映画『ニューシネマパラダイス』がケーブルテレビで放映されました。
何度か繰り返し放映されるのに、チャンネルを回したのが、毎回、最後の3分の1ぐらいの場面からでした。
これまで、何度か見ている映画なので、ストーリー的にはどの場面からでも楽しめる映画です。
ただ、同じ場面から見て、意識的になったのか、この場面での会話に引きつけられました。
「なぜ、ずっと一人でいきてきたの?」
「だれにも恋せずに・・・」
「あの頃は気づかなかったけど」
「あとになって気づいた」
「恋人など一人もいなかった」
「望まなかったの」
「ずっと父さんとお前たちに真心を尽くしてきた」
「性分なのね 変えられない」
「お前は私に似てるわ」
「自分のものに愛情を持ちすぎる」
「よいことかどうか・・・」
「真心を尽くすのは苦しいわ」
「誠実な人間は孤独よ」
主人公 サルヴァトーレと母マリアとの会話です。
サルヴァトーレは、恋人エレナとの別れのつらさで、村を離れローマへ。
ローマで映画監督として成功したサルヴァトーレは、30年後、村に帰りますが、エレナへの気持ちが、なにも変わっていないことに気づきます。
上の会話は、忘れられないエレナへの気持ちを見つめていたサルヴァトーレが、今の自分と同じ年代だった母親の人を愛する気持ちを聞いている場面です。
夫に先立たれ、幼い子供二人を抱えて、生き抜いた母親も、まだ、恋愛をする心を持って生きていたことに、気がついています。
この映画の所要時間の中で繰り広げられるこの場面は、ほんの4、5分の時間に過ぎません。
これまで何回か見てきたのに、この場面と会話が強烈に記憶に残るということはありませんでした。
が、しかし~
今回は、この場面に引きつけられました。
なぜ・・?と私の思いを見つめてしまいます。
話題のタイトルを「ニューシネマパラダイスの真実性」としています。
私が、何を真実性と言いたくてこのタイトルにしたのか・・・
この会話に表現されている子どもと大人、年齢、愛する、恋するなどなど・・
人生を生きる中で、人の心は成長や成熟などの変化はあるとしても、心は一貫性のある思いを持ち続けていることを、悟らせる会話であり、そこに映画が持つ真実性を感じると言いたかったのです。
子どもの頃、50才代~の大人を見て、お年寄りだと思っていました。
もう、家族を愛するのがその人にとっての愛であり、恋愛をする心の動きがあるなどとは思ってもいなかったのです。
でも~ う~ん 人間は違った!!
少女の心、少年の心は、何も変わることなく一貫性を持った思いとして、この誰かを愛する思いを内包して、私たちの心に生き続けている・・でしょっ!!
どんなに老いて、一人では何もできないと思える人でも、心の中は外見とは違った状態にあって、年相応の心の状態ではないことに、苦しくさえあることでしょう。
そんな心と、どう折り合って生きていくか、葛藤していない人は、誰一人としていないことでしょう。
あぁ、難しい話になってしまうので、後は、この映画を鑑賞してください。
良い映画ですよ。
Yahoo知恵袋に、この映画についての相談と回答がありましたので転載してみます。
年代別でこの映画についての感想がなぜ違うのか理解できますよ。
Yahoo 知恵袋より
質問者
映画 ニューシネマパラダイス見た方 ファンの方にはすごく申し訳ないのですが、なぜあれが名作なのかさっぱり分かりませんでした…。もちろん価値観を押し付ける気はないのですが、特にヒットする要因が分かりませんでした。 確かにテーマ曲とかラストシーンの曲は感動する曲でしたが、話しは特に何も起きなかったな~という印象です。 あれは割りきって曲を楽しむ映画なのでしょうか…?また面白いと思う方はどのような点を気に入っておられますか?
回答者
◎ベストアンサー
ニューシネマパラダイスは世代によって感じ方が異なります。現代のシネコン主体の入れ替え制、座席予約が一般的になる前、昭和時代の誰もが並んでギュウギュウ詰めの劇場で、汗だくで観てた時代にお祭りや公民館等での上映会や野外上映を幼少期や青春時代に経験している事で、郷愁が呼び覚まされフラッシュ・バックするのです。そこに情感溢れる名曲がオーバーラップする訳ですから、一度観ちゃうと曲聴いただけで感動するスイッチが入ってしまうんですね。 郷愁を呼び覚ますから名画と言われるのであって、その郷愁の元になる経験がなければ質問者さんの意見になるのも頷ける映画なのです。日本を含め世界的に高齢化社会なのですから映画観て感動する人の方が人口比率は多い訳でヒットして当然な訳です。私もそうした世代なのでとても好きな映画では有ります。
私も回答者の世代なのです。
さらに、そういう背景からだけではなく、人間の心の真実性の表現は、豊かだと思います。