えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

右腕の記憶⑥

2018-02-25 14:42:33 | 書き物


駅に向かいながら、考えていた。
環境を変えるのに躊躇うのは、高橋くんのことが気になるからなのかもしれない。
自分に、聞いてみる。
高橋くんと一緒にいたいの?
高橋くんが気になるの?
こんな相性のいい人は初めてだから、一緒に仕事するのは楽しい。
真面目かと思えば案外お茶目で、人懐こい笑顔を見ると安心する。
これは、好きという気持ちなんだろうか。
そうなのかもしれないし、分からない…
これだけだと、姉のような気持ちなのかもしれないし、相性がいいと思うのは私からだけかもしれない。
どんなに考えても、結論なんて出なかった。

金曜日。
高橋くんと訪れたお店は、以前高橋くんが潰れてしまった店。
団体客用の個室とは別に、簾が掛かった個室っぽい4人掛けの席がある。
カップルに見られたのか、そこへ案内されて向かい合わせに座った。
高橋くんは、始めからビールをぐいっと飲み、大丈夫かと心配になった。
私は私で、勢いをつけるためにビールを呷る。
ほどよくアルコールが回ってきた頃、大好きな焼きうどんに手を付けるのを我慢して、口を開いた。
「実は、高橋くんに聞きたいことがあったから、誘ったのよ」
高橋くんを見ると、彼にしてはけっこう飲んでいるのに、酔っているように見えなかった。
「聞きたいこと、ですか」
「うん、もうまどろっこしいからストレートに聞くけど。高橋くん、私が火事に巻き込まれた時一緒だったあっちゃんだよね?」
ビールのジョッキを置いた高橋くんは、黙ったまま。
「実はこの間実家に帰って、母に聞いたの。母は覚えていて、、教えてくれた」
驚いたような目で私を見て、高橋くんはゆっくり口を開いた。
「小山さんから火事の話を聞いてから、あのお姉ちゃんなんだって気づきました。それまで漠然とお姉ちゃんに似てると思っていただけだったけど。まさか、転職した先であのお姉ちゃん会えるなんて、思ってもいなくて…」
「こんな怪我したくせに、私は大分記憶が抜けてしまってるけど…高橋くんはどのくらい火事のこと、覚えてるの?」
「五歳でチビだったけど、よく覚えてるんです。小山さんは…お姉ちゃんは、吹っ掛けてくる炎や落ちてくる材木から、僕を護ってくれて。早く逃げなさい!って消防士さんに僕を預けてくれて…お姉ちゃんは火傷をして痛かったのに」
私から火事の話を振ったのに、高橋くんの言葉を聞いて急に火事のときの炎が思い出された。
もう20年以上たつのに、こうして何かのきっかけで思い出す。
なめるような炎と、右腕にふりかかった、燃えた柱を。
怖い記憶が甦って来て、思わず自分の両腕を抱いた私に、高橋くんが向かいから急いで隣に来る。
「大丈夫ですか。思い出させちゃったんですね」
「何だろう…ちょっとしたきっかけで、パパッて思い出すの。すごく熱かったことや、逃げられなくて足が動かなくなったこととか…怖かった…」
燃えさかる炎がすぐ近くに迫った記憶が押し寄せ、それしか言えず、黙りこんでしまう。
高橋くんの手がおずおずと肩にまわり、肩と腕を擦ってくれる。
「思い出させて、ごめんなさい…」
「聞いたのは私だもの…私こそ、ごめんなさい。あっちゃんだって、思い出したくなかったでしょう」
いつの間にか、『お姉ちゃんとあっちゃん』になっている。
「…お姉ちゃんに助けてもらって護ってもらって。無傷なのに怖くてわんわん泣くしか出来なくて。なのに、お姉ちゃんは泣くことも出来ないくらい痛いのに、必死に耐えているのが僕にも分かった」
少し苦い目をしてる。
「お姉ちゃんに護られるだけで、何にも出来ない。子供だったけどそれがすごく情けなくて…。大人のお姉ちゃんに会えたって分かっても、自分から言い出せなかったんです。お姉ちゃんに会えたら伝えたいこと、いっぱいあったはずなのに…」
「…もう、何言ってるのよ。あっちゃんだって怖い目に会ったのよ。情けなくなんかないよ。」
腕をだらんと下げたまま、俯いている隣の『あっちゃん』の肩に、頭を乗せた。
高橋くんの肩が、ぴくりと揺れる。
ふと、今、こうしてる私たちはどんな関係なんだろうと思った。
頭を乗せた細身の肩は、思っていたよりがっしりしていて、私の肩に置かれた手のひらは、大きくて暖かい。
『あっちゃん』と呼んではいるものの、隣にいるのは大人の男の人なんだと、実感する。

「…じゃあ、やっぱり高橋くんは、ほんとに私の弟みたいってことだよね」
頭を肩から離して呼び方も『高橋くん』に戻して。
いつもの自分の声を出して、この微妙な雰囲気から抜け出そうとした。
このままだと、見ないでやりすごそうと思っていたことを、曝けださなきゃいけなくなりそうだ。
でも、肩から離そうとした頭はやんわりと押さえられ、大きな手のひらには、ぐっと力が込められて。
「…じゃ、ないです」
「…え?」
「…もう、五歳のあっちゃんでもないし、弟みたいでもない」
「小山さんの隣に座っているのは、大人の高橋敦だよ。もう、28歳の」
手のひらの力が緩んだから、顔を上げて高橋くんの方を向いた。
近い。
高橋くんが顔を寄せて来たから、思わず右の壁際に体を寄せようとした。
それを、大きな手のひらで阻止されて、至近距離で見合うはめになった。
「は、恥ずかしい…こんな近くで顔を見ないで」
「嫌だ」
じっと目を合わせて来るのを受けて、頬が紅潮してきたのが分かる。
「僕が大人の男だってこと、小山さんに受け止めて欲しいから。ちゃんと、僕を見て」
「分かった、分かったから。そんなじっと見なくても、一緒に仕事してれば高橋くんが大人の男の人だって、よーく分かるから」
「それだけじゃ、なくて…」
「え、まだ、ある?もうこの辺でいいじゃない」
これ以上何か言われたら、ややこしい方向へ行きそうな気がした。
高橋くんと、出来ることならややこしくなりたくなかったから、臆病な私はなんとか切り抜けようとした。
なのに。
高橋くんは、まったく視線を逸らさなかった。
「僕の気持ちも、小山さんに受け止めて欲しいんです」
「気持ち、って…」
「一緒に仕事していて楽しくて、真面目な顔で話を聞いてくれて、でも案外お茶目で。楽しそうな笑顔を見ると、安心する」
ここで、ニコって笑うのは、反則。
胸の辺りがザワザワしてきて、右手をそっと胸に当てた。
「一緒にいるとラクで、楽しくて。小山さんが笑っていると、嬉しい。辛かったり悲しい目に会ってると僕もつらくなるんです。でも、弟としてじゃない。」
「…それが僕の気持ち」
あぁ…まずい。
ほぼ、私と一緒じゃない。
こんな告白されたことないわ。
頭の中に、困惑と嬉しさがない交ぜになったものが、駆け巡った。
こうストレートに突撃してくるなんて、思ってなかった。
今日は、高橋くんがあっちゃんだってことが分かれば、姉と弟として楽しく飲めばいいと、思っていたのに。
弟じゃない、大人の男だと言われたら。
私も姉ではなくて女として、高橋くんに応えなければダメなの?
応えたい気持ちと分からない気持ち、割合を聞かれたらきっと応えたい気持ちが、高いってもう分かってる。
そう、今この状況で分かった。
でも、すぐに言葉が出て来ないよ…
一応彼だった人と少し前に別れた微妙な歳の女には、大人の男宣言は胸の辺りをぎゅっと掴まれたみたいだったから。
どうしていいか分からず、でもどうにかしたくて、ぴったりくっついて触れあってる側の手を、ぎゅっと握った。
すると、高橋くんの手がぎゅうっと握り返して来た。
顔を上げると、嬉しそうな笑顔。
「焼きうどん、冷えちゃったね」
高橋くんの声が、頭の上で響く。
「まあ、いっか。食べよ」
繋いだ手を解いたら、温もりが少し冷えた。
ふいに寂しい気持ちになってしまって手を伸ばしたら、同じように伸びてきた高橋くんの手のひらに収まった。
「これじゃあ、食べられない」
顔を見合わせて笑った。


右腕の記憶⑤

2018-02-25 01:18:53 | 書き物


ようやく週末になった。
週の半ばに深夜まで残ったりして、とても疲れていたけど、金曜の仕事帰りに実家に行くことにした。
母からたまには来いと言われたのもある。
けれど、1番の目的は火事の時の詳しい話を、聞くことだった。

独り暮らしをしている東京の下町も大好きだけれど、一年中海が見えて潮の香りをかげるのは格別だ。
東京駅から高速バスで約2時間。
駅前にバスが停まると、迎えに来てくれた母の車が見えた。
「わざわざごめんね~迎えに来てくれて助かったわ~」
「急に帰るって言って来るから、ビックリしたわよ。荷物少ないねえ」
「私の部屋も物もまだあるからね」
「いつまでいるの?」
「う~ん、明日の夜には帰る」
「日曜日までいればいいのに」
「日曜に用事があるから…バタバタ来てごめんね~」
「まあ、慌ただしいねえ。とにかく出来るだけゆっくりしたら」
私は料理も一応するけれど、やっぱり母の料理が食べられるのは嬉しい。
その晩は、私の好物の煮物や刺身、土地の名物の魚料理が出た。
「やっぱり、魚料理は美味しいなあ」
ビールをお供に、大好きな青魚をじっくり味わった。
「地元のお米も美味し」
いつもご飯はセーブているのに、こんなにご飯が進むおかずばかりじゃ、セーブなんて出来ないわ。
「それで、何の用事があるの?」
母があら汁をテーブルに置いてから、向かいに座りなおした。
早寝の父は、もう寝床に入ってしまっている。
「用事…ってなんで分かるの」
「何かなきゃ、こんな急に帰って来ないからねえ」
「あ…耳が痛い」
「責めてるんじゃないのよ。何もない方がいいに決まってるしね」
「そうね~」
「だからほら、何かあるなら言ってごらん」
「うん…簡単なことなんだけど、私が火事に巻き込まれたときのこと」
「…何か、思い出したの?」
「違うよ。何も思い出してないよ。ただ、あの時火事場に小さな男の子がいたよね」
「ああ…それは覚えてるのね」
「うん。何でだか分からないけど…それで、その子って誰?私の知ってる子だったの?」
母は少し下を向いて考えていた。
そして、顔を上げて答えてくれた。
「その子のことは覚えてないのね」
「うん」
「そうか…腕のやけどがかなりショックだったんだね」
「痛かったはずなのに忘れてるからね。忘れたかったのかな」
「きっと、その子のことも1番思い出したくない時、一緒だったから忘れたんだと思うよ」
「思い出したくない時…?」
「…その子はね、美樹と一緒に火事に巻き込まれたの。美樹は落ちてくる柱からその子を庇って、やけどを負ったのよ。」
「そうだったの…」
「その子は、小さな頃に美樹が可愛がってた、高橋さんちのあっちゃんよ」
「あっちゃんて言うと、敦くん?」
「そうそう、敦くんね。あの時は美樹が痛いのに我慢していて、あっちゃんは無事だったのにわんわん泣いててねえ…。お姉ちゃん、ごめんなさいって何回も叫んでいて、可哀想だったわ」

あの小さな男の子が高橋くんだってことは、あっさり分かった。
高橋くん、この時のこと覚えてないの?
美樹ちゃんて呼んでくれてたのに…
それとも、知ってて黙ってるんだろうか。
何かすごく寂しい気持ちになって、黙りこんだ。
「何を気にしてるの?あっちゃんなんて、引っ越してから会ってないでしょう」
「う~ん、それがねえ。いま、同じ会社なんだ」
「ええ?」
「びっくりでしょ?中途入社で入って来て、今一緒に外回りしてるんだから」
「そんなこと、あるのねえ」
「気になるのは、子供の頃に近所にお姉ちゃんがいたって覚えてるのに、私だって分かってるのかどうかってこと」
「そうね…そこは、分かりようがないかもしれないね」
母にそう言われたのでは、もう何も言えなかった。

週が開けて、通常通りの仕事が続く。
7月に入り、まわりはみんな半袖やノースリーブだけれど、私は変わりばえのしない長袖のシャツ。
高橋くんに火事のことを聞きたかったけれど、きっかけが掴めなくて悶々としてしまった。
高橋くんは高橋くんで、何か言いたそうな気配を漂わせているのを感じる。
私が悶々としてるのが、バレバレだからなのか。
それとも高橋くんも言いたいのに、きっかけが掴めない状態なのか。
そのせいなのか、そんなに口数の多くない彼が、もっと静かになっていた。
もちろん、仕事中はちゃんと営業トークをしてる。
客先を出た途端、「はい」とか「そうですね」とかばかりになって、チラッと私の方を窺ったりしてる。
せっかちではないつもりだけれど、さすがにモヤモヤが最高潮に達してしまった。
「ねえ、高橋くん明日の夜空いてる?」
「え、明日ですか」
「うん。飲みに行かない?」
「ああ、あの…明日の夜は、後輩と会う約束があるんです。金曜日なら…」
「あ、そうなんだ。じゃあ、金曜日にどう?」
「はい。行きます」
「じゃ、金曜日によろしくお願いします」
「はい」
今日は水曜日。
後は2日もモヤモヤするのか…
とりあえず雑念を振り払って、仕事しよう。

木曜日、大きな乗り換え駅にある書籍と文具を扱っている、巨大な店舗を尋ねた。
定番の文具の他に、季節限定の物などを提案するためだ。
会議室でプレゼンをして、商談がまとまったのですっきりした気分で、その部屋を出ようとした時だった。
「小山さん、ちょっとお話があるのですが…いいですか?」
「お話ですか。何でしょう」
話を聞こうと、私も高橋くんも立ちかけた席にまた座った。
「あ、高橋さんはちょっと外して貰えますか」
高橋くんは少し口角をあげ、そうですか、と言い廊下へ出て行った。
お馴染みの担当者…いつもは軽口をたたいたりする、木村さんが改まって口を開いた。
「実は、小山さんをウチにお誘いしたいと思ってまして」
「は?それは、どういう…?」
「ウチで働きませんかってことです」
「ええ!?」

会議室を出ると、廊下に高橋くんがいた。
「ごめんね、待たせちゃって」
「いいですよ、気にしないで。で、何の話ですか?聞いてもいいですか?」
「外に出たら話しましょう」
外の通りに出て歩きながら話した。
「あの書店で働かないか、って誘われたよ」
「…そんな誘いってアリなんですか?」
「う~ん、なくもないというか…私も、興味はあるかな」
「じゃあ、前向きに…」
「うん。考えてみようかな」
高橋くんは、しばらく何か考えているようだった。
「小山さん、ポップ書いたり販促のプラン考えるの好きですよね…」
そんなことを口にしてくれた。
「うん、そうなの。そんなところを見てくれたのかな」
「あ、そういえば。後輩に会うって今日だよね。」
「そうなんです。大学の後輩なんですけど、幼なじみでもあって。実は今総務にいるんです。」
「うちの会社なのね」
「そうなんです。最近営業に行きたいって言い出して。ちょっと話を聞こうと思って」
「へえ~いいんじゃない。やる気があるなら」

外回りから戻ってからは、事務仕事。
商品を発注して注文されたものをチェックして。
その合間には、今日のお誘いのことを考えていた。
自分には、営業よりも合っていそうな気がした。
でもなぜか、心のどこかで躊躇っている。
なぜなんだろう…
ただの不安?
それとも…
いつの間にか、手が止まっていて考え込んでいたみたいで、高橋くんに呼ばれて我に返った。
「小山さん、ちょっといいですか」
高橋くんの方へ顔を向ける。
高橋くんのデスクの脇には、まだ新人のような女の子が立っていた。
「この子が、後輩の宮崎です。いま、総務にいるんですけど」
「宮崎美緒です。よろしくお願いします」
ていねいに頭を下げたその子は、長い髪をサイドでまとめ、くりっとした垂れ目の可愛らしい子だった。
清楚な雰囲気、声。
ていうか、後輩って女の子だったのね。
「今日は話を聞いてアドバイスするだけなんですけど…総務から営業ってどう思います?」
高橋くんが親身になってあげてる。
これは、ほんとに彼女なのかな…
「やる気さえあれば、いいと思うけどな。今日はじっくり高橋くんに話を聞いて貰ったら?その上で希望を出せばいいよ」
「はい!ありがとうございます」
嬉しそうな笑顔がものすごく、感じがいい。
「じゃ、私はもうだいたい済んだから、帰るね。」
「はい、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
二人のお疲れさまに送られて、部屋を後にした。