商人と書いて「しょうにん」「あきんど」と読みます。
どちらも同じ意味合いを持っていますが、その使われ方は少し違っているようです。
しょうにん・・商業を営む人
商法上、自己の名をもって商行為をなすことを業とする者
あきんど・・商いを仕事とする人
なんだか、はっきり違いが分かりませんが、しょうにんと言えば組織的な枠組みが感じられて、あきんどは、個人的に商いを営んでいる人を指すように思えます。
なぜ、こんな話題になっているかと言いますと、
物が売れる楽しさを知ると、飽きないよね・・
って、今日はつくづく感じたことによります。
セレンディピティを閉店してから、販売という姿勢で日々を過ごすことは、少なくなりました。
その分、手作りに精を出して商品を作ることが、少なくなっています。
自分の手で物を作りださなくて、販売もしない・・つまり、実質的な経済の動きを手にしていないことの虚無感というのか、無力感というのか・・
そんな自分を叱咤することがありました。
つまり、物を売ることはあきない=商い=業だと実感した訳です。
店を閉店して、商品は仕舞い込んだままになっています。
が、しかし~
と、思った訳です。
店はないけど、ネット上には通販サイト Creemaに出品して、マイページがあることを大切にしたいと思いました。
そして、もう一つ気がつきました。
Creemaに出品していても、「全然売れない」と諦めている私。
放り出していて、Creemaを訪れるお客様に喜んで買っていただく努力をしていない私。
Creemaにとっても、良い作家ではありません。
ネット上の私のページを、管理しなくてはならないのですから・・ねぇ
そこで、自分に気概を入れようと売る手段を考えました。
今、私が引きつけられているネット上の広場、そこに集う人たちと大きな繋がりを築いてきた私でしょう。
コロナ禍でも、毎日、情報を発信すると応えてくださる人たち。
Insta映えする画像をInstagramに投稿する、豊富な話題や画像をFacebookに投稿するのを楽しんできたのに、多くの人と出会いながらも、いつしか、流れて行ってしまう人たち。
そこで、もっと情報提供の仕方を考えようと思った訳です・・ね。
美しい画像だけではなく、私の実態に関わる情報を出すことで、違った私の姿で繋がっていけるでしょ!
と思って、先の話題のCreemaに視線を向けた訳です。
FacebookやInstagramに私の作品情報を投稿して、Creemaを訪ねてもらって、花や空や景色の画像で繋がる私だけではなく、出品したものを見ていただき、買っていただいたら、本当の私が分かってもらえると思った訳です。
作品を仕上げると売れたときを連想して嬉しくなります。
作品が売れると、それを使ってくださっている方の心を想像して、嬉しくなります。
特に、手織りのマフラーを仕上げると、誰かの首元を暖かくしているのを想像して、嬉しさは私の心を暖めます。
ついつい、言葉が多くなってしまいました。
タイトルに「商いはあきないという言葉の心髄・・」としました心持ちを分かっていただこうと、言葉を並べてきました。
今日は、商いをして、物が売れることは嬉しくて、飽きることがないと実感しました。
それは、Creemaで2人の方が、私の作品を買ってくださったことにあります。
上に書きましたように、FacebookやInstagramに私の作品情報を投稿するようにしたことが、影響してのことかどうか、私には、判断できませんが・・。
すぐに発送を済ませ、商いをしたなあ・・と思い、商いは、飽きないよね・・
商いが飽きないものであるの真髄は、経済が動いたという充実感だと言えるでしょう。
物を作って、売って、お金が入る・・この楽しさを知ってしまった私です。
これからは、出品するたびに、Creemaへのお誘い画像を、投稿していきたいと考えています。
これから梅の花が盛んに咲きそうです。😀