自分の音色と色彩
「自分のやりたいことを仕事にしよう」的な広告や自己啓発的な講座などをしばしば見かける。
そして、自分のやりたいことはこれだ!と思って、始めて見ると、「あれ、違うかも」と思って、だんだんやっていて辛くなってきたりすることはないでしょうか?
おそらく「自分」ってなんだか明確じゃないからなのではないかと思う今日この頃。
「自分」というものをホリスティックな観点から見た時には、物質界に存在する自分(以後「パーソナリティ」と呼ぶ)と、霊魂的な自分(以後「魂」と呼ぶ)があるので、どちらを自分と思っているかによって違ってくる。
自分の好きなこと、得意なこと、やりたいこと、あたりから割り出していくと、パーソナリティ的自分が見えてくるのかなと思います。そして、真なる自己の実体である魂的な自分は、そこに注目を向けていくことがなければ、勝手に向こうから秘密を開示したりはしません。
真なる自己とつながりたい欲求は、人間の本性の中に組み込まれてます。様々な分野とレベルで見られる人間の欲求は、その根源的な欲求の不完全なる表現とみることができるでしょう。
無自覚であれ、自覚的であれ、そちらの方向にいずれは向かっていき、そして自覚的に向かい始めたところからまた、試行錯誤がはじまります。
そんなところから、スピリチュアルな情報に、より関心が向かっていくわけですが、情報として知っただけでは何の変化も訪れるわけもなく、知ったら実践する、実践する勇気をもつ、そして結果を人のせいにしないことが大事。
「知ったからにはやってください」ってことです。好奇心は重要ですが、単なる好奇心やその他の理由で情報だけ集めても、それは害になるだけの場合もあります。
自分に響く、はっとする言葉や考え方を見つけたならば、今度はその響きに共鳴し、自分から発せられる音色や色彩を、最大限の想像力と創造力をもって表現していくことが、自分を生きることに繋がっていくと同時に、人に与えられている、最も重要な能力を使うことにつながるのではないかと思います。
「自分のやりたいことを仕事にしよう」的な広告や自己啓発的な講座などをしばしば見かける。
そして、自分のやりたいことはこれだ!と思って、始めて見ると、「あれ、違うかも」と思って、だんだんやっていて辛くなってきたりすることはないでしょうか?
おそらく「自分」ってなんだか明確じゃないからなのではないかと思う今日この頃。
「自分」というものをホリスティックな観点から見た時には、物質界に存在する自分(以後「パーソナリティ」と呼ぶ)と、霊魂的な自分(以後「魂」と呼ぶ)があるので、どちらを自分と思っているかによって違ってくる。
自分の好きなこと、得意なこと、やりたいこと、あたりから割り出していくと、パーソナリティ的自分が見えてくるのかなと思います。そして、真なる自己の実体である魂的な自分は、そこに注目を向けていくことがなければ、勝手に向こうから秘密を開示したりはしません。
真なる自己とつながりたい欲求は、人間の本性の中に組み込まれてます。様々な分野とレベルで見られる人間の欲求は、その根源的な欲求の不完全なる表現とみることができるでしょう。
無自覚であれ、自覚的であれ、そちらの方向にいずれは向かっていき、そして自覚的に向かい始めたところからまた、試行錯誤がはじまります。
そんなところから、スピリチュアルな情報に、より関心が向かっていくわけですが、情報として知っただけでは何の変化も訪れるわけもなく、知ったら実践する、実践する勇気をもつ、そして結果を人のせいにしないことが大事。
「知ったからにはやってください」ってことです。好奇心は重要ですが、単なる好奇心やその他の理由で情報だけ集めても、それは害になるだけの場合もあります。
自分に響く、はっとする言葉や考え方を見つけたならば、今度はその響きに共鳴し、自分から発せられる音色や色彩を、最大限の想像力と創造力をもって表現していくことが、自分を生きることに繋がっていくと同時に、人に与えられている、最も重要な能力を使うことにつながるのではないかと思います。