最近、ネイティブアメリカン関係の本を読む気になった。
なんか、読まなくてもなんとなく言ってることを理解している気になっていて、
ちゃんとじっくり読んだものはあまり無くて。
でも、エサレン研究所に行った時に、エサレンの本屋でメディスンなんとか、
とか、そういう系の本を何冊か買った。そのままつんどくですが。
ネイティブアメリカンの部族の名前である、エサレン族がこの場の名称になっていて、
裏のレッドウッドの森に入ったりすると、なんか不思議な感じがしたり、
自分が良く触れている西洋的な神秘主義みたいなものよりも、
ずっとグラウンディングしている感覚がとても心地よいところだった。
それから、10年近く経って、ようやくという感じ。
自分の中では西洋的なものは分かりやすいという感じを持っていて、
アロマテラピー、エサレンマッサージ、フェルデンクライスメソッド、
パーマカルチャー、シュタイナー、トランジションタウンなどなど、
日本人から教えられるとなんかぼんやりしていて、スッキリしない、
と思っていたところが、スッキリすると思うことが多かった。
このブログのタイトルになっている『エコロジカルメディスン』。
これも北米のエコビレッジに行ったときに見つけた本のタイトル。
環境と健康を同時に考えるというのは、
当時、ヘルスケアにかかわる端くれとして、そこから環境に目を向けたときに、
自分の健康って一体?と思いはじめた。
自分が健康であるために、環境負荷かけてないか?とか。
じゃあ、健康とか、人間が生きるとか死ぬっていうことは、
どう考えたらいいのさ、とか。
そして、パーマカルチャーを学んだけれど、そこでは結論が出なかった。
やっとこの本(下の『ヴィジョン』)を読んで、なんかつながった気がしている。
でも、これはネイティブアメリカンの教えを受けた西洋人が書いてるから分かりやすいのかなぁ。
徹底したサバイバルな暮らし、自然界から恵みを受け、
必要とあらば、自分の命がその一部となることを厭わない暮らし。
ただ、現代文明の恩恵を受けて生活している自分が、
これからどうしていったらいいのかは、また試行錯誤だ。
メディスン
という言葉。
ずっと、自分に付きまとっている言葉。
最近、翻訳したメディカルアストロロジーしかり、
翻訳しようかと言っていた、エコロジカルメディスンしかり、
Medicineは普通、医療とか医薬だけれど、なんかしっくり来ない。
ネイティブの人々が言うメディスンも頭で理解して、
でも、腑に落ちていないところがあった。
ここに来て、突然、自分の中で繋がった感じが湧き出てきた。やっと。
やっと、というか、分かってしまうと、
何でこんなことに気づいていなかったのかと思う。
(それは、フェルデンクライスメソッドを通した学習プロセスのなかで、
良く起きることなので、たぶん、おんなじことが起きてるんだろうな)。
「問いを持ったまま生きる」
それは、フェルデンクライスのトレーニングの時にトレーナーから言われた言葉。
問いを持って答えが出ない気持ち悪さを、そのまま抱え続ける。
でも、それは気持ち悪いけれど、持ち続けるべきことであり、
大事なものであり、答えを急ぐものではないのだな。
メディスンとは、自分の内なる力と、外なる力をつなぎ合わせ、
全体性を取り戻すMediaの事なのです。
と、言葉で言うとそんな概念的な説明だけれど、
これが、自分の中で繋がった。
自分は、アロマから始まり、人が人らしく生きられるものを模索してきたけれど、
どの薬草はどれに効きますとか、そんなことが知りたいのではなかった。
もちろん、どのカードやどの星が、その人のどんな運命を指摘しているとか、
そんなことを知りたくてやっているのではなかった。
それらは、ただ媒介となって、自分の力と外の力をつないでくれる。
それは、誰にでもできる事だし、人生や日常生活は、
そうした神秘に満ち溢れているということ、
その裏づけが欲しかったし証明したかっただけなんだよな。
最近思うことを、なんとなく書いてみたので、意味不明なところはご了承ください。
裏磐梯に来て、季節が一巡りしたら、また、ゆっくり考えてみよう。
*夏のワークショップ報告書いたよ。
ハーバルタロットリトリート
森の薬草使い~薬草リトリート
なんか、読まなくてもなんとなく言ってることを理解している気になっていて、
ちゃんとじっくり読んだものはあまり無くて。
でも、エサレン研究所に行った時に、エサレンの本屋でメディスンなんとか、
とか、そういう系の本を何冊か買った。そのままつんどくですが。
ネイティブアメリカンの部族の名前である、エサレン族がこの場の名称になっていて、
裏のレッドウッドの森に入ったりすると、なんか不思議な感じがしたり、
自分が良く触れている西洋的な神秘主義みたいなものよりも、
ずっとグラウンディングしている感覚がとても心地よいところだった。
それから、10年近く経って、ようやくという感じ。
自分の中では西洋的なものは分かりやすいという感じを持っていて、
アロマテラピー、エサレンマッサージ、フェルデンクライスメソッド、
パーマカルチャー、シュタイナー、トランジションタウンなどなど、
日本人から教えられるとなんかぼんやりしていて、スッキリしない、
と思っていたところが、スッキリすると思うことが多かった。
このブログのタイトルになっている『エコロジカルメディスン』。
これも北米のエコビレッジに行ったときに見つけた本のタイトル。
環境と健康を同時に考えるというのは、
当時、ヘルスケアにかかわる端くれとして、そこから環境に目を向けたときに、
自分の健康って一体?と思いはじめた。
自分が健康であるために、環境負荷かけてないか?とか。
じゃあ、健康とか、人間が生きるとか死ぬっていうことは、
どう考えたらいいのさ、とか。
そして、パーマカルチャーを学んだけれど、そこでは結論が出なかった。
やっとこの本(下の『ヴィジョン』)を読んで、なんかつながった気がしている。
でも、これはネイティブアメリカンの教えを受けた西洋人が書いてるから分かりやすいのかなぁ。
徹底したサバイバルな暮らし、自然界から恵みを受け、
必要とあらば、自分の命がその一部となることを厭わない暮らし。
ただ、現代文明の恩恵を受けて生活している自分が、
これからどうしていったらいいのかは、また試行錯誤だ。
メディスン
という言葉。
ずっと、自分に付きまとっている言葉。
最近、翻訳したメディカルアストロロジーしかり、
翻訳しようかと言っていた、エコロジカルメディスンしかり、
Medicineは普通、医療とか医薬だけれど、なんかしっくり来ない。
ネイティブの人々が言うメディスンも頭で理解して、
でも、腑に落ちていないところがあった。
ここに来て、突然、自分の中で繋がった感じが湧き出てきた。やっと。
やっと、というか、分かってしまうと、
何でこんなことに気づいていなかったのかと思う。
(それは、フェルデンクライスメソッドを通した学習プロセスのなかで、
良く起きることなので、たぶん、おんなじことが起きてるんだろうな)。
「問いを持ったまま生きる」
それは、フェルデンクライスのトレーニングの時にトレーナーから言われた言葉。
問いを持って答えが出ない気持ち悪さを、そのまま抱え続ける。
でも、それは気持ち悪いけれど、持ち続けるべきことであり、
大事なものであり、答えを急ぐものではないのだな。
メディスンとは、自分の内なる力と、外なる力をつなぎ合わせ、
全体性を取り戻すMediaの事なのです。
と、言葉で言うとそんな概念的な説明だけれど、
これが、自分の中で繋がった。
自分は、アロマから始まり、人が人らしく生きられるものを模索してきたけれど、
どの薬草はどれに効きますとか、そんなことが知りたいのではなかった。
もちろん、どのカードやどの星が、その人のどんな運命を指摘しているとか、
そんなことを知りたくてやっているのではなかった。
それらは、ただ媒介となって、自分の力と外の力をつないでくれる。
それは、誰にでもできる事だし、人生や日常生活は、
そうした神秘に満ち溢れているということ、
その裏づけが欲しかったし証明したかっただけなんだよな。
最近思うことを、なんとなく書いてみたので、意味不明なところはご了承ください。
裏磐梯に来て、季節が一巡りしたら、また、ゆっくり考えてみよう。
*夏のワークショップ報告書いたよ。
ハーバルタロットリトリート
森の薬草使い~薬草リトリート
ヴィジョン―次元のベールを超えて見た地球の未来 (5次元文庫)トム ブラウン・ジュニア徳間書店このアイテムの詳細を見る |
批評家ではなく行動家でありたいと思います。
エサレンのお話しをいつか聞いてみたいと思っていたので、また聞かせてください。
コメントありがとう。
>ヴィジョンを読んでいると、感覚的にあったものが言語化されていて、とても落ち着きます。
まさにその通り。同感です。
また、いつでも遊びに来てください!
エサレンのことなど話しましょう。