前回書いた藤沢カントリー倶楽部で東久邇宮稔彦親王もプレーした。
だから深い繋がりがあるという話ではない。
稔彦親王の次男の師正王は関東大震災の時に藤沢に居て命を落とした。
鵜沼にある吉沢鉄之助の別荘に避暑滞在中の事であった。
鵜沼は有名な別荘地だったが、師正王の避暑滞在は初めてだったのか。
師正王の母親は聡子内親王。
藤沢は東久邇宮家にとっても天皇ご一家にとっても特別な場所だろう。
稔彦親王の長男の長男にあたる信彦さんは、藤沢市に隣接する横浜市で不動産業を営む島田家の娘と結婚した。
地元は勿論近隣の事情にも明るい不動産業者なら、藤沢市内の事もよく知っているだろう。
旧家ともなれば釣り合う相手を地元の狭い地域で見つけるのは難しい。
同じような立場の大地主が何軒もある地域というのはそうは無いからだ。
江戸時代や戦前まで旧家の縁組相手は近隣の同じような家格家柄のお宅。
だから、旧家というのは近隣に沢山の親戚が居る。
そして、親戚があちこちに居る事も近隣の事情通になる理由なのだ。