之用(왕기덕지용) 祈天永命(기천영명)
왕께서 미덕을 받드시면, 하늘의 유구한 명을 바랄 수가 있습니다.

韓国語訳などを参照して日本語訳を考えてみました。
(拙訳)
王が初めて政を行って世を治められると、ああ、まるで幼児を教育するようなのものだが、初心のようではなく、自ら賢明な命運を呼ぶようになるのだ。今、天が与え給うた命が明哲なものか、命が吉か凶か知ることができません。既に私たちは初めての政治に臨み、新しい所に住むようになったので、王は急いで徳行を恭敬しようとなさいませ。王が美徳を敬われるならば、天の悠久な命を願うことができます。

神仙伝 王遥 (韓国語訳から日本語にしてみました)

2021-10-11 12:26:07 | 日記
神仙伝 王遥

王遙

王遙者,字伯遼,鄱陽人也,有妻無子。頗能治病,病無不愈者。亦不祭祀,不用符水針藥,其行治病,但以八尺布帕,敷坐於地,不飲不食,須臾病癒,便起去。其有邪魅作禍者,遙畫地作獄,因召呼之,皆見其形,入在獄中,或狐狸鼉蛇之類,乃斬而燔燒之,病者即愈。遙有竹篋,長數寸,有一弟子姓錢,隨遙數十年,未嘗見遙開之。一夜,大雨晦暝,遙使錢以九節杖擔此篋,將錢出,冒雨而行,遙及弟子衣皆不濕。所行道非所曾經,又常有兩炬火導前。約行三十里許,登小山,入石室,室中有二人。遙既至,取弟子所擔篋發之,中有五舌竹簧三枚。遙自鼓一枚,以二枚與室中二人,並坐鼓之。良久,遙辭去,收三簧,皆納篋中,使錢擔之。室中二人送出,語遙曰:「卿當早來,何為久在俗間。」遙答曰:「我如是當來也。」遙還家百日,天復雨,遙夜忽大治裝。遙先有葛單衣及葛布巾,已五十餘年未嘗著,此夜皆取著之。其妻即問曰:「欲舍我去乎?」遙曰:「暫行耳。」妻曰:「當將錢去不?」遙曰:「獨去耳。」妻即泣涕曰:「為且復少留。」遙曰:「如是還耳。」因自擔篋而去之,遂不復還。後三十餘年,弟子見遙在馬蹄山中,顏色更少,蓋地仙也。(出《神仙傳》)



私は、韓国語のブログの中の韓国語訳を参考にして、なんとなく意味がわかるようにしました。

中国語が出来る方は、中国語のブログでお楽しみください!原文と現代中国語訳が載っています。

韓国語が出来る方は韓国語のブログでお楽しみください!

私は、韓国語のブログの中の韓国語訳を参考にして、なんとなく意味がわかるようにしました。

(私の日本語訳)
王遥は字は伯遼、鄱陽の人。妻はいるが子はいなかった。病いをよく治し、治らない病いがなかった。また、祭祀も執り行わず、符水や 鍼や 薬も使わず、 病いを治療するときには、単に8尺の手拭いを持って、地面の上に座り、広げて置いて、食べも飲みもできなくさせたが、ちょっとの間に病いが治り、楽に起きて出ていった。邪悪な鬼が腹を立てると、王遥は地面に獄事を描いて、邪悪な鬼を招いた。すると全ての本来の姿を現して出し、獄中に閉じ込められるのだが、或いは狐や狸やスッポンや蛇などの場合には、刃で切って、火を燃やせば、病人たちは直ちに治った。王遥は竹で編んだ箱を持っていたが、長さは幾寸かになって、錢氏という姓を持った弟子を連れていた。錢氏が王遥に付き従って数十年になったが、未だ嘗て錢氏は王遥がその箱を開けるのを見れませんでした。ある日の晩、大雨が降り、四方が薄暗くなると、王遥は錢氏に9節で出来た杖である九節杖でその箱を担ぐようにして、錢氏に外に出て行かせて、雨を冒して過ぎて行くのだが、王遥と弟子の服は全く濡れなかった。歩いて行く所の道、嘗て歩いていない所も、また常に二個の松明が前を導いていた。約三十里くらい行くと、小さな山に登り、石室に入ると、その石室の中には二人いたのだが、王遥が到着すると、弟子が担いで来た箱を持って来て開いたのだが、五個の竹がある笛の三個が入っていた。ひとつは王遥自身が吹いて、二個は石室の中にいた二人に渡してあげて、三人は一緒に座って笛を吹いた。しばしの後で、王遥は行こうと言い、収める三個を収めて全て箱の中に入れ、錢氏にこの重荷を担がせた。石室の中にいた二人は外に出て来て見送り、王遥に言った。「卿は早く戻って来ないといけないのに、何のために人間の世界にそれほど長くいるのだろうか?」王遥が答えて言った。「今回みたいに必ず戻って来るね。」王遥が家に戻って来てから百日目になる日、また雨が降ると、王遥は突然、晩に大きな荷物をまとめた。王遥は昔から葛布で仕立てた服と頭巾を持っていたのだが、もう五十年間、一度も纏ったことがなかった。ところがその日の晩には全て取り出して纏った。すると王遥の妻が言った。「私を捨てて発つおつもりですか?」王遥が言った。「暫く用事で行くだけです。」妻が言った。「弟子である錢氏は連れて行かないんですか?」王遥が言った。「今回はひとりで行くだけです。」その言葉を聞いた妻はすぐに涙を流して言った。「私のために、もう暫く留まってから行ってください。」王遥が言った。「以前のように戻って来るんです。」そして自ら荷物を担いで行って、再びは戻って来なかった。その後、三十年になり、弟子が馬蹄山中で王遥に会って見ると、顔色は更に若く変わっていたことから見て、おそらく、地仙であったのだと見える。
出展 神仙伝