さて、今日も文学などという言葉を使っています。
話題にしたいのは、昭和50年に、76才で大宅壮一ノンフィクション賞と田村俊子賞を受賞した吉野せいさんです。
受賞の対象になったのが、『洟をたらした神』です。
吉野さんは、昭和45年に本格的な執筆を再開し、昭和49年に『洟をたらした神』を出版。
昭和50年には、文学賞受賞というスピードで文壇を駆け抜け、昭和52年に死去されています。
76才で文学賞を2つも受賞するという快挙に驚きました。
しかも、洟をたらした神に収められた16篇の作品は、その時々に書き溜めていたものではありませんでした。
結婚して、開墾生活に入った吉野さんの生活は、貧困と労働のに追われ、ペンをとるなどということを忘れた生活だったとのこと。
昭和45年に夫の三野混沌が亡くなり、草野心平に勧められて、執筆を始めています。
このことに一層の驚きを感じました。
何故なら、どの作品も、今、起きていること、見ていること、心に感じていることのように生々しい息づかいの表現なのです。
「何十年のときを過ぎて、こんなに精細に描写できるなんて凄いなあ・・・」
本のタイトルになった「洟をたらした神」と「梨花」の篇は、心が押しつぶされる気持ちになりました。
洟をたらした神ではノボルの描写もよかったのですが、私は、挿入されている・・・
村外れの粉挽き小屋で、一銭のコマ紐を買った息子がコマ紐を伸ばそうと臼の回転柱に紐をからみつけたけど、片手が離れて円形の中に叩きころんだ。老いぼれ牛は息子をふんずけ、幾回となく踏みつぶして、尚粉を挽き続けていた。・・・
の文章が強烈な印象でした。
「梨花」は涙が出ました。
梨花が弱って、死に向かっていく姿の描写が、同じ子どもの親として、悲しくてたまりません。
昭和57年当時、同じ社宅の主婦4人で読書グループを作り、読書会を行っていました。
メンバーの三瓶久代さんが交換ノートに感想文を書いていました。拾い読みでも出来
たらいいなあと思い、写真でアップします。
私も当時は、3人の子供がまだ幼く、子育て真っ最中。梨花の章の後ページに書きつけ
ています。
==涙がとめどもなく流れる。子どもを失う悲しみは、親としていかに深いもので
あるか‥。子どもが病むときのあの不安が、作者の梨花を見つめる不安に重なり、
胸がドキドキと痛みを増す。‥略 ==
各作品に書かれている出来事には、起きた時期が書かれています。
第1の作品は、大正十一年 春のこととなっています。
最終作品「私は百姓女」は、昭和四十九年春のことです。
まさに、吉野さんの一生を駆け巡る本と言えそうです。
書かれている描写や文体については、時代を感じさせるところがあるけれど、本来の文学といわれる表現法を、透過して余りある実力だったんだなあと思います。
😵 今日はこの辺にします。頭が痛くなりそうです。
😁 昨日、梅干しを漬けてみました。何年ぶりですか‥?
😊 ちょっと癒しには花でも見ないと
1年中咲いています、アブチロンです。
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吉野せいさんは、1975年に大宅壮一ノンフィクション賞と田村俊子賞を受賞。
1977年(78歳)で亡くなられています。
この本の初版は、1975年4月15日/弥生書房です。
増刷本は、2012年11月22日/中公文庫になります。