今日は探し物をしている私の手に、フッと落ちてきた同人誌『泥群』の話題です。
古びた同人誌を手に、私の文章が何か掲載されているだろうか?とパラパラと開くと、雑記のページに「セキセイインコ」がありました。
読んでみるとあの時々の風景が思い出されます。
この雑記をブログに転載して、皆さんに読んで欲しいなぁ‥と思い、読み進んでいると陶芸家の山本源太さんの文章に心が留まりました。
「ああ、いい文章だなぁ‥」
この同人誌は1983年・7月号として発行されています。山本源太さんは、どうされているのだろうと、インターネットで検索してみました。
福岡県八女市星野村に在住のようです。
星野焼源太窯があり、ご活躍の様子です。
この同人誌に掲載されているエッセイは、36年前に書かれたものだと思えます。陶芸に取り組まれるフレッシュな思いが籠った文章です。ネット上であれば、シェアして皆さんにお読みいただけますが、紙の本ですからそうもいきません。お叱りを受けるかもしれませんが、転載しておきたいと思います。
===泥群(第7号)1983年6月20日発行===
発行人丸山 豊 編集人塩野 実 久留米市上津町赤池
くりかえす 山本源太
いつとなく、くりかえしてつくり続けている一個のコップがある。色あいは、折々の窯でいろいろあるものの、そのうすさ、そのもろさ、口径も高さも、重さも、したがってたなごころも形もほぼ同じ。決まりきったものを飽きもせずよくつくるものだ。だれに頼まれたのでもない。特に際立って人目をひく立派な姿をしているとも思えない。そこいらにころがっておれば、それはなに気ただのコップであるにすぎない。あれば気にならないが、ないとなれば喉が渇く水の類の。コップ、コップ、コップのある生活やあい。というわけで、そのコップをつくることは、すっかりぼくの習いになってしまった。
とはいっても、ひとつのコップがいつでも慣れのように、やすやすと手先から生まれてくるわけではない。コップが土の内側から形になっておとずれる以前の、その先、ぼくは歯ぎしりをしてロクロに座っていた。許されてぼくに課せられた数は、一万個。
「一万個つくれば、まあどうにかものになるかもしれない」
師に励まされて、指し示された見本のコップは、握りしめれば、すっぽりとわけなく手の中に入ってしまうほどのかわいさ。それなのに、いざロクロをまわして、手でじぶんの形にしようとすると、土はするりと逃げてゆく。あるいは頑として動かない。不自由な土と闘って、たちまちあたりの土間や壁に、泥水と土のヌタが飛び散る。モンペも足も顔も泥だらけ。初咲きのはじめの一つをロクロから切りとったのは、ロクロに座って幾日めことだったやら。
「おまえのような無器用なヤツは他におらんわい。」
容赦なくとんでくる叱責を耐えて、その日の仕事場はふしぎに朝から静かだった。四苦八苦しながらも、じぶんではこころなしかロクロも快調のように思えた。さて、終日ロクロをまわして帰り支度をしたとき、つかつかとぼくのロクロに寄ってきた師匠は、無言のまま、ようやくその日いちにちつくったばかりの、まだ柔らかいぼくのすべて、三十個ばかりのコップを端から人差し指で一直線に圧しつぶしてしまうではないか。なぜ、なぜだ。すでにじぶんのいのちとも思えるものをむざむざとこわされて、怒りのようなものが腹の底からこみあげてきたが、すぐさまぐっとのみこんだ。
ぼくは、その時じぶんの分際をわきまえていたのだろうか。つとめて謙虚に、師匠の仕業の意味を察しようとしたのだのだろうか。じぶんの無力を痛いほど知りながら、どんな魔の力でなら師匠の腕をはらいのけることができると考えたのだろうか。二十年経った今もわからない。
むろん、只今、ただ一個のコップの、コップなりの役目について思いめぐらさないわけではない植えたばかりの背丈の低い木に、はじめてひとつ、花の素朴を見つける喜び。ましてその木の幹が、年年歳歳太く大きくなるにしたがって、無数の枝にきまってつけるおびただしい花の華麗。その花のひとつひとつが、やがて散りもしないで空の青さへ薄れていくように、そのようなじぶんのコップのゆくえをみつめてきた。それは、ふつうくりかえしが誤解されるように、単純で、退屈なだけでない意味があるのである。コップの神秘、コップ一個の新鮮さ、コップのあちら。
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😃 今日は苔玉教室の日。