Lost And Found

人生失くしたもの・・みつけたもの・・

面談という名の取り調べ、自白強要

2020-08-25 11:22:16 | 僕がヤマトでウツになったワケ

当時を思い出してこのように書き記すことは

フラッシュバックのため非常にストレスですが・・・

少しずつ更新していきます。

よろしくお願いします。

 

前エントリーからの続き

 

顛末書を持参し、主管へ支店長と二人で面談に行くことになりました。

会議室で二人で待っていると、サービス担当のお偉いさんと主管支店長がやってきました。

彼らは僕らの前に対面で座りました。

4者面談です。

 

まずサービス担当に事実関係を読み上げられ、確認されます。

僕はやっていないことはやっていない、とやんわりと訴えました。

まるで取り調べのようです。

 

サービス担当が一通り言いたいことを言ったあと、

発言は主管支店長の番に移りました。

主管支店長は手元の顛末書コピーに目をやりながら、手にはペン。

何かを書いています。

クレームを鵜呑みにした主管支店長は

僕の言い分にも目もくれず、

まず僕がかけているメガネを攻撃しはじめました。

 

そのメガネが客に威圧感を与えているんじゃないか?

次回からは普通の黒いメガネにしたらどうだ?

 

それからサービスセンターでの僕の評判に話が移りました。

 

君は問題児のようだね。

コールセンターのみんながそう言ってるよ

 

これまでの誤解を含んだクレーム、誇張されたクレームを元に

僕に対する攻撃が始まりました。

僕は針のむしろの中、僕は悔しさ、悲しさ、怒り、

フリーランスの頃には感じることのなかった情けなさ

といったの混ざり合った感情で頭の中がごちゃごちゃになっていました。

 

もうその頃には主管支店長とサービス担当も僕の主張が事実かどうかはもはやどうでもよく、

客のクレームを全て事実として認めれば現場復帰させてやろう、

という雰囲気に向かっていました。

私の横に座る支店長も、「それで一つよろしくお願いします。」

といった様子になっていました。

 

僕には生活がありましたので、そのような弱い立場の中、

悔しいですが、半ばそれを認める形で「手打ち」となりました。

 

この時、

ある意味冤罪ってこんな風に生まれているのかもしれないなあ・・・・

と変に感心しました。

 

僕はこの件で仕事が、客が、会社が完全に嫌いになりました。

新人として意欲に燃えていた影はすでにどこにもありません。

客や仕事に対しても委縮するようになり、

生活のため、嫌なことには目を瞑り、感情を押し殺し、

言われたことだけをやるようにしました。

もはや僕には喜びを表現する気力も理由もなく、

怒りや悲しみを表す気力も残されていない

ただの生きる屍でした。

 


あることないことチクる客

2020-08-25 10:43:33 | 僕がヤマトでウツになったワケ

代金引換の場合は、ドライバーが配達直前に事前電話することが会社での決まりですが、

それを怠ってしまったことで、あることないことチクられたお話です。

 

そのお宅の軒先に到着し、チャイムを鳴らし、在宅を確認し、

ドアを開けたところで玄関先にヤマトの安全靴があることに気づきました。

そのお宅はどうも旦那がヤマト関係者のようです。

僕は急に親近感が沸き、在宅の女性に自然と笑顔で応対したのを覚えています。

 

その事も忘れていた数日後・・。

サービスセンターからクレームのFAXが届きました。

 

「xxというドライバーはチャイムも鳴らさず、

急にドアを開け、

不愛想にお釣りを受け取って帰っていった。

そもそも事前連絡が必須なのではないか?」

 

という内容を長々と怒りを込めて書き連ねた文章でした。

それを見た支店長は僕に事実確認。

 

クレーム内容を聞いた僕は唖然としました。

 

話を聞いてみると、その女性は奥さんで元ヤマトのパート。

この辺でも有名なクレーマーなんだそうです。

 

僕は事前連絡をしなかったことを認めたうえで、

その他の行為はしていないことを声を上げて訴えましたが、

客のクレームにより疑惑が残る結果となり、

顛末書持参の上、主管での主管支店長との面談となりました。

 

顛末書には反省の上、

やっていないことに関しては納得いかないと訴えましたが、

書き直しさせられることとなりました。

僕は支店長の言葉に渋々応じ、言われた通り次のように文章を締めくくりました。

 

「お客様の言葉を真摯に受け止め、今後サービス向上に努めます。」

 

何か釈然としないものが残りました。

後日僕はそれを持って支店長と主管へ面談に行くこととなりました。

 

自分が蒔いた種とはいえ、そこでの扱いは酷いものでした。

そのお話はまた次のエントリーで。