結
『今日も予定通り行きます。準備して待っていて下さい』
中学生だからと、まだガラケーの私の携帯。
メール画面を閉じると、数学の参考書、ノート、筆記用具を出してテーブルに並べる。
今日は土曜日。
1週間に1度、家庭教師が来る日。
その、家庭教師というのは…
「こんにちは!竹内です。お邪魔します」
部屋から出て、2階の踊場から階段を覗く。
すると、『彼』が上がりながら上を見た。
「よう、元気だったか?」
ちょっとぶっきらぼうな口をきく、先生は25歳。
私より10歳年上。
夏期講習に行った塾の、臨時講師だった人。
今は普通の会社に勤めていて、1週間に1度だけ来てくれるのだ。
母の同級生の息子さんで、母が頼み込んだらしい。
「今日はここのページからな」
問題集のページを指し、私はその問題に取りかかる。
終わると、先生が採点と解説をしてくれる。
ローテーブルの辺と辺。
遠いようで近く、近いようで遠い。
たまに肘が触れることもあったし、先生が私の持ってるシャーペンを取る時、指に触れることもあった。
何気なくされたことでも、私にとってはいちいちドキドキすることだった。
だって私、初めの授業の時先生を好きになっちゃったんだもの。
志望校にはちゃんと合格したい。
でも、受験生じゃなくなったらもう先生に会えない。
身を入れたいけど、身が入らない。
そんな態度を、気づくと注意されてしまう。
「ほら、もっと集中しないと。解けないぞ」
伏せ気味の目元にまつ毛が影を作る。
切れ長の目に見とれてしまうのを誤魔化したくて、
「すいません、先生」
と、そっぽを向いて返事をした。
そっぽを向いたまま手を止めてると、ぐっと顔を寄せて来るからビクッとする。
「何、ビックリしてるの」
口はぶっきらぼうだけど、ふふ、と笑いながら言ってくれて優しい。
優しいのは嬉しいけど、心臓に悪いよ、先生。
胸の中だけで呟いて、問題に取り組んだ。
後少しで本番。
追い込みなんだから、余計なことは考えちゃダメ。
…分かってはいるんだけど。
「一息つこうか」
母がコーヒーとドーナツを持って来てくれて、休憩になった。
休憩になると、先生は必ずスマホをチェックする。
彼女からメッセージが入ってるからだ。
読みながら頬が緩んでるのを見ると、胸の奥がきゅってなる。
分かってるけど…私はただの生徒だって。
中3の子どもだって。
でも、中3だって誰かを好きになれるんだよ。
モヤモヤして、先生に八つ当たりした。
「あーあ、私も優ちゃんみたいなスマホ、早く欲しいな~。それで、彼氏からのメッセージ見てにやけるんだ。誰かさんみたいに」
ドーナツを一口食べてから、口を尖らせた私の鼻がぐーっと摘ままれた。
「高校に入ったらって言われてるんだろ。まず、合格しなきゃな。それから、俺が彼女のメール見てにやけて、何か問題あるか」
指が離れても、尖らせた口のまま黙った。
…狡いよ、こんなこと。
好きになったら、こんなことだって嬉しいのに。
あなたは私なんか、眼中に無いんでしょ。
優太
母の友人に頼まれて、仕方なく引き受けた数学の家庭教師。
生徒は中学3年生の女の子だった。
10も下の中学生か。
子供のお守りみたいなもんかと思い、半年くらいならと通う事にした。
土曜の午後、親がいるとは言えその子の部屋で二人きり。
10上でも、俺だって男。
心配じゃないのか。
それとも、よっぽど子供なのか。
初めて訪ねた日。
玄関で迎えてくれたその子、中村結ちゃん。
予想してたより大人びていたし、物怖じしない子だった。
部屋に通されると、
「ここにいる時は結でいいよ」
と、俺の目をまっすぐ見て言われて、内心焦った。
今の15歳ってもう、大人みたいだなと。
「先生のこと、優ちゃんって呼んでいい?」
しれっと聞いて来るから、尚更。
いやいや、それはマズイよ。
「勉強してる時は先生って呼びなさい」
「…はーい。じゃ、それ以外は優ちゃんて呼んでいいの」
「え?まあ、それは…でも、勉強以外で会わないだろ」
「…そうだけど」
大人びてるけど、この辺はまだ子供なのか。
とにかく、1週間に1回の先生稼業が始まった。
冬になり、受験の本番が近づくと、さすがにふざけたり無駄話をする余裕は無くなった。
ただ、何に気を取られているのか、集中が切れることがよくある。
受験勉強疲れか…
でも、元々は勘の良い子だから、集中してやれば成績はちゃんと付いてきた。
ここまでくれば、後は本番で力を発揮すればいいだけだ。
結果が出れば、俺の先生業も終わり。
ただ…ここ何回か、結からの視線をよく感じる。
目を向けると、見たことのない瞳をしている。
考えてみれば、中3と言ったって女の子。
受験生だって好きな人の1人や2人、いてもおかしくない。
そんな悩みがあるのか。
彼女からのメッセージに緩んだ顔を見せたから、不貞腐れたのか。
やっぱり、女の気持ちはよく分からない。
それが、中学生でもだ。
彼女によく鈍感だと怒られるからなあ…
結を見ると、ドーナツをぱくついてる。
もう、早く合格してもらって、お役御免になりたい。
こんな慣れないことから早く解放されたい気持ちと、結がどうなって行くのか気になる気持ち。
まるで、海の上のボートでゆらゆら揺れてるようだ。
『今日も予定通り行きます。準備して待っていて下さい』
中学生だからと、まだガラケーの私の携帯。
メール画面を閉じると、数学の参考書、ノート、筆記用具を出してテーブルに並べる。
今日は土曜日。
1週間に1度、家庭教師が来る日。
その、家庭教師というのは…
「こんにちは!竹内です。お邪魔します」
部屋から出て、2階の踊場から階段を覗く。
すると、『彼』が上がりながら上を見た。
「よう、元気だったか?」
ちょっとぶっきらぼうな口をきく、先生は25歳。
私より10歳年上。
夏期講習に行った塾の、臨時講師だった人。
今は普通の会社に勤めていて、1週間に1度だけ来てくれるのだ。
母の同級生の息子さんで、母が頼み込んだらしい。
「今日はここのページからな」
問題集のページを指し、私はその問題に取りかかる。
終わると、先生が採点と解説をしてくれる。
ローテーブルの辺と辺。
遠いようで近く、近いようで遠い。
たまに肘が触れることもあったし、先生が私の持ってるシャーペンを取る時、指に触れることもあった。
何気なくされたことでも、私にとってはいちいちドキドキすることだった。
だって私、初めの授業の時先生を好きになっちゃったんだもの。
志望校にはちゃんと合格したい。
でも、受験生じゃなくなったらもう先生に会えない。
身を入れたいけど、身が入らない。
そんな態度を、気づくと注意されてしまう。
「ほら、もっと集中しないと。解けないぞ」
伏せ気味の目元にまつ毛が影を作る。
切れ長の目に見とれてしまうのを誤魔化したくて、
「すいません、先生」
と、そっぽを向いて返事をした。
そっぽを向いたまま手を止めてると、ぐっと顔を寄せて来るからビクッとする。
「何、ビックリしてるの」
口はぶっきらぼうだけど、ふふ、と笑いながら言ってくれて優しい。
優しいのは嬉しいけど、心臓に悪いよ、先生。
胸の中だけで呟いて、問題に取り組んだ。
後少しで本番。
追い込みなんだから、余計なことは考えちゃダメ。
…分かってはいるんだけど。
「一息つこうか」
母がコーヒーとドーナツを持って来てくれて、休憩になった。
休憩になると、先生は必ずスマホをチェックする。
彼女からメッセージが入ってるからだ。
読みながら頬が緩んでるのを見ると、胸の奥がきゅってなる。
分かってるけど…私はただの生徒だって。
中3の子どもだって。
でも、中3だって誰かを好きになれるんだよ。
モヤモヤして、先生に八つ当たりした。
「あーあ、私も優ちゃんみたいなスマホ、早く欲しいな~。それで、彼氏からのメッセージ見てにやけるんだ。誰かさんみたいに」
ドーナツを一口食べてから、口を尖らせた私の鼻がぐーっと摘ままれた。
「高校に入ったらって言われてるんだろ。まず、合格しなきゃな。それから、俺が彼女のメール見てにやけて、何か問題あるか」
指が離れても、尖らせた口のまま黙った。
…狡いよ、こんなこと。
好きになったら、こんなことだって嬉しいのに。
あなたは私なんか、眼中に無いんでしょ。
優太
母の友人に頼まれて、仕方なく引き受けた数学の家庭教師。
生徒は中学3年生の女の子だった。
10も下の中学生か。
子供のお守りみたいなもんかと思い、半年くらいならと通う事にした。
土曜の午後、親がいるとは言えその子の部屋で二人きり。
10上でも、俺だって男。
心配じゃないのか。
それとも、よっぽど子供なのか。
初めて訪ねた日。
玄関で迎えてくれたその子、中村結ちゃん。
予想してたより大人びていたし、物怖じしない子だった。
部屋に通されると、
「ここにいる時は結でいいよ」
と、俺の目をまっすぐ見て言われて、内心焦った。
今の15歳ってもう、大人みたいだなと。
「先生のこと、優ちゃんって呼んでいい?」
しれっと聞いて来るから、尚更。
いやいや、それはマズイよ。
「勉強してる時は先生って呼びなさい」
「…はーい。じゃ、それ以外は優ちゃんて呼んでいいの」
「え?まあ、それは…でも、勉強以外で会わないだろ」
「…そうだけど」
大人びてるけど、この辺はまだ子供なのか。
とにかく、1週間に1回の先生稼業が始まった。
冬になり、受験の本番が近づくと、さすがにふざけたり無駄話をする余裕は無くなった。
ただ、何に気を取られているのか、集中が切れることがよくある。
受験勉強疲れか…
でも、元々は勘の良い子だから、集中してやれば成績はちゃんと付いてきた。
ここまでくれば、後は本番で力を発揮すればいいだけだ。
結果が出れば、俺の先生業も終わり。
ただ…ここ何回か、結からの視線をよく感じる。
目を向けると、見たことのない瞳をしている。
考えてみれば、中3と言ったって女の子。
受験生だって好きな人の1人や2人、いてもおかしくない。
そんな悩みがあるのか。
彼女からのメッセージに緩んだ顔を見せたから、不貞腐れたのか。
やっぱり、女の気持ちはよく分からない。
それが、中学生でもだ。
彼女によく鈍感だと怒られるからなあ…
結を見ると、ドーナツをぱくついてる。
もう、早く合格してもらって、お役御免になりたい。
こんな慣れないことから早く解放されたい気持ちと、結がどうなって行くのか気になる気持ち。
まるで、海の上のボートでゆらゆら揺れてるようだ。