emitanの心にうつりゆくもの

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平清盛 第33話

2012-08-26 22:07:54 | 平清盛
第33話 「清盛、五十の宴」

清盛(松山ケンイチ)は太政大臣に上り、長男・重盛(窪田正孝)を大納言、三男・宗盛(石黒英雄)を参議、義弟・時忠(森田剛)も参議にし、弟・頼盛(西島隆弘)を太宰大弐にして、自らは百日で職を辞した。
後白河上皇(松田翔太)の元に、3番目の皇子・以仁(柿澤勇人)とその養母・八条院子(佐藤仁美)が訪ねてくる。
子は、上皇と滋子(成海璃子)との間に生まれた皇子・憲仁親王が3歳で東宮となったのに、以仁は17歳になっても親王宣下のご沙汰もないと言ってくる。
それを聞いた滋子は、兄・時忠を呼び、平家の財力を持って憲仁親王を守り、以仁の親王宣言を阻むよう画策する。
厳島を訪れた清盛は、社司・佐伯景弘(温水洋一)に、音戸の瀬戸の開削をして大輪田泊を改修し、博多止まりだった宋の船を都近くまで入れるようにする計画を話す。
そして、その頼りとすべきものとして、「海の守り神」の社・嚴島神社の修復をしたいと申し出る。
そんな平家の台頭に、藤原摂関家で摂政・基房(細川茂樹)と右大臣・兼実(相島一之)は「武士が国作りに口を出すとは前例のなきこと。政は、有職故実に通じ、雅を解するものによってのみ行われてきたもの」と、忌々しく思っていた。
清盛が50歳になった宴に、平家一門が揃って楽しんでいたところに、基房と兼実が訪れる。
兼実は、「もとより寺院・神社といったものを造営・修復するは、王家や藤原摂関家、その他筋目正しき家柄の者たちの務め。それはひとえに、それだけの花鳥風月、雅を解する目と心ある者が行うが道理ということでござりましょう」と言う。
基房と兼実は舞を披露するが、清盛は返礼として、弟・経盛(駿河太郎)の笛に合わせて重盛と宗盛を舞わせる。
そして、兼実との和歌の勝負には、弟・忠度(ムロツヨシ)を相手にさせ、一歩も譲らない。
それでも基房は「かようなことで我らを誤魔化せると思うでない。所詮は公卿の真似事。肩を並べたなどとゆめゆめ思うでない。嚴島の社の件、断じて許さぬ」と言う。
そんな基房に、清盛は嚴島神社の修復した姿を描いた、これまでの寺社にはない画期的な絵図を見せ、「これまでの公卿方は、寺社のしつらえと申せば『上へ上へ』と上る意匠ばかりを凝らしてこられた。されど、私はこれを『横へ横へ』と広げていきとう存じまする。それが私の思い描く、国の姿にござります」と言って、何も言えなくする。
「清盛が扇子で夕日を仰ぐと、沈んでいた夕日が再び姿をあらわした」という噂話が、京のみならず東国にまで聞こえてくる中、清盛は高熱を出して倒れてしまい・・・。


というような内容でした。

今日は、ややゆったりした回でしたね。
清盛が、もはや絶対的な力を手中にしたということを見せつけた回、という感じでしょうか。
弟・子・孫も登場して。

でも、もう少しこういう場面を、各回に分散して見せた方が良いのでは?と思わなくもなかったです。
やはり平安時代は、和歌や宴や舞というものが日常茶飯事だったと思うので、いかにして弟や子らが身につけていったのかを知りたい、というか、急にピョッと出されても・・・と思ったりしてしまいました

それくらいかな・・・感想は

超個人的な感想を言えば、せっかくこの時代の代表的歌人・西行が登場人物にいて、「清盛の友人」という設定にしているのだから、50歳の宴に西行がいてもいいんじゃないかな~と(笑)
まぁ「清盛の弟や子が、しっかりと貴族の教養も身につけていた」ということを際立たせるためには、平家一族以外のキャストを少なくする必要があったのでしょうけどね。
となると、先ほども書いたけど「その教養は、どうやって身につけたのか?」が、私は気になってしまうのですけど・・・。


来週の日曜は大事な用事があり、この大河ドラマをリアルタイムで観ることができません。
感想を書くのは、4日(火)以降になると思います。
申し訳ありませんが、よろしくお願いします!

_______________

西行様は、今のところ第39話は登場するようですね~。
まだ1か月以上ありますが

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