Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

このブログについて

たまに更新します。
最近はnoteに記事を書いていますので、Earth Spiralのnoteもご覧ください。
note Earth Spiral
星々のことば/猫の言い分/Plant Medicine/白魔術研究所ほか

世界が変わる

2012-01-01 | 3.11
2012年が明けました。
おめでとうなのかどうか、最近良く分からない。

2011年の年末は、ぜんぜん、年末な感じもせず、
1年を振り返ろう、とか、来年の抱負とか、
そういうことを考えている場合ではない気がしていた。

今朝、起きようかなぁ、と思ったら、
猫が1匹、私の布団に入ってきて、
さらに、もう1匹も入ってきて、
両サイド、猫に囲まれてしまったので、
正月だし、まあいいや、と思って2度寝をした。

そしたら、早くも初夢を見てしまった。

夢は、目的地に行こうとするのだけれど、
なかなかたどり着けない夢。
しかも、結構遠くまで来ている感じなのだ。

詳細は省くけど、
その中で、ちょっとはイラっとしたり、
出遅れ感を感じたりしているが、
「ああ、これは、行かなくていいって事なんだな」
と思っている自分がいて、
途中で見かけるカフェに入ってみようかなと思ったり、
もう、楽しんで、行きたいところに行って帰ろう、
そう思った時に、目が覚めた。

新しい年になったら、あんなことをしたい、こんなことをしたい、
そういう言葉があちらこちらから、聞かれた年末だったけれど、
「何をするか」、ではなくて、やはり、「どうあるか」に
注意を向けて行きたいと思った。

そして、自分がどう在りたいかというと、
「今、ここで、何が起きようとしているかをしっかり
観て、感じられるような自分でいたい」
ということだ。

そうすれば、自ずとやるべきことが見えてくるだろうし、
必要なことが起きてくるのがわかるだろうから。

去年一年は、その事の大切さを実感させられた。
この未曾有の事態に対しては、
人間の浅知恵など太刀打ちできないと感じた。

しかし、何のヴィジョンも見えてこない、
そして、何も具体的に形にならない状況が続くと、
あせりやイライラが出てくる。

そして、つい、無理やり目標を立てて、
それを実現していく方向にがんばろうとする。
自分や周りに起きている、微細で大事なことを見落とすことになる。

そんな、ひとつひとつの積み重ねが世界をつくっている。

2012年は何かが変わる年といわれているけれど、
世界を捉える自分の意識が変われば、
世界は今すぐにでも変わるのだろうと思う。

世界が変わるってのは、そういうことだ。
何かが外から起きることに期待するもんじゃない。

初夢のメッセージは、
プロセスに従うこと、
それを信頼すること、
そして楽しむこと、
そう受け取った。

おせちの準備やら大掃除で、最後バタバタして、
間に合わなそうになった年末、
そして、猫のおかげで二度寝して見た初夢。

やっぱりな、って感じの年末年始だ。

今年もよろしくお願いします。

絶望以前、絶望以降

2011-10-06 | 3.11
9月24日~25日に行った、「フクシマ対話合宿」。
それ以前の重く、どんよりした感じが、それ以降、なくなった。
この軽やかな感じはなんだろうか?
参加者も、同じような感覚を持っているみたいだ。

9月の絶望の淵に降りた対話合宿では、
深く絶望の淵に降りて、そこにある悲しみ、孤独に触れた時に、
そこにいた全員の魂が振動したような気がする。
実際には、その中の数人の絶望を、
残りの人が見守っているようだったけれど、
それは、誰の絶望でもなく、みんなの絶望だった。

深い深いところに触れ、一つ一つの魂が共振したような瞬間。
絶望の淵には、そんなに素晴らしいものがあると分かった瞬間だ。
世の中、絶望だらけだけれど、捨てたものじゃないと思える瞬間。

集まるべくして集まった参加者の皆さんと、
ノリさん、たけさん、二人のファシリテーターに感謝。

***

対話合宿の深い体験を消化する間もなく、
私は、関西で行われる「ホリスティックライフ」をテーマにした
シンポジウムの準備をしなければならなかった。

それまで前提だった、自然への信頼、自然界の一部として生きる事が
放射能による汚染のために、根底を覆された今、
ホリスティックライフとは、一体何なのだろう?
そんな疑問が、ずっとあり続けた。

しかし、対話合宿後、自分が自由になったのは、
ひとつの現実だけではなく、
いくつもの現実の間を自由に出入りできるようになったからか?

結局、シンポジウムへ持っていくメッセージは、
対話合宿から得た感覚を元に、自然界からメッセージをもらう事で、
いい感じにまとまった。
*使用したスライドのpdfはこちらで閲覧できます。
パーマカルチャーでホリスティックな暮らしをデザインする

そして、このシンポジウムが終わったら、次は、裏磐梯で開催するフォーラム。
これも、日本ホリスティック医学協会の主催イベントで、
「ホリスティックライフスタイル」を考えるのがテーマだ。
*フォーラムのご案内はこちら

5月からの様々な対話、
9月の絶望の淵まで降りた対話合宿、
直後の関西出張(震災後、初出張だった)、
それを経て、自分が得たものはなんだろう、
その感覚まで降りていった時にわいてきた言葉は、

「大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め」

だった。

どれも、ずっと長い間、自分の中にあったテーマだ。
これらの言葉自体が、自分自身をエンパワーする。
11月のフォーラムでは、みんながそういう言葉を
見つけられるようなことに挑戦してみたい。

対話合宿の深い体験は、その時のこと自体を語るよりも、
その体験で得た感覚が、先に進もうとした時に、
形になって体現されていくような、
そんな体験であるような気がしている。

***

5月から、ずっと集まる場をつくってきたけれど、
いつも、その時に必要な人が集まり、必要な事がおきてきた気がする。
福島は今、そういう場所だ。

混沌としていて、まさに、カオスポイントにあるような場所だけれど、
良く見れば、流れが見えてくる。そんな場所だ。

11月のホリスティックライフスタイルを考えるフォーラム、
そこがおそらく、私の中ではひとつの区切りになるだろうと思う。
その時のために、今から準備をしている。







クロニクルFUKUSHIMA

2011-10-04 | 3.11
クロニクルFUKUSHIMA
クリエーター情報なし
青土社


この本おススメです。

先週末から、関西に行ってきた。
今年になってからはじめての出張。
フクシマのことも、多くの人に伝えてきました。
でも、それは、私の視点だけだし、
なかなか、フクシマの空気感は伝えきれない。

出張の電車の中で読もうと購入した「クロニクルFUKUSHIMA」
ここに掲載されている、大友さんと誰かの対談や日記につづられている、
葛藤は、まさに、フクシマの中で多くの人たちが感じている事だ。

フクシマの現状を知りたかったら、
そして、フクシマで起きていることを、
この世界を良くするきっかけとしたいなら、
是非、これを読んでみて欲しいと思います!

民主主義国家ってうのは、ずっとウソだった...

2011-09-17 | 3.11
先日、会津若松で開催された風とロックフェスティバルで、
齊藤和義が「ずっとウソだった」を唄ったという事がちょっとした話題に。

あの替え歌聴いたときに、絶対福島に来て唄って欲しいと思ってたので感謝です。
そんで、youtube見ていたら、関東のほうで放送されたドキュメンタリーを見つけたので、見てみました。
2つに分かれていて、以下、後半ですが、ここに出てきたミュージシャンの若者が、
「無関心っていうのが僕らの敵」といっていた。全くその通り。

齊藤和義のファンの子達が、難しい事よくわかんないけれど、
自分の好きな人が言ってる事は聞こうと思う、的な発言をしていた。そういう意味で、
ミュージシャン達の発信するメッセージていうのは、若い人たちを動かす力があるのかな。

この番組では、60年~70年代にも反戦運動、反戦ソングなどのブームがあった、と紹介している。
その頃は反戦、だけではなく、経済中心とならんとしていた時代に対してのカウンターカルチャーが活発だった時期でもある。
私が生まれた時からそんな時代だった。しかし、そうしたムーヴメントは高度経済成長の波に呑まれて、
80年代に近づくにつれて、つまんない時代になっていった。
バブルの頃なんか最悪だった。
ずっと最悪な世の中だと思っていた。

ずっとウソだった...密着 斉藤和義 2011.8.20 2/2


無関心。
自分の生活に関係ないから無関心になるということだと思うし、
遠いところの出来事が、このグローバルな社会では少なからず自分の暮らしと関係している
ということに気づけなくなっていうのかもしれない。

しかし、シンプルな思考、そして、正常な感性さえあれば、
嫌なものや嫌、おかしいものはおかしい、という不協和音を感じるのではないかと思う。
どこから、その感性が狂っていき、失われていったのかを考えなければならない。

自分がどう生きて生きたいのか、周囲の雑音を取り払った時に何が残るのでしょうか。
震災や放射能の影響を受けた地域の人たちから良く聞くのは、
家族と一緒に食事をする、一緒に笑う、一緒に過ごす、そうした当たり前のことが幸せだと。
テレビが無いと、ゲームが無いと、車が無いと、○○が無いと幸せじゃないですか?
そうはいっても、寒いのは嫌だし、食べるものがなかったら寂しいよね。
最低限必要なものと、欲求が過剰に刺激されて欲するものの区別はつけなければいけない。

搾取の頂点にいる人たちは、どんな暮らしをしたいのか、なぜそんなにむさぼるのか訳がわからんですが、
なぜ、そうなっちゃうのか、にも関心を持ってみるのも悪くは無いと思います。

そんなこんな、311から半年、福島では自治の芽が、いろんなところで芽生え始めていると思う。

日本は、全く民主主義の国ではないことがバレちゃいましたね。
それは、福島だけの問題ではなくて、国民皆に関係がある重大な事実であるし、
福島で起きた東京電力の原発事故、その影響により何が起こっているか、
それをよく見る事で様々な事に気づく事ができます。

福島県民、全員避難だ、というのは簡単です。
とえあえず、わかんないからそう言っておけばいいのですから。

311から半年が経ち、放射能が大丈夫なのか大丈夫じゃないのかわからない中、
福島に住む私たちは、それぞれの覚悟をし始めている気がします。

放射能がある場所という現実に向き合うって言う事は、自分の命がかかっている。
子供たちの命を守るってことも、同様。
サバイバルするためには何が必要か、ということに、
この平和ボケした日本の中で向き合わざるを得ない、
静かな戦場のようなものかもしれません。

それぞれの覚悟は、避難することかもしれないし、
そこで生きる事かもしれない。
そして、私たちは、それぞれが「自分で決めた」結論を尊重する。

フクシマでは、新しい未来をつくるためのチャレンジが、
いろいろなところで起きているような気がする。

住民の意思により、福島県の給食が変わった。

アウェアネスと民主主義と夢と進化に関する長いつぶやき

2011-09-11 | 3.11
去年の10月ごろ、夢を見た。
私はあまり夢って覚えていないんだけれど、
その夢は、鮮明に覚えている。
昼間なのに暗い夜空に浮かぶ青い地球、
そして、鳥の羽と動物の骨で作られた、
儀式の道具みたいなものを拾う自分。

なんとなくシンボリックなものだったのだけれど、
解釈などはせずにほっといた夢。

それを事あるごとに思い出す。

アロマセラピストの仕事を始めたのは15年ほど前。
自分の中で確信を持っていたのは、
「一人ひとりが自分らしく生きる事が世界の調和につながる」
ということ。

それは、今になってみて、間違っていなかったと思っている。
セラピストとしては1対1で1人の人に向き合ってきた。
しかし、あるときから、自分のなかで、
何かの繋がりが分断されていると気づいた時に、
自然の中に入り、そのつながりを取り戻したいと思った。
その次には、人とつながりを取り戻したいと思った。

そう思いながら数年間、自分で野菜をつくり、
季節に出来たものをいただき、自然界にあるものを、
自分を癒すメディスンとして使ってきたことで、
もう、自分と自然界は切っても切れないもの、
ひとつのものという感覚が育ってきた。

人とのつながりも、その繋がりができる事が、
ものすごいエネルギーとなり、
何かを大きく動かしていくという事を実感した。

トランジションタウンやパーマカルチャー、
そうした方法論や主義主張のもと、
同じ考えを持った人たちと、
なんとなく、一緒に夢見てきたのかもしれない。

または、周りにある自然界の存在たちと共に、
調和して生きる事を夢見てきたのかもしれない。

つまりは、つながりを取り戻していく事、
自分自身の認識、アウェアネスが広がる事を通じて、
いつしか、自然界も人が作り出す世界も、
自分と一体のものとなっていった。

そうなってくると、意図的にか無意識にか、
自然を破壊していく人たちが、受け入れられなくなってきた。
どこかで起きている理不尽な問題に関しても、
人事と思ってはいられなくなってきた。

今回の原発事故が起きる前に、
ちょうど、山口県の上関で原発建設の強行工事が始まり、
自然とつながり、ほぼ自給的な暮らしをしている祝島の
自然やその自然と共に生きてきた人々の
生活文化が破壊されることが悔しかった。

しかし、そんなことはマスメディアは一切報じない。
この国にある歪んだシステムについての
不信感と怒りを感じていた。

そんな時に起きた原発事故。
国の様々な対応、それにからんでくる東京電力とマスコミ。
それを見続けてきて、日本は民主主義じゃないということが、
明確になった気がする。

***

つながりを取り戻すという事は、
すなわち、アウェアネスを高めるという事に他ならない。

すでに、物事はつながっていて、
そこに気づいていないのは自分なのだから。

自分の内側で起きていることは外側で起きていること、
そして、その逆も真なり。

15年間続けてきた仕事、アロマやエサレンマッサージ、
フェルデンクライスメソッドなど、
身体や自然を通して、何かに気づいて欲しいと思ってやってきた。
自分の中で大事にしてきたことは、個々人のアウェアネスだ。

アウェアネスを高めるお手伝いにすぎない。
外的な力で治すのではなく、アウェアネスを高めて、
自分自身に気づき、自分の力を取り戻すことを、
意識的、無意識的にやっている。

健康問題も、エネルギーの問題も、なにもかにも、
根底ではつながっていて、
結局、ひとりひとりの意識が生み出したもの。

***

今、福島は放射能問題で、1人1人の捉え方や
生き方の価値観の違いにより、
皆がバラバラになってきている。

ネット上を飛び交う虚無な情報、
マスメディアや一部の権力者の思惑に翻弄されている場合ではない。
自分の中からわいてくる感情や感覚に気づくことが大事だ。
それは、いろんな形でやってくる。

そして、こんな時だからこそ、自分だけではなく、
本来ならばつながっているであろう他者や自然界と共に
「夢見る」事が大事なのかもしれない。
きっと、その夢はすでにどこかに横たわっているのではないかな。
それを、皆で呼び覚まし、息を吹き込む。

皆で集まって話をする場。
本当の民主主義が生まれる場。

自分の思うところが話せて、信頼関係があるコミュニティがあったら、
人々は、心身ともに安らげて、病気にだってなりにくいのではと思う。

そして、人が生きるということは、長生きかどうか、とか、
病気か健康か、とか、そういう問題ではないのだ。
そこで全体性を生きているかどうか。
自分自身をフルに感じて生きていられるのかどうか。

自分がやりたいことは、別にセラピストとか
そういう職業ではないって、ずっと思っていた。
仕事としてやるには、申し分なく、
自分の向かいたい方向をゆがめることもなく、
淡々と探求したい事が出来る仕事ではあった。

最近、「何やってる人ですか?」と聞かれると、
「あ、そういえばなんだっけ?」と思う事がよくある。

***

ある時から、1人1人に向き合うだけではなく、
世界全体にも向き合う必要があると感じてきた。

ボディワークやったら、クライアントは元気になる
しかし、また調子を崩してやってくるクライアント。
セラピーは囲われた安全な空間で執り行います。
しかし、再び外の現実に放り込まれたら、
歪んだシステムの犠牲となり、また自分にそのあおりが来てしまう。

だったら、そのシステムや社会を
みんなが生きやすいように変えていくしかないでしょ。

そして、今、国も誰も宛てにならないとわかったら、
自分達で立ち向かっていかなくてはいけない。
それは、自分のためだけではなく、未来の人々のためでもある。

放射能の問題を考えるなら、なおさらそうだ。
何百年も何千年も消えない相手だから。
空間的にも、時間的にも、今、ここを越えて、
どこまで想像できるか?どこまで意識を拡大する事ができるか。

それは、人類がどこまで進化できるか?という事。
その方向に進化していかないと、人類は滅びると思う。

***

冒頭に書いた夢の話。
未だによくわらか無いけれど、
地球のための闘いを象徴してるのかも。

「セラピストになりたての時には、自分は戦場で倒れる人たちを助ける自分」
というイメージを無意識に持っていた。
でも、戦場なんかにはいたくないとある時から思ったので、
そのイメージは封印しばらく封印していた。

しかし、今、戦場で傷つく人を助ける自分ではなく、
自分が闘いたくなっているのではないか、という気がする。
一人ひとりが自分らしく生きる事、
調和した世界をつくる事、そのための闘いだ。

結局、自分が向かっているところは同じで、
世界が変わった今、やり方を変えないといけないっていうか、
自分もヴァージョンアップしなければいけないってことかな。

ちょうど、あの夢を見る直前、
今、ここにいて、こうしている状況は完璧だし、
文句のつけようが無く幸せだ、と思っていた自分がいる。
反面、なんか、完成されちゃったのでつまんない、
と思っている自分もいた。
それは、まるで、タロットカードの21番世界のカードのようだった。
完成でもあり、行き詰まりでもある。

また、最初に戻って、新しい事の始まりってことに過ぎないんだな。
結局、生きている間は、というか、肉体を去ってからもかもしれないけれど、
ずっと、そうやって進化のスパイラルを進んでいくしかないのかもしれない。
心地いい場所にずっと留まっている、っていうことはありえないのかもね。

いずれにしても、やりたいほうにいってるんだから善しとします。












New! 9月24日~25日 フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りて行こう。希望の光を見つけるために~

2011-09-07 | 3.11
フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りて行こう。希望の光を見つけるために~

311を境に、世界の常識は常識でなくなりました。
そんな中、福島に留まり続ける私たち3人は、2人のファイシリテーターからの提案を受け、対話合宿を始めることとなりました。
絶望にあえぐ福島。どんどん見捨てられていく福島。そこに希望の光を見つけたいと思いスタートした対話ですが、
ミーティングを重ねるうちに、

「ん? これって、福島のためだけじゃないよね」

というのが、今の私たち5人が気づいた事です。
「フクシマで起きていることは放射能問題だけではない」、その現実を是非、皆さんにも感じてもらえたらと思います。
フクシマのためだけではなく、自分達の未来のために。

[主催者@フクシマからのメッセージ】

「原発事故で起きたことは、日本人が見て見ぬふりしてきたことが
福島で爆発したんだと思う。それと向き合うことの重さがある気がする。
だからこそ、今ここでしっかりと向き合い、避けてきたものを
同じアンテナを持つ方々と、この対話合宿でクリアにしていきたいです」
(三保谷泰輔@福島県郡山市)

「日本が民主主義の国であること、自然からの恵みがいつでも安全で
あるということ、そんな当たり前が揺らいでいるフクシマにいるからこそ、
生きる上でほんとうに大切なこと本質的なことを感じ取りやすくなって
いるのかもしれません。「それ」を一緒に探ってみませんか?」
(中森正茂@福島県・裏磐梯)

「裏磐梯でホリスティックで持続可能な暮らしの実践をはじめた矢先の原発事故。
この絶望感の中、数ヶ月、ここで本当にホリスティックに生きるとは何かを問い直しました。
見えない放射能、氾濫する情報、無責任なカオナシたち。
電気なんかいらねえ!きれいな水と土と空気があれば生きていける!そう言って仮設に移っていった浪江のおじさん。
そんな虚構と現実の間で、ついに、私はウクレレ片手に、牧伸二のあ~やんなっちゃった♪を歌っていました(笑)。
皆さんとの対話合宿で、新たな希望の光を、ウクレレの音色で迎えることが出来ればと思います!」
(安珠@福島県・裏磐梯)

★「フクシマ」という言葉を使う理由を書きました
なぜ福島は「フクシマ」なのか~ホットスポット・フクシマを自覚的に生きる~


*にゃんこが絶望の淵からどうやって生還したかは上の写真をクリックしてね!

【開催要項&お申込み方法】
■開催日時:9月24日12:00開始~25日13:00終了
■開催場所:裏磐梯(福島県北塩原村)
会場:レンタルハウス談のん暖Earth Spiral
■参加費用:16,000円(含まれるもの:プログラム参加費、宿泊1泊、夕食)
*昼食、交通費等は含まれません。
*被災地割引 10,000円(該当される方で割引を利用したい方はご相談ください)
■募集定員:10名(最少催行人数4名)
*定員になり次第締め切ります。最少催行人数に達しない場合は中止となります。
■宿泊場所:レンタルハウス談のん暖 
*3~4名の相部屋となります。
■スケジュール
9月24日
 12:00 『裏磐梯フォレストスプリングス』でランチ&自己紹介
 *お散歩しながら森の中のコテージへチェックイン
 14:30~17:30 セッション1
 18:00~19:00 夕食
 19:30~22:00 セッション2
9月25日
 *朝の散歩はご自由に。
 8:30 朝食
 9:30~13:00 セッション3

*セッションの内容:出会いのレクリエーション/小グループでの語り合い
/全体での分かち合いとディスカッション(ロールプレイなどもします!)/感想の分かち合い等
*状況により、スケジュール等の変更の可能性がありますのでご了承ください。

■参考:東京からのアクセス(東京方面⇔裏磐梯)

【行き】
東京8:00発新幹線→曽原湖バス停11:18着
*ランチの場所まで徒歩5分程度(バス停までお迎えに行きます)
【帰り】
路線バス:曽原湖バス停14:35分発~猪苗代駅15:20着
電車:猪苗代駅発15:35~東京着17:56
*お車の場合は、磐越道・磐梯高原猪苗代インター下車後、約30分で裏磐梯です。
東北方面からは東北自動車道・福島西インター下車後、約1時間です。
*お申込みの方に、詳細をお送りいたします。


/////お申込み・お問い合わせ/////////////////////////////////////////////
お名前、ご住所、ご連絡先の電話番号を明記の上、Emailにてお申込みください。
参加の動機などについて可能であれば教えてください。
anju.earthspiral(アットマーク)gmail.com
////////////////////////////////////////////////////////////////////////


【もっと詳しく・・・対話について】

・この対話では、論理的な思考だけでなく、場で起きてくるアクシデントや身体の感覚なども、全体性の一部として大切にします。なぜなら私たちの存在そのものが、必ずしも論理的な思考だけで生きているわけではないからです。
そのプロセスを通して参加者が、立場を超えて共有できる想いや願いを見つけていくことを目指しています。

・みなさん一人ひとりが体験している現実が世界のさまざまな面を表していると考え、
テーマの周辺にある全体像を見るために、実際にいろんな立場の方々の多様な声に耳を傾けていきます。
そうすることで、人生や社会・教育へのかかわりや具体的な取り組みへの自覚を高める機会となることを願っています。

・具体的には、テーマにまつわる参加された方々の状況や想いなどを入り口にし、話し合いを始めていきます。

・脱原発、反原発の方も、原発なくなったら経済も停滞するって言うし、なんか不安だな、という方も大歓迎。
立場を超えて、みんなで対話しましょう。

・支援する立場の方、疲れがたまり、役割を抜けられずに疲れきっていませんか?
人を助ける作業が続くと、消耗し燃え尽きていくものです。あなたを助ける誰かが、必要になっていませんか。
あるいは、役割にしばられて誰にも言えない言葉がつもっていませんか?
たとえ短い時間でも、一息をいれる為にこの対話の場へおいでください。

★前回の報告はこちら
http://blog.goo.ne.jp/ecomed/e/7fa3a71d1a6d9b62be604b2d49713117
★8月18日のスカイプ会議報告「二つのシンクロニシティ~フクシマ対話合宿に向けて~」をアップしました。

【プロセスワークとは&ファシリテータープロフィール】

ユング心理学から枝分かれし、からだや関係性、グループ、社会問題等に関わりながら深化発展している心理学。
問題の中に宝があり、問題には何か意図や目的があって起こるとする目的論を原理とし、
場にある全ての声を大切にする深層民主主義を実践し、タオイズム、シャーマニズム、量子力学、仏教等を背後に持ち、
好奇心を原動力とし、遊び心や慈悲をもってさまざまなモノやコトに関わっていく。

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ファシリテータープロフィール
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★廣水 乃生(ひろみず のりお)
米国プロセスワーク研究所大学院で組織の活性化と対立状況への介入について3年間専門的なトレーニングを受け、
コミュニティファシリテーション研究所を設立。
現在は日本各地で、「世界平和は自分の平和と身近な人の平和から」を合言葉に、
さまざまな組織・企業の合意形成プロセスや研修、さまざまな葛藤状況の話し合いの進行(ファシリテーター)をしている。
「ストリートファシリテーション」と称し、街中でもめている人に介入したりするほどおせっかいに見える、
自称「グループおたく」、「人懐っこいのら犬」、「さすらいのファシリテーター」
コミュニティファシリテーション研究所 

★桐山 岳大(きりやま たけお)
米国PWI公認プロセスワーカー
東北プロセスワーククラブ同人
プロセスファシリテーションプロジェクト代表
高校で落ちこぼれ引きこもり、社会の底辺を体験。世の中の仕組みに対する問いと命の肯定への願いを持って帰還。
その後、レストラン皿洗い、劇団員を経て、28で大学入学、米国プロセスワーク研究所でトレーニングを経て資格習得。
現在、個人開業し、個人、カップル、家族、コミュニティ、企業、とワークをしている。
プロセスワークという人を自由にする道具により、1人1人が自分自身を深く受け入れ、
居心地のよい組織や社会をひろげて行きたいと願い、
東北プロセスワーククラブ(TPWC)とプロセスファシリテーション・プロジェクト(PFP)を運営している。
TPWC 

主催:トランジションうつくしま
共催:東北プロセスワーククラブ、コミュニティファシリテーション研究所
協力:Earth Spiral

「トランジションうつくしま」は脱化石燃料後の持続可能な福島の未来を市民の手で創るために活動しています。
震災と原発事故以来、さまざまな側面で危機的状況の福島では、それぞれが持つ不安感や悲しみ、怒りなどを、共有し、
「今、福島で」感じていることを分かち合うことが、これからのより良い未来の土台になるということで、
誰でも参加できて何でも話すことの出来る対話の場づくりをスタートしました。
今後は、自然エネルギーのことや放射能と食の安全や健康管理のことにも取り組みたいと思います。
*今回の対話合宿での収益は、福島に継続的に対話の場をつくる活動に充てられます。

★裏磐梯の放射線量について
会場となるあたりは、屋外で0.2~0.3μsv/h、室内で0.15~0.2μsv/hです。
24時間の滞在で0.2μsv/h×24=積算4.8μsvとなります。
年間の積算被曝量1msv=1000μsvに抑えるよう、ご自身で管理されてください。
 
*計測器の性質で、多少高めになるようです。
詳細、計測器などについては、こちらをご覧ください。




なぜ福島は「フクシマ」なのか~ホットスポット・フクシマを自覚的に生きる~

2011-09-07 | 3.11
311の原発事故以来、福島は、フクシマ、もしくは、Fukushima と呼ばれるようになりました。

私は、福島県福島市で生まれ、その後、関東で人生の半分ぐらいを過ごしたけれど、
一昨年、福島県の裏磐梯に引っ越してきました。
今でも、母や弟達は福島市に住んでいます。

この記事の本題は、なぜ、私がワークショップや合宿のタイトルに、
「福島」でも「ふくしま」でもなく、カタカナの「フクシマ」を使うのかを書きたいと思います。
なぜなら、ツイッターなどで、カタカナの「フクシマ」と書かれると、
不快な気分、悲しい気分になるという意見を聞いて、
今度行う合宿のファシリテーターとも、そのあたりの意見を交わしたので、
私なりに思っている事を書きとめておこうと思います。

●福島ってどこ?
「福島」といっても、「福島県」「福島市」「福島原発」と、
使う人によっていろんな場所を指しているのではないかと思います。
福島県は東西に広い県で、浜通り、中通り、会津地方と天気予報も分かれている。
気候風土も文化も違ったりします。
「福島市」は中通り、「福島原発」は浜通りにあります。

●「フクシマ」という言葉を不快に思う人々
私が見聞きした範囲でしかわからないけれど、
「フクシマ」って呼ばれるのが嫌という意見としては、
「実際に、福島県でも福島市でも、そこに生活している自分達がいる。
そして、まだ、原発事故は進行中、終わったわけではないから、
ノーモア・ヒロシマとかノーモア・ナガサキみたいに、
過去の事として位置づけられるのが嫌だ」
そんな感じの意見でした。もっと他にもあるかもしれないですが、
不快に思う方たちの気持ちも、なんとなく分かります。

確かに、福島は危ないからみんな避難しろ!とか、
そこに住んでるなんて信じられないとか、
放射能入りの野菜作りやがって福島県人アホか?とか
いわれると、私も悲しくなります。

でも、「フクシマ」とカタカナで表記する事に関しては、
私は抵抗が無いし、むしろ、そうした自覚を福島の住民であると
自覚している人たちは持ってもいいのではないかと思っています。

福島県内でも住む場所によってその感覚は違うのではないかと思いますが、
私自身、福島市で生まれ育ち、母や弟たちがそこに住み続けていて、
自分も少なからず、放射能の影響がある場所に住んでいる立場として、
そして、原発の直接的な被災者の声も聴き、福島市や郡山市の人たちの声も聴いた上で、
私自身はそう思っています。

●なぜ、「フクシマ」である自覚が必要なのか?
「フクシマ」という言葉は、前出の、ヒロシマ、ナガサキに鑑みて、
使われている言葉だと思います。
その中には、世界的に知られてしまったことや、
この事態を繰り返してはならないという思いや、
場合によっては差別的なニュアンスも含まれているかもしれません。

「フクシマ」という言葉が最終的に、どういうものになっていくのか?
それも現在進行形だと思うし、「フクシマ」という言葉自体が、
今まさにいろいろに変化しながら生きている言葉なのではないかと思います。

9月末に開催する対話合宿のミーティングを何度か行っていますが、
私たち主催者とファシリテーターチームの中で、
フクシマ対話合宿は、福島のためだけではなく、福島県外にいる人のためでもある、
むしろ、福島の実情を把握しきれず、しかし、世の中のおかしさに気づき、何かしなくては、
と感じている人たちにとって、それを感じ、考えるための時間になるのではないか、
そんなイメージが浮かんできました。

フクシマで起きていることは、単なる放射能の問題だけではなく、
日本人が見て見ぬ振りをしてきた、もしくは、無意識的に見えないところに追いやってきた
あらゆることが、噴出していると私たちは感じています。まさに、日本のホットスポットなのです。

それと対峙せずして、何がどうなっていくのかを、
外側で勝手に起きている力に任せていいのかな?
なんか、気持ち悪くねぇ?
っていうのが、私の感覚です。

私たちが行きたいところに行くために、
ホットスポットのエネルギーを強く感じ、
自分自身や世界の変化につなげていくためには、
福島に住む人も、福島の外にいる人も、
フクシマは今、歴史の流れの中でそこにある、
ということを感じて、それを自覚的に生きる必要があると思うのです。

どういう言葉を使うか、というのも無意識的だったり、感覚的なことなので、
うまく言語化できているかわからないけれど、
そんなわけで、私は「フクシマ」という言葉をあえて使っています。

「フクシマ」を自覚的に生きる、とか、
まあ、そいういうのって、疲れる事もあるけど。
そんな時は、ウクレレ弾きながら天才バカボンのテーマを唄ったりします♪


●おまけ…シャーマンズボディ
対話合宿の課題図書(?)でもないけれど、最近『シャーマンズボディ』と『田中正造の生涯』を読書中。

ツイッターにいくつか書きましたが、シャーマンズボディの中には、
私がホットスポット・フクシマで生きるためのヒントが満載な感じがしました。
2日間で読みきってしまった。
シャーマン修行(?)は今までいろいろやってきましたが、ここに来て、良いタイミングで出合った本です。
対話合宿のスタッフの1人が、こんな風に言ったのも、なんか面白かった。
「県外に行って福島から来ました、っていうと、みんな複雑な顔をするんだよね。
福島から遠くに行けば行くほど、そういう反応をするんだ。でも、最近はそれを楽しめるようになってきた」
っていうあなたは素敵です。888888。

『田中正造の生涯』は足尾銅山鉱毒事件で民衆の側について活動してきた政治家・田中正造のお話し。
淡々としているので、なかなか読み勧められず、まだ読書中。

シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム
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コスモスライブラリー


田中正造の生涯 (1976年) (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社


フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りていこう。希望の光を見つけるために~(9月24日~25日開催)




二つのシンクロニシティ~フクシマ対話合宿に向けて~

2011-08-26 | 3.11
9月24日~25日には第2回目の「フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りていこう。希望の光を見つけるために~」を開催します。

その準備として、ファシリテーターのノリさん、たけさん、そしてスタッフのたいちゃん、もりちゃん、安珠の5名で
8月18日に三重、東京、郡山@福島、裏磐梯@福島を結んでのスカイプ会議を行いました。

スカイプ会議って、なんか緊張するんだよね。
そんなこんなで、チェックインからはじまりました。

*チェックイン…ホテルにチェックインするように、その場に参加する自分達が、
今、何を感じていてどんな気分なのか?とかをみんなと分かち合うことです。
「今日は仕事が忙しかったから疲れてる」とか「みんなと話すのが楽しみ」とか、何でもいいんです。

たけさんからは、前回の対話合宿に出れなかったので、今の福島の状況やフクシマにいる私たちの様子を聞きたいという要望があがった。
最後にチェックインしたたいちゃんが、いわきに行った話しをしてくれた。

***

そこは、たいちゃんが震災以前にもよく行っていた場所だから、
震災後は、どう変わっているのか見るのが恐くて、なかなか行く気になれなかったそう。
訪れた場所は、波立海岸。
近くの建物は半壊しているのに、海岸にある鳥居は残っていたという。

ネット上にもこんな記事があった。
「鳥居は残った いわきの波立海岸」

そして、たいちゃんは不思議な事を体験したという。
鳥居の写真を撮ろうとしてカメラを構えると、車のガラスに石か何かがぶつかった音がしたという。
「もしかして、とってはいけないって事なのかな」
そう思ったたいちゃんは、撮影する事をやめたという。
その後、車の中をみたら、しまっていたはずのガラスを飛び越して入ってきたかのような
石が転がっていたそうです。

ガラスに何かがぶつかる話し。

それを聞いて、私の中でも、ピン!と来ちゃった事がありました。

それは、8月1日の事。
7月30~31日に、みんなでやったトランジションうつくしま合宿の次の日、
延泊した皆とランチを食べて見送った後に、染色の講座をうちで受けている時だった。

何かが鈍い音をさせて、玄関にある風除室のガラスにぶつかって落ちたのでした。
ちょうど、外に出ていたので、何かがぶつかってガラスに跳ね返されて落ちたのを目撃しました。
早かったので、何かはわかりませんでした。
近づいて、足元に青々と茂ったフキの葉っぱを除けてみると、
とても美しいアオゲラが横たわっていました。

緑の羽根と赤い頭。とても美しい鳥です。

以前も別な場所に鳥がぶつかって脳震盪を起こした後に復活して飛んで行ったことがあるので、
もしかして、大丈夫かもと思ったのですが、どうも、衝撃で即死だったようです。
講座中の私は、どうする事もできず、相方のもりちゃんに弔いをお願いしました。

そして、前日に友だちからいただいて、どこに飾ろうか考えていた
メディスンホイールを、アオゲラがぶつかったところに飾りたくなりました。


それが、ずっと心に残っていて、何かを象徴しているような気がずっとしていたので、
たいちゃんのガラスの話を聞いて、ふと浮かんできたので、スカイプでみんなに話しました。
(自分のことばっかり詳しく書いてしまってすみません)

たけさんが、

鳥/人/神

と、スカイプのチャットのところに書きました。

神と人間の間にある境界線。
鳥と人との境界線。

こちらからは入れないけれど、向こうからは入れたり、
見えているけど通り抜けられなかったり…。

そのシンクロが何かはわからないけれど、そんな事が合宿前におき始めていました。

***

実は、ノリさんは音声が出ないという事で、チャット参加だったのですが、
そこで、「田中正造の生涯」を読んでるよと言っていた。
たけさんから、借りていた本だそう。

田中正造とは、足尾銅山鉱毒事件にかかわった政治家。
この事件が、今、福島で起きていることと似ているという。
国がやっている事も、市民が無力化されていくことも。

(詳しくは、本を読んでみようと思って、早速アマゾンで取り寄せました)

足尾銅山鉱毒事件では渡良瀬川が汚染されたという話が出た。

そしたら、そのスカイプ会議の始まる前に、もりちゃんが渡良瀬川の汚染のことが出てくる本を
なぜか、その日に限って手にとって読んでいたという。
買うだけ買って、そのまま本棚に放置されていた本。

このあたりも、もうひとつのシンクロ。

足尾銅山鉱毒事件で起きていたことと同じ事が、福島原発事故で起きているのではないか?
舞台と登場人物が変わっただけで、同じパターンの物語が繰り返されているのではないか?

福島にいる私たちは(いや、日本全国の人も、世界中の人の中にも、同じ体験をしている人はいるかも)、
「何かしなければ、自分達より大変な人たちの役に立ちたい」と思ったり、
ある時は「やっぱり自分には出来ない、こんな大きな問題には取り組めない」と無力感を感じたり、
その繰り返しが、小さい輪や大きな輪を描きながらぐるぐる繰り返している気がする。

これは、プロセスワーク(プロセス思考心理学)的な視点から見ると、
既に、過去に繰り返されている「役割」みたいなものに、ハマっているという解釈が出来るみたい。

日本文化で育った私たちが、抑圧されてきたもの、奪い取られてきたもの。
この震災と原発事故が、それを取り戻すきっかけになるのではないか。

復活までの道のりをたどれるだろうか。

特に、東北人の気質としては、
同質性、空気に敏感、我慢するという傾向がより強い。

余談ですが、雪国に住んで思うのは
「雪が積もっちゃったら何にも出来ないから、春までは諦めるしかないなぁ」ってこと。
堂々と引きこもりが出来る冬は、なかなか良いのですよ。
近所のおじさんによると、「雪国の人は、我慢強いんじゃなくて、諦めがいいんだ」って言ってたけど。

***

そして、面白い事に、たいちゃんはガラス屋さんなのです。

あとは、それぞれ、今、福島にいて自分達が感じていることをいろいろ話した。


***

このスカイプ会議のまとめとしては、

・ガラス
・言いたいことが言えない自分
・向こう側にあるもの=自分の中にあるもの
・ガラスを行ったり来たりできるようになること
・未完了なことを手放し、浮上する事が出来るのか?
・歴史の文脈の中で完了していないロール(役割)は何なのか?

こんなところでしょうか。

合宿まで、あと1ヶ月です。

5人で話しただけでも、いろいろなものがたち現れてくるのですから、
様々なものを持った、参加者の人たちとの対話は、
もっともっと、ダイナミックに、今、フクシマで、日本で、地球で起きていることの底にあるものが
現れてくるのではなかろうかと思いました。

第2回目の「フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りていこう。希望の光を見つけるために~」