恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆心こそ心惑わす心なり、心に心 心赦すな――中道の大切さ――◆
先の続き・・・
愛をもって相手に嘘偽りのないまことの心を言葉にして訴えかける時、
それが通じます。
正しい神理は、話す言葉の中に神の力が宿ります。
言霊とふつう言われるものです。
その言霊に対して、動物も植物もすべて応えてくれます。
神様の証しでもあります。
お釈迦様は両極端に偏らない心のバランスのとれた状態を中道と言われました。
「不放逸」という言葉で、人はほうけてはいけないと教えられました。
ほうけるとは、「惚ける」という漢字を当てます。
恍惚と言ったら、ボケのことです。
老人性痴呆症に限らず、遊びほうけたり、酒を飲み惚けたり、パチンコをし惚けたり、
とにかく惚けていてはならないと戒められました。
放っておいてはいけないというのは、
どこかで手綱を引き締めてかからなければならないということです。
ところで、怒りは放っておくと、すごく腹が立ってきます。
相手を殺してやろうかというところまで行きます。
しかし、そこまで行ってはなりません。
人はあまり極端に怒ってしまうと何をするかわからないし、また我慢し辛抱するといって
腹の立つのを抑えて心に詰め込んでいたら、やがてそれは苦しみに変わり、
いつか爆発してしまいます。
腹の立つことが起きて当然ですが、放逸にならないように、
一時も早く怒りを捨てるのが正法の修行です。
あまり苦しみの中にはまっても、またあまり楽な目にあっても、
中道に外れてしまいます。
日常によく使われる中和という言葉や和という言葉も、
やはり偏りや極端を避けようという考えにもとづくと言えましょう。
「心こそ心惑わす心なり 心に心 心赦すな」という道歌の意味は、
自己保存や自我我欲の心かあら来る放逸や我慢などによって、
中道を踏み外したらいけませんという、
自分で自分に言い聞かせる自己への戒めでもあります。
~ 感謝・合掌 ~