Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

森のオキテ その2 目的志向とプロセス志向

2010-05-24 | パーマカルチャー的暮らし
ちょっとしつこいようですが、書いているうちに、
自分の内面のことが増幅されたので、別記事にしました。

昨日は森にあるもので、楽しんで、いろいろ作成しているパーマカルチャー仲間達に
森の中でやりたいことって、そういうことだよなと思わされ、
自分の中で感じていた不快感は救われたので、その場で話せなかったことは、
来てくれた御礼も含めて、家に戻ってからみんなとシェアすることができました。

でも、この森づくりだけではなく、自然の豊かな場所で生きていく時に、
大事なことだと思うので、先の記事で説明した、怒りについては、
もう一度反芻する必要があると思いました。

普通はここで、我慢をして参加し続けるか、やめるかなので、
こんなつらい思いをするなら、この活動からは降りようかなと思ったぐらいです。
だいたい、ビジネスとかではなく、何かの有志のプロジェクトや会などから、
人が去っていく場合のパターンって、こんな感じじゃないのかと思います。

でも、こういうことはやめたら解決するかっていうと、そういうことじゃないし、
弱い人や反対意見を持つ人が発言できない雰囲気は、多様性や共生の場づくりには
なっていかないので、新しいものが何も生まれないのです。

起きていることを大事にしていく感覚、プロセスワークというのだけれど
相模湖にいるときに、友達からいろいろ学んだこと、とても役立っています。
自分の内面や、コミュニティで葛藤が起きた時に、避けるとか落ち込むとか、
そういう対処ではなくて、そこに大事な何かがあるという捉え方。
それは、これからの時代、大事な感覚であり物事の捉え方だと思います。

というわけで、

私の不快感は、表面的には木々や草花が切られたり、
踏みつけられたりすることへの感覚的な心地悪さ、怒りや落胆なのですが、
それよりも、これまで長い年月をかけて作られて来た森に、
私たちは、入らせていただいているという気持ちを、
どれだけ他の人と共有できているかが不安になった、ということではないかと思うのです。

みんな、子供が自然の中で過ごせる場づくりをしたいということについては、
同じ思いをもって集まっているので、シェアする必要があるのだと思いますが、
その時には、自分の中で起きている怒りや落胆のような感覚がうまく捉えられなかったし、
私がそんなことを言えるような雰囲気ではありませんでした
(みんな楽しそうだったから、場をぶち壊しそうで)。

でも、プロセスを大事にするのなら、そこで起きた私の怒りはシェアすべきだったし、
葛藤を表面化することで、もっと、深まることがあったのではないかと
振り返ってみるとそう思うけれど「言える雰囲気ではなかった」のも
それはそれで、プロセスの一つだろうと思うし。

自分が機嫌が悪くなったり、落ち込んだり、暗くなった時に、
自分はわがままだとか、雰囲気をぶち壊す奴だとか、
技術も経験もないのに、理想ばかり言ってるなとか
そう思われるのがいやな自分もそこにいたのですな。

なんか、思い出したのだけれど、トランジションタウンのトレーニングに参加した時に、
途中から怒りがこみ上げてきて、でもそのことをいえない自分を思い出した。
その時には、
「西洋的な文化が東洋の文化や自然を破壊したのに、
なんでまた、西洋人からそんな話を聞かなければいけないのだ!」
という怒りだったのだけれど、それとすごく似ている。犠牲になったものの怒り。
だから、怒りというか、それだけじゃなくて悲しみとか無力感みたいなものも混じってるんだよね。
それにすごく似た感覚だと思う。

だからといってトランジションタウン運動を否定したかったわけじゃないですよ。

なんか、不可抗力で出てきた感情は大事だし、それは自分だけの問題ではなく、
場の問題でもあるということなんですよ。
その後、相模湖でトランジション相模湖をやるときには、日本のこととか、
古いものを見直すことの重要性、意見が言えない人への配慮などに繋がったので、
自分の中ではすごく大事な機会となりました。
そのおかげかわからないけれど、トランジション相模湖の活動は、
誰かががんばりすぎたり、負荷がかかることなく無理なくいい感じで
そのまま、楽しみながら広がっているので、よかったなと思っています。

なので、今回も丁寧に見ていく必要があると思うのです。

自然界も子供達も、時には物が言えない弱者となります。
そこと付き合うには、目的志向ではなく、プロセス志向、とても大事なことだと思います。


相模湖で友達が、パーマカルチャーとプロセスワークをあわせた講座をしているので、
紹介したいと思います。裏磐梯でもやってくれ~。
ぱーころ講座

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わかる気がする~ (レリジオ)
2010-05-25 22:18:39
安珠さんの怒りの根源って 何だかわかる気がする~
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怒りの矛先の不明確さ (安珠)
2010-05-26 14:57:35
>レリジオさん

コメントありがとう。
怒りの矛先が、個人に向いているわけでもなく、なんとなくのイライラ感というのは、良く観察しないと根源がわからないよね。
そういうものが放置され続けていくことが、病であったり、暴力や戦争にも繋がるんじゃないかなと思ったりします。

現代社会は、何が敵なのかが見えなくなっているところが怖ろしいというのは、シュタイナーもそんなことを言っていたかも。

そんなことを思い出しました。
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