
今読んでいる本に、「星の王子さま」の一節が出てきた。
「君が、君のバラの花をとても大切に思っているのはね、
そのバラのために、時間を無駄にしたからだよ」
その一節に対して、
今、読んでいる本にはこう書いてあります。
「その言葉は、聴く、とはどういうことか、
その本質を鋭く突いていると言えるでしょう」
確かにそうかも。
そして、思ったのですが、
それが「愛」の本質につながるのではないかと。
秘教的な教えに於いての
三位一体は「意志」「愛と叡智」「創造的知性」
を表わしている。
そして私たちが生きる宇宙は
「愛と叡智」を土台とした宇宙。
よく見る、聴く、知ろうとする、
そこに時間を使い自分の心を使う。
例えば、飼い猫の気持ちになった時に、
「〇〇ちゃんかわいいね~」
とは言っているけれど、猫的には
「あんた、そういってるけど
私のことちゃんと見てないがね」
と思ってる。
相手が人間だったら
「ありがとう」とか「きもちわるい」とか
「そんなことないです」とか
何らかのリアクションがあるので、
勝手な思い込みを修正する機会がある。
しかし、相手が動植物の場合、それがわかりにくいので、
勝手に人間目線の思い込みで判断することは良くあること。
世の中の人たちは忙しいので、
動植物はもちろんのこと、人間に対しても
「あれはこうでああで、あの人は、ああいう人で、
だからこうなんだ」
と適当に結論付けて
「無駄に時間を使わないようにして」
さっさと次に行く。
はい、次行ってみよ~的な。
ましてや動植物をや、
そして地球をや、だ。
忙しい人たちは、
休むことすら、忙しそうに
無駄にしないように休んでいる。
ちなみに「時間」とは「記憶」であるといわれる。
もし、バラの花に無駄な時間を使ったらどうなるか?
バラの花から伝わってくる様々な印象、
美しさやトゲトゲ、気高さ、喜び、
それは自分の中に深く浸透してくるだろう。
よく見たモノ、良く聴いたもの、
そこには宇宙の真理が含まれている。
記憶というより、真理を得ることで、
その時間は永遠のものとなる。
永遠なるものは、
自分が肉体から去ったとしても
魂に永遠に残っていく。
できればそういう時間の使い方をしたいものだ。
子どもの頃は、星の王子さまのその一節を読んで、
さっぱりわからなかったけれど、そんな風に思い、
また読んでみたくなりました。
「君が、君のバラの花をとても大切に思っているのはね、
そのバラのために、時間を無駄にしたからだよ」
その一節に対して、
今、読んでいる本にはこう書いてあります。
「その言葉は、聴く、とはどういうことか、
その本質を鋭く突いていると言えるでしょう」
確かにそうかも。
そして、思ったのですが、
それが「愛」の本質につながるのではないかと。
秘教的な教えに於いての
三位一体は「意志」「愛と叡智」「創造的知性」
を表わしている。
そして私たちが生きる宇宙は
「愛と叡智」を土台とした宇宙。
よく見る、聴く、知ろうとする、
そこに時間を使い自分の心を使う。
例えば、飼い猫の気持ちになった時に、
「〇〇ちゃんかわいいね~」
とは言っているけれど、猫的には
「あんた、そういってるけど
私のことちゃんと見てないがね」
と思ってる。
相手が人間だったら
「ありがとう」とか「きもちわるい」とか
「そんなことないです」とか
何らかのリアクションがあるので、
勝手な思い込みを修正する機会がある。
しかし、相手が動植物の場合、それがわかりにくいので、
勝手に人間目線の思い込みで判断することは良くあること。
世の中の人たちは忙しいので、
動植物はもちろんのこと、人間に対しても
「あれはこうでああで、あの人は、ああいう人で、
だからこうなんだ」
と適当に結論付けて
「無駄に時間を使わないようにして」
さっさと次に行く。
はい、次行ってみよ~的な。
ましてや動植物をや、
そして地球をや、だ。
忙しい人たちは、
休むことすら、忙しそうに
無駄にしないように休んでいる。
ちなみに「時間」とは「記憶」であるといわれる。
もし、バラの花に無駄な時間を使ったらどうなるか?
バラの花から伝わってくる様々な印象、
美しさやトゲトゲ、気高さ、喜び、
それは自分の中に深く浸透してくるだろう。
よく見たモノ、良く聴いたもの、
そこには宇宙の真理が含まれている。
記憶というより、真理を得ることで、
その時間は永遠のものとなる。
永遠なるものは、
自分が肉体から去ったとしても
魂に永遠に残っていく。
できればそういう時間の使い方をしたいものだ。
子どもの頃は、星の王子さまのその一節を読んで、
さっぱりわからなかったけれど、そんな風に思い、
また読んでみたくなりました。