順位や点数に収まらない美の衝撃。世界選手権の羽生結弦の忘れがたさ。【2019年上半期 フィギュア部門1位】
2019年上半期、NumberWebで人気を集めたベスト記事セレクションを発表します。フィギュア部門の第1位はこちら! (初公開日:2019年4月4日)
(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)
というタイトルと導入文で始まった上記の記事を読みました。
3月の世界フィギュアスケート選手権で2位になった羽生選手のことに触れています。
確かに私が、羽生選手の氷上の姿に魅了されるのは、技の素晴らしさというよりも、技を実践している最中に表現される美しさだと言えます。
技が技として実践されても、その競技結果には影響ないのかもしれませんが、見ている者は、技が美しさを表現している時、大きな感動を感じます。
いつも、羽生選手の競技中の姿に、その美を見ることができます。
そうです、ころんだ時にさえそうなのです。ひいき目もあるのかな‥?
実は、私としては、フィギャスケート選手の羽生結弦さん、というだけではなく、人としての羽生結弦さんに魅了されている、と思います。
リンクを離れている時の羽生さんの姿を見ていると、いつも思います。
「これほどまでに、他者に対する気遣いができる人って、見たことがない」
成人した羽生選手だから、他者への気遣いができると言う訳ではなく、ジュニアのころのあどけない表情の羽生選手を見ていても、語られる言葉は、今の羽生選手の言葉と変わらないのです。
羽生選手が、内面で捉える他者との関係性の理解が深く、そこから表現される人間性が両親やコーチ他の人たちに大切に守られた、ように思われます。
リンク上の姿、会見場の姿、自治体や企業に対応している姿、サポーターの前の姿、CM撮影時の姿‥どの姿も、とってつけた繕いの姿ではないと感じています。
そんな羽生選手が、命を懸けて滑るというのですから、おのずと生きる姿が美として表現されることでしょう。
上記の記者が書いている
「「記録」と「記憶」の意味合いをあらためて考えさせる機会でもあった」
確かに、羽生選手に限らず、これまでの大会の中で素晴らしいと感じ、深く記憶に残った多くの選手の姿があります。
各大会の結果は、忘れていますが、あの時、この時の魅了された氷上の姿が結果として残っています。
「それでいいのよ‥‥ね」
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