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漢書 藝文志 (東漢) 班固

2022-04-30 10:00:00 | 日記
漢書 藝文志 (東漢) 班固

傳曰:「不歌而誦謂之賦,登高能賦可以為大夫。」言感物造耑,材知深美,可與圖事,故可以為列大夫也。古者諸侯卿大夫交接鄰國,以微言相感,當揖讓之時,必稱詩以諭其志,蓋以別賢不肖而觀盛衰焉。故孔子曰「不學詩,無以言」也。春秋之後,周道浸壞,聘問歌詠不行於列國,學詩之士逸在布衣,而賢人失志之賦作矣。大儒孫卿及楚臣屈原離讒憂國,皆作賦以風,咸有惻隱古詩之義。其後宋玉、唐勒,漢興枚乘、司馬相如,下及揚子雲,競為侈麗閎衍之詞,沒其風諭之義。是以揚子悔之,曰:「詩人之賦麗以則,辭人之賦麗以淫。如孔氏之門人用賦也,則賈誼登堂,相如入室矣,如其不用何!」自孝武立樂府而采歌謠,於是有代趙之謳,秦楚之風,皆感於哀樂,緣事而發,亦可以觀風俗,知薄厚云。詩賦為五種。

原文のあるサイト(457)

関連する中国語のサイト
http://wap.ilf.cn/mate/37048_4.html

原文と現代日本語訳は、Web検索で見つかったPdf資料の41ページにありました。
『文選』序文と詩の六義 ー賦は古詩の流ー 牧角悦子より抜粋します。

現代日本語訳
傳に言う、「歌わずに誦するものを賦と言う。高いところに登って賦することができれば大夫とみなしてよい」と。言葉が外物に感じて端緒を披く、その才能と知性が立派であれば、共に事を図ることができる。だから(登高して賦することのできる者は)大夫の仲間入りができるのだ。
古は、諸侯や卿大夫が隣園と外交する際は、微言(微妙な言い回し)で意志を通じあった。挨拶を交わす際も、必ず詩を稱することに気持ちを託した。そのような微言を操れるかどうかで賢者か不肖かを識別し、その國の盛衰を観察したのだった。だから孔子は「詩を學ばなければ、言葉を發する術は無い」と言ったのだ。
春秋の後、周の道はだんだんと崩れていき、聘問や歌詠は列國において行われなくなった。詩を學んでいた士たちは仕官できず世を逃れることになり、ここに賢人失志の賦が起こった。大儒者の孫卿及び楚の家臣屈原は、讒言にあって國を憂い、ともに賦を作って諷喻した。そこにはどれも憐み傷むという古詩の義があった。
その繼承者の宋玉・唐勅や、漢が興ってからの枚乘・司馬相如、下って揚子雲らは、競い合って過剰で大げさな言葉を弄し、諷喻の義が失われてしまった。そこで揚子雲はそのことを後悔して言った。「詩人の賦は美しくても規範的であるが、亂人の賦は美しさに溺れている。孔子の門下を賦で以て喻えるとすると、買誼は堂に登り、相如は室に入る、というところであろうが、いずれにしても賦は無用の物になってしまった」と。
武帝が樂府を立てて歌謡を採取したことで、代・趙の謳、秦・楚の風が、みな抒情的な音樂に乗せられて然るべき時に演奏されるようになり、それによって再び風俗を観察し人情の厚さを知ることができるようになったのだ。