叡空さんは、どちらかというと快楽や快感の方を重視していませんか?
叡空・一般的なサイコセラピーでは、人は快楽か痛みによってしか行動しないという。
特に痛みを避けるための行動か、痛みによる気づきによる行動が成長に繋がると。
ATB(アートトータルバランス)は、痛みや快楽をモチベーション、道具にしたサイコセラピーではない。
人は恋する時、考えることはない。それは思考や理性を超えて『ただ』起こる。
神聖なハートの声に気がつく生の奇跡だけが、そこに存在する
あなたが恋人に執着して恋に「堕ちる」か、出逢いの感謝で愛に「昇る」のか。
いずれにしても、魂から生まれた恋が、「どちらになるのかわからない『瞬間』がある」。
「そこ」に意識を集めなさい。
零ポイント、意識の変わり目を観なさい。
零ポイント、意識の変わり目を観なさい。
幸福と不幸、快楽と苦痛の変換点、瞬間を意識しなさい。
それは、意図しない相対瞑想となるから。
注意深く観ることを続けていると、やがて幸福と不幸、快楽と苦痛、恋愛と愛すべてが、表裏だという、この世界の真理を垣間観るだろう。
注意深く観ることを続けていると、やがて幸福と不幸、快楽と苦痛、恋愛と愛すべてが、表裏だという、この世界の真理を垣間観るだろう。
この世で、恋だけが努力なく生じ「瞬間『零の変換点』」となりうる大いなる存在のギフトだ。
それは、修行を意識しないワークとなる。
恋の前では、あらゆるものが無力だ。
恋の前では、あらゆるものが無力だ。
この地球で最も平等なもの、それは恋の『力』だろう。
あなたが何物かに「なろう」とした「時」、恋に「堕ちる」。
あなたが、ただ「恋人に祈り、無垢なハートを晒した」時、恋人に大いなる存在を観る。
あなたは愛に「昇る」。時を超えた『ただ歓び』があるから。
あなたは愛に「昇る」。時を超えた『ただ歓び』があるから。
そこには、「失恋という「結果は存在しない」」。愛する存在に『ただ出逢えた奇跡への感謝と祈り』だけがあるから。
恋愛は日常生活で最も神秘で危険な瞑想だ。
あなたが神にも悪魔にもなるから。
恋は、善悪、二元価値を超えた零。
相対瞑想ATBは、恋の『力を空変換バランス』する「無努力変化の『恋愛瞑想』」を在家ワークの要にしている。
サイコセラピー、自己啓発セミナーに行かなくとも、あなたの愛する人たちが、瞑想であり成幸そのものだから。
合掌