北山耕平さんのツイッターでみたネイティブアメリカンの言葉。
バファローを殺すとき、わしらは自分が今なにをやっているのかはっきりと知っている。
わしらは彼のスピリットに許しを乞う。自分たちがなぜそんなことをするのか、
わかってもらおうと努める。わしらを生かしておいてくれるために
自らの肉を与えてくれた者たちの骨でさへ祈りを捧げて讃える。
わしらは祈る。彼らが再びこの地に帰ってくることを祈る。
自分の一族の者のためのみならず、自分の兄弟の生命のために、
そしてバファローの国のために祈る。
そうしたことはお前さんたちにはわかりようもないことかも知れん。
[レイム・ディアーの言葉「インディアン魂」上巻385p]
裏磐梯で、森の整備をしたり山菜採りをしたりしていると、
本当に、自然界からの恵みというものを強く感じます。
以前のブログにも書きましたが、人間のためにやることが環境負荷になっていることに、
すごく嫌悪感のようなものを感じてしまうようになった今日この頃。
でも、必要であったり、生きるためにやらなければいけないことだったりすると、
どうバランスをとっていったらいいのかなというのが、自分の中の今のテーマでした。
自然界とどう付き合っていくかということ。
もちろん、この大自然が気に入って引っ越してきたので、この環境は守りたい思うし、
でも生活のために自然環境を生かして、自然のものを活用して行きたい。
自然と一体になった生活をしたいと思っています。
でも、人間がいるだけで地球にとっては環境負荷なのですよね。
うちのニャンコたちは、毎日森の中に行って遊んでいるけれど、
彼女達が入ったぐらいでは、森の中に咲く小さな花たちにもそんなにダメージはないけれど、
私が入って踏みつけてしまったら、結構なダメージになります。
じゃあ、森の中に入らなければいいじゃないという考えもありますが、
時々は入って、瞑想したり、散策したり、いろいろ発見すること
、山菜採りだってしてみたいです。
それは、たぶん、自分にとっては必要なことなのです。
単に、観光とか癒しで入るわけではなくて、
生活の一部として、自分にとっては必要なもの。
バランスのとり方を、最近考えていて、冒頭で紹介したネイティブアメリカンの言葉が凄く響きました。
感謝するということ、祈るということ。
自然界のものたちに依存している自分を知り、
必要なものをいただき、感謝の気持ちを伝える。
祈ったり、感謝の気持ちを伝えるというのは、
「自分が自然に負荷を与えている」という罪悪感を
緩和させるというのもあるのかもしれない。
裏磐梯に越してきて、天気に左右され、
日々の植物の成長や自然界の様々な変化を感じられる生活、
山菜を採取したり、間伐材を薪用にいただいたり、
本当に自然の恵みに頼っている感覚が、
ひしひしと感じられるようになりました。
そして「おまえさんたちにはわかりようもないかもしれん」と言っていますが、
実感としてこのことがわかるようになって、
ここに引っ越してきて本当に良かったと思っています。
これからも自然界と礼儀をわきまえたお付き合いをしていきたいし、
いろいろ自然から学んで生きたいし、
多くの人に自然の言葉をちゃんと伝えられるようになりたいなと思います。
バファローを殺すとき、わしらは自分が今なにをやっているのかはっきりと知っている。
わしらは彼のスピリットに許しを乞う。自分たちがなぜそんなことをするのか、
わかってもらおうと努める。わしらを生かしておいてくれるために
自らの肉を与えてくれた者たちの骨でさへ祈りを捧げて讃える。
わしらは祈る。彼らが再びこの地に帰ってくることを祈る。
自分の一族の者のためのみならず、自分の兄弟の生命のために、
そしてバファローの国のために祈る。
そうしたことはお前さんたちにはわかりようもないことかも知れん。
[レイム・ディアーの言葉「インディアン魂」上巻385p]
裏磐梯で、森の整備をしたり山菜採りをしたりしていると、
本当に、自然界からの恵みというものを強く感じます。
以前のブログにも書きましたが、人間のためにやることが環境負荷になっていることに、
すごく嫌悪感のようなものを感じてしまうようになった今日この頃。
でも、必要であったり、生きるためにやらなければいけないことだったりすると、
どうバランスをとっていったらいいのかなというのが、自分の中の今のテーマでした。
自然界とどう付き合っていくかということ。
もちろん、この大自然が気に入って引っ越してきたので、この環境は守りたい思うし、
でも生活のために自然環境を生かして、自然のものを活用して行きたい。
自然と一体になった生活をしたいと思っています。
でも、人間がいるだけで地球にとっては環境負荷なのですよね。
うちのニャンコたちは、毎日森の中に行って遊んでいるけれど、
彼女達が入ったぐらいでは、森の中に咲く小さな花たちにもそんなにダメージはないけれど、
私が入って踏みつけてしまったら、結構なダメージになります。
じゃあ、森の中に入らなければいいじゃないという考えもありますが、
時々は入って、瞑想したり、散策したり、いろいろ発見すること
、山菜採りだってしてみたいです。
それは、たぶん、自分にとっては必要なことなのです。
単に、観光とか癒しで入るわけではなくて、
生活の一部として、自分にとっては必要なもの。
バランスのとり方を、最近考えていて、冒頭で紹介したネイティブアメリカンの言葉が凄く響きました。
感謝するということ、祈るということ。
自然界のものたちに依存している自分を知り、
必要なものをいただき、感謝の気持ちを伝える。
祈ったり、感謝の気持ちを伝えるというのは、
「自分が自然に負荷を与えている」という罪悪感を
緩和させるというのもあるのかもしれない。
裏磐梯に越してきて、天気に左右され、
日々の植物の成長や自然界の様々な変化を感じられる生活、
山菜を採取したり、間伐材を薪用にいただいたり、
本当に自然の恵みに頼っている感覚が、
ひしひしと感じられるようになりました。
そして「おまえさんたちにはわかりようもないかもしれん」と言っていますが、
実感としてこのことがわかるようになって、
ここに引っ越してきて本当に良かったと思っています。
これからも自然界と礼儀をわきまえたお付き合いをしていきたいし、
いろいろ自然から学んで生きたいし、
多くの人に自然の言葉をちゃんと伝えられるようになりたいなと思います。
いつかまた 進化した安珠にお目にかかれますように…
久しくあっていないですね。
私も進化したレリジオさんと再会したいです!