裏磐梯は子供の頃に時々来ていた場所だけれど、
改めて良く通うようになったのは、思えば2005年の秋ぐらいから。
ということは、5年経ってるわけだ。
2009年11月に移住するまでは、年に何回も通ってきていた。
なぜかというと、「自然と仲良くなりたかったから」。
アロマセラピストとして東京で仕事をしていて、
自然療法やってるのに、自然についてちゃんと理解していない自分に気づいた。
そして、パーマカルチャーを学んで、
人間はいかに自然から恵みをもらって生きているか、
どういう循環の中にあるのかを身にしみて感じ、
自分が住む場所を探し始めた。
一度来たことがある人ならご存知かと思うけれど、裏磐梯はとにかく美しい。
観光で来る人が皆眼にするのは、磐梯山と五色沼。
裏から見た磐梯山は、北米にある有名なパワースポット、シャスタ山に似ているらしい。
五色沼の1つ、毘沙門沼はエメラルドグリーンでこの世のものとは思えない美しい色彩。
新緑、夏、紅葉の時期にはワークショップを企画して裏磐梯に訪れていた。
美しい季節を狙ってきていたつもり。
しかし、移住して思ったのは、毎日美しいということ。
寒い時は自分も苦手だと思っていたので、冬にはあまり来ていなかったけれど、
冬がまた、異次元空間で、美しいのです。
ワークショップで通ってきていた時には、
だいたい、良い天気で、いつもお天気が味方してくれていたよう。
自然の中で植物を感じながら。アロマやハーブを学べたらというのと、
自然とのつながりを、どうにかして取り戻すことが、
これから、自分たちの生き方を決める上で重要じゃないかと、
無意識に思っていたので、とにかく、自然との繋がりを取り戻すための数年間だった。
それについての詳細は、私の森.jpのインタビューにあるので、
興味のある方は、読んでみてください。
意識し始めてから、自分で植物園に通ったり、自然の豊かなところに通い、
自然界とのつながりを強めてきたつもりだったけれど、
1年ちょっと前に移住してからの変化というものは、
それまで、都会にいて自然の豊かなところに通って…
という感じで積み上げてきたものの比ではないぐらい、大きな変化になった。
一番大きいのは、ここに住むと決めて根を下ろすつもりでいるからか、
環境と自分が一体化しているということ。
近所の方が「自分の家から見える磐梯山は、みんな”うちの磐梯山”って思ってるから」
といっていたけれど、正にその通り。
磐梯山のみならず、周囲の自然環境は=自分でもあるような気分で、
それが少しでも傷つけられようものなら、自分も傷ついて悲しくなる。
それは、このあたりに書いてあります。森のオキテ
それから、雪解けの遅い裏磐梯は、春先は野菜はまだまだ採れないので、
山菜を採取します。しかも冬の保存の分まで。
秋になればキノコもたくさん生えてきます。
地元に人は、何もない冬に備えて山菜やキノコは上手に保存します。
農耕だけではなく、採取生活が半分はいるため、
自然との距離感、生かされているという感覚がますます大きくなりました。
初夏の「わさびーふ失踪事件」も自然との距離を縮める出来事でした。
飼い猫わさびが、2日間戻ってこないことで、いろいろな体験をしました。
自然の厳しさと優しさの両方を感じる出来事でもあり、
森の不思議な力を感じる出来事でもありました。
大地と共に暮らすネイティブアメリカンの人たちが残した知恵や文化も
そんなこんなで身近に感じることも増えてきました。
つくづく、私たちは人間中心の西洋文化に考え方や感性が
良くも悪くも支配されているんだなということが改めて分かりました。
メディスン
この言葉の意味を直感したことも大きかったです。
去年の夏の「森の薬草使い」の時には、お天気があまり良くない予報で、
今までだと、「晴れますように!」と願うばかりだったのですが、
どんな天気であっても、起こるべくしてそうなってることに気づき、
天気も含めて自然界の協力であることを受け入れることにしたのですが、
そうすると、ちゃんと自然界の存在たちが答えてくれることも実感し、
ますます、信頼関係を深めることが出来たような気がします。
学んだことを書こうと思ったのですが、
過去のブログのリンクになってしまいました。
とにかく、自然と向き合って暮らしていると、
生活そのものが聖なるものになっていくということ。
裏磐梯は人も住んでいるけれど、圧倒的な自然があるので、
今まで住んできたどことも違う感覚です。
聖なるものと俗なるもの
***
どんなところで暮らして何をしていくかは、もちろん人それぞれ、
選択の自由があると思うけれど、
自然に寄り添って生きていくこと以外の解は、今のところ私には見出せません。
一年前は、人間らしく生きたいなぁと思っていたけれど、
それはこの環境と周囲の人たちの助けによって、体験できた気がします。
年を追うごとに洗練していけたらいいなと思っています。
自分自身は、アロマテラピーを仕事にしてから、植物たちに凄くお世話になっています。
前から思っているのは、お世話になってるから、それは恩返しをしたいということ。
自然界の言葉を多くの人に伝え、多くの人が自然界とコミュニケーションしながら、
未来の暮らしを創っていけるサポートが出来たらなぁ…
というのが新年の抱負でしょうか。
改めて良く通うようになったのは、思えば2005年の秋ぐらいから。
ということは、5年経ってるわけだ。
2009年11月に移住するまでは、年に何回も通ってきていた。
なぜかというと、「自然と仲良くなりたかったから」。
アロマセラピストとして東京で仕事をしていて、
自然療法やってるのに、自然についてちゃんと理解していない自分に気づいた。
そして、パーマカルチャーを学んで、
人間はいかに自然から恵みをもらって生きているか、
どういう循環の中にあるのかを身にしみて感じ、
自分が住む場所を探し始めた。
一度来たことがある人ならご存知かと思うけれど、裏磐梯はとにかく美しい。
観光で来る人が皆眼にするのは、磐梯山と五色沼。
裏から見た磐梯山は、北米にある有名なパワースポット、シャスタ山に似ているらしい。
五色沼の1つ、毘沙門沼はエメラルドグリーンでこの世のものとは思えない美しい色彩。
新緑、夏、紅葉の時期にはワークショップを企画して裏磐梯に訪れていた。
美しい季節を狙ってきていたつもり。
しかし、移住して思ったのは、毎日美しいということ。
寒い時は自分も苦手だと思っていたので、冬にはあまり来ていなかったけれど、
冬がまた、異次元空間で、美しいのです。
ワークショップで通ってきていた時には、
だいたい、良い天気で、いつもお天気が味方してくれていたよう。
自然の中で植物を感じながら。アロマやハーブを学べたらというのと、
自然とのつながりを、どうにかして取り戻すことが、
これから、自分たちの生き方を決める上で重要じゃないかと、
無意識に思っていたので、とにかく、自然との繋がりを取り戻すための数年間だった。
それについての詳細は、私の森.jpのインタビューにあるので、
興味のある方は、読んでみてください。
意識し始めてから、自分で植物園に通ったり、自然の豊かなところに通い、
自然界とのつながりを強めてきたつもりだったけれど、
1年ちょっと前に移住してからの変化というものは、
それまで、都会にいて自然の豊かなところに通って…
という感じで積み上げてきたものの比ではないぐらい、大きな変化になった。
一番大きいのは、ここに住むと決めて根を下ろすつもりでいるからか、
環境と自分が一体化しているということ。
近所の方が「自分の家から見える磐梯山は、みんな”うちの磐梯山”って思ってるから」
といっていたけれど、正にその通り。
磐梯山のみならず、周囲の自然環境は=自分でもあるような気分で、
それが少しでも傷つけられようものなら、自分も傷ついて悲しくなる。
それは、このあたりに書いてあります。森のオキテ
それから、雪解けの遅い裏磐梯は、春先は野菜はまだまだ採れないので、
山菜を採取します。しかも冬の保存の分まで。
秋になればキノコもたくさん生えてきます。
地元に人は、何もない冬に備えて山菜やキノコは上手に保存します。
農耕だけではなく、採取生活が半分はいるため、
自然との距離感、生かされているという感覚がますます大きくなりました。
初夏の「わさびーふ失踪事件」も自然との距離を縮める出来事でした。
飼い猫わさびが、2日間戻ってこないことで、いろいろな体験をしました。
自然の厳しさと優しさの両方を感じる出来事でもあり、
森の不思議な力を感じる出来事でもありました。
大地と共に暮らすネイティブアメリカンの人たちが残した知恵や文化も
そんなこんなで身近に感じることも増えてきました。
つくづく、私たちは人間中心の西洋文化に考え方や感性が
良くも悪くも支配されているんだなということが改めて分かりました。
メディスン
この言葉の意味を直感したことも大きかったです。
去年の夏の「森の薬草使い」の時には、お天気があまり良くない予報で、
今までだと、「晴れますように!」と願うばかりだったのですが、
どんな天気であっても、起こるべくしてそうなってることに気づき、
天気も含めて自然界の協力であることを受け入れることにしたのですが、
そうすると、ちゃんと自然界の存在たちが答えてくれることも実感し、
ますます、信頼関係を深めることが出来たような気がします。
学んだことを書こうと思ったのですが、
過去のブログのリンクになってしまいました。
とにかく、自然と向き合って暮らしていると、
生活そのものが聖なるものになっていくということ。
裏磐梯は人も住んでいるけれど、圧倒的な自然があるので、
今まで住んできたどことも違う感覚です。
聖なるものと俗なるもの
***
どんなところで暮らして何をしていくかは、もちろん人それぞれ、
選択の自由があると思うけれど、
自然に寄り添って生きていくこと以外の解は、今のところ私には見出せません。
一年前は、人間らしく生きたいなぁと思っていたけれど、
それはこの環境と周囲の人たちの助けによって、体験できた気がします。
年を追うごとに洗練していけたらいいなと思っています。
自分自身は、アロマテラピーを仕事にしてから、植物たちに凄くお世話になっています。
前から思っているのは、お世話になってるから、それは恩返しをしたいということ。
自然界の言葉を多くの人に伝え、多くの人が自然界とコミュニケーションしながら、
未来の暮らしを創っていけるサポートが出来たらなぁ…
というのが新年の抱負でしょうか。