人間は肉体・生物的存在でもあり、社会的存在でもある。
また、精神や魂を有するなど、様々な側面を持って生きていると考えた時に、
それぞれの側面の欲求を満たすのがコミュニティの役割である。
自然発生的にできた日本古来の村を例にとって考えた場合、
そこで、衣食住を支えあい、村の中で自分のアイデンティティを見出し、
宗教観を通して人間関係や自然を守ってきた。こうしたコミュニティは、
欧米では産業革命以降、生産性を高め経済活動を活発にしていく
という流れが始まったところで崩壊しているといわれている。
1960年代~70年代というカウンターカルチャーのムーヴメントが盛り上がり、
ホリスティック医学や代替療法への注目が高まっている時代に、
同時にコミュニティづくりのムーヴメントも盛んになってきている。
その時代から脈々と、お金や物質至上主義に対するオルタナティブな生き方を
模索する人々は、現在、世界中に1万箇所を越えるエコビレッジを作り上げている。
そんなエコビレッジのなかでも、オピニオンリーダー的な存在である
イサカエコビレッジの成り立ちと人々の暮らしを紹介する。
イサカエコビレッジはニューヨーク州にあり、
ニューヨーク中心部から車で5時間ほど北上したイサカ市郊外にある。
1991年に2人の女性が発起人となり作られたビレッジで、
現在では2つの居住区にそれぞれ30世帯、160人が暮らしている。
エコビレッジの敷地のうちの10%が居住区で、
残りの90%は自然環境がそのまま残されている。
家はエネルギー効率をよくする様々な工夫がなされ、
デュープレックスという2つの家がくっついている状態で建てられている。
案内してくれたエレンは「部屋は無駄に広くしていないので、
一般的なアメリカの家より小さいんだ」と言っていたが、
日本人にとっては充分な広さだ。
ここの住人は、「自然環境を守りながら持続可能な生活を作っていく」
というビレッジのコンセプトに賛同して、全米から移り住んできた人々が暮らす。
リタイア組みもいれば、医療や福祉、教育、IT関係の仕事をしている人など、
様々な職業、世代が暮らしている。
自然との共生を考えた時、それまでの生活習慣を変える必要があるが、
なかなか生活習慣を変えることは難しい。
例えば、ビレッジ内には車を乗り入れることはできない。
大きな荷物のあるときなどは、本来なら玄関に横付けしたいところだ。
不便が生じるが、環境にどうインパクトがあるのか、
メリットは何かなどを学んでいく。
テーマによって、専門家を招いた勉強会なども行い、住民たちは学び理解し、
生活習慣を変える努力をしている。
自然エネルギーを効率よく使うためには、
窓を広く取ってカーテンをつけず太陽光を暖房として使い、
また、洗濯機も住人たちでシェアし、順番を待って使う。
ガーデニングの道具や本、ビデオなど、シェアできるものは皆で
積極的にシェアする。
食事も週に4回は住民が参加して皆で食べるという「コモンミール」の日が設けられている。
そして、週に2時間は、コミュニティのために何らかのお手伝いをするのが住民の決まりだ。
プライベートと共有のバランスが大切だとエレンは言う。
気ままな都会生活に慣れていると、聞いただけでわずらわしさを感じてしまう人もいるかもしれないが、
ビレッジ内には、自然にコミュニティ感覚を養えるようなデザインや配置といったハード面の工夫もされている。
家は中央にある共有の庭を囲むようにお互いの玄関が向き合う形で、
曲線的に並んでいるので、自然と顔を合わせる機会が増える。
子供たちが遊ぶ共有の庭は、各家の窓から見えるので、
住人たちが皆で子供たちを見守ることができる。
また、1つの居住区には1つのコモンハウスがあり、
そこにコモンミール用のキッチンと食堂、シェアする洗濯機、
SOHO用のオフィス、ワークショップスペース、リサイクルスペース、
掲示板などが設けられ、皆で共有できる心地よい空間に仕上げられている。
洗濯の順番待ちは、洗濯機が空いていなければ「どんな風に洗って欲しいか」を
メモに書いて置いておけば、気づいた人がやってくれたり、助け合いが基本となっている。
自然と人、人と人同士がどう共存していったらいいかという試みの中で、
問題が起きないわけではないが、住人は世界のオピニオンリーダー的なビレッジということに誇りを持ち、
日々試行錯誤を重ねている。
日本のコミュニティの崩壊は、バブル崩壊とともに訪れたといわれている。
村というものはすでに形骸化していたが、バブル以前は、
終身雇用制度も残っており企業がある程度、生活の安全を保障し、
企業戦士というアイデンティティを与え、コミュニティの役割を負ってきた。
そのコミュニティの完全な崩壊により根無し草となった結果が
人々の不安感やストレスにも繋がっていると思う。
日本は欧米に比べてコミュニティ崩壊後の歴史が浅いことになり、
これからどうコミュニティを再生していくのかというスタート地点にも立っていない気がする。
エコビレッジという言葉もチラホラ聞くが、
単にハード面だけを取り上げて言っているところも見受けられる。
エコビレッジの本質とは、建築やエネルギーシステムの技術だけではなく、
基本には人間の意識や気づき、つながりの回復なくしては成り立たないものなのである。
また、精神や魂を有するなど、様々な側面を持って生きていると考えた時に、
それぞれの側面の欲求を満たすのがコミュニティの役割である。
自然発生的にできた日本古来の村を例にとって考えた場合、
そこで、衣食住を支えあい、村の中で自分のアイデンティティを見出し、
宗教観を通して人間関係や自然を守ってきた。こうしたコミュニティは、
欧米では産業革命以降、生産性を高め経済活動を活発にしていく
という流れが始まったところで崩壊しているといわれている。
1960年代~70年代というカウンターカルチャーのムーヴメントが盛り上がり、
ホリスティック医学や代替療法への注目が高まっている時代に、
同時にコミュニティづくりのムーヴメントも盛んになってきている。
その時代から脈々と、お金や物質至上主義に対するオルタナティブな生き方を
模索する人々は、現在、世界中に1万箇所を越えるエコビレッジを作り上げている。
そんなエコビレッジのなかでも、オピニオンリーダー的な存在である
イサカエコビレッジの成り立ちと人々の暮らしを紹介する。
イサカエコビレッジはニューヨーク州にあり、
ニューヨーク中心部から車で5時間ほど北上したイサカ市郊外にある。
1991年に2人の女性が発起人となり作られたビレッジで、
現在では2つの居住区にそれぞれ30世帯、160人が暮らしている。
エコビレッジの敷地のうちの10%が居住区で、
残りの90%は自然環境がそのまま残されている。
家はエネルギー効率をよくする様々な工夫がなされ、
デュープレックスという2つの家がくっついている状態で建てられている。
案内してくれたエレンは「部屋は無駄に広くしていないので、
一般的なアメリカの家より小さいんだ」と言っていたが、
日本人にとっては充分な広さだ。
ここの住人は、「自然環境を守りながら持続可能な生活を作っていく」
というビレッジのコンセプトに賛同して、全米から移り住んできた人々が暮らす。
リタイア組みもいれば、医療や福祉、教育、IT関係の仕事をしている人など、
様々な職業、世代が暮らしている。
自然との共生を考えた時、それまでの生活習慣を変える必要があるが、
なかなか生活習慣を変えることは難しい。
例えば、ビレッジ内には車を乗り入れることはできない。
大きな荷物のあるときなどは、本来なら玄関に横付けしたいところだ。
不便が生じるが、環境にどうインパクトがあるのか、
メリットは何かなどを学んでいく。
テーマによって、専門家を招いた勉強会なども行い、住民たちは学び理解し、
生活習慣を変える努力をしている。
自然エネルギーを効率よく使うためには、
窓を広く取ってカーテンをつけず太陽光を暖房として使い、
また、洗濯機も住人たちでシェアし、順番を待って使う。
ガーデニングの道具や本、ビデオなど、シェアできるものは皆で
積極的にシェアする。
食事も週に4回は住民が参加して皆で食べるという「コモンミール」の日が設けられている。
そして、週に2時間は、コミュニティのために何らかのお手伝いをするのが住民の決まりだ。
プライベートと共有のバランスが大切だとエレンは言う。
気ままな都会生活に慣れていると、聞いただけでわずらわしさを感じてしまう人もいるかもしれないが、
ビレッジ内には、自然にコミュニティ感覚を養えるようなデザインや配置といったハード面の工夫もされている。
家は中央にある共有の庭を囲むようにお互いの玄関が向き合う形で、
曲線的に並んでいるので、自然と顔を合わせる機会が増える。
子供たちが遊ぶ共有の庭は、各家の窓から見えるので、
住人たちが皆で子供たちを見守ることができる。
また、1つの居住区には1つのコモンハウスがあり、
そこにコモンミール用のキッチンと食堂、シェアする洗濯機、
SOHO用のオフィス、ワークショップスペース、リサイクルスペース、
掲示板などが設けられ、皆で共有できる心地よい空間に仕上げられている。
洗濯の順番待ちは、洗濯機が空いていなければ「どんな風に洗って欲しいか」を
メモに書いて置いておけば、気づいた人がやってくれたり、助け合いが基本となっている。
自然と人、人と人同士がどう共存していったらいいかという試みの中で、
問題が起きないわけではないが、住人は世界のオピニオンリーダー的なビレッジということに誇りを持ち、
日々試行錯誤を重ねている。
日本のコミュニティの崩壊は、バブル崩壊とともに訪れたといわれている。
村というものはすでに形骸化していたが、バブル以前は、
終身雇用制度も残っており企業がある程度、生活の安全を保障し、
企業戦士というアイデンティティを与え、コミュニティの役割を負ってきた。
そのコミュニティの完全な崩壊により根無し草となった結果が
人々の不安感やストレスにも繋がっていると思う。
日本は欧米に比べてコミュニティ崩壊後の歴史が浅いことになり、
これからどうコミュニティを再生していくのかというスタート地点にも立っていない気がする。
エコビレッジという言葉もチラホラ聞くが、
単にハード面だけを取り上げて言っているところも見受けられる。
エコビレッジの本質とは、建築やエネルギーシステムの技術だけではなく、
基本には人間の意識や気づき、つながりの回復なくしては成り立たないものなのである。
エコビレッジの意味、まさしくその通りだと共感いたします。
人間に対する時間を少なくさせて、発展し続け、先進国の代表ともなり、行く先の方向性も定まらない日本。その日本においては今後失ったコミュニティの復活や、それに代わる新しいコミュニティが必要になると考えます。
…と書くとまるで政治する人や新興宗教ふりまいているような人間に見えるかもしれませんが、いたって普通の、建築系の学部の大学4年生ですw
ただ、まさしく自分が考えていたことと同じ記事を目にしたのでコメントだけ残しました。
では、失礼いたします。
はじめまして。コメントありがとうございます。
>その日本においては今後失ったコミュニティの復活や、それに代わる新しいコミュニティが必要になると考えます。
おっしゃるとおりだと思います。
今年、中古の家に土間をつけるリフォームをしましたが、畑をやっていると、家の内と外が分断されている家は非常に使いづらいのです。昔は縁側とか土間がある家多かったのでしょうが。
内と外を分断する、そして、人と人を分断する建築や街のデザインから、もっと内と外、人と自然をつなげて、人と人をつなげるような建築や街づくり、これから必要だと思います。
がんばってくださいね!
それから、ちょっと新しいこととか精神性を主張すると「宗教」って思われる、もしくは思われるんじゃないかと心配する傾向は、オウム事件の頃からでしょうか、私自身もそういう時よくあります。
ちゃんと全うな意見を堂々と言える世の中にしていきましょう。