のんびりまったり春日部ライフ

お習字教室の先生のブログですが、日々の暮らしを綴っていきたいと思います。

家族の闇

2018年10月12日 | 日記
初めに書いておきますが、今日は内容がブラックです。




うちの家族の人たちは、感情のコントロールが、どうも上手く出来ないようです。

毎日、不機嫌MAXで帰宅します。

その日、何があって何にイラついているのかは分かりませんが、とにかくご機嫌さんで帰宅する事は滅多にありません。


家で待つ母であり嫁の私は、受け止めなければなりません。
私にも嫌なことがある日も勿論あるけど、「お母さんの機嫌が悪そうだから何か手伝っておこうか」みたいなドラマでありがちなシチュエーションも全く有り得ません。

みな、自分のことで精一杯ですから帰宅してからも、家族に気を遣うなど考えもしていないのだと思います。

私も子供の頃はそうでした。
ただ・・・母が、私が中学生の頃に大きな病気をしてからは、自分の苛立ちなどは帰宅途中に消化して元気いっぱいで帰って、少しでも母に気を遣わせないようにしていた記憶があります。


家族誰か1人にに何かあれば、お互いが少しでも思いやり、毎日を平穏に過ごそうと思うかも知れません。
でもそれは、またその誰かが自分の感情を押し殺して我慢するという事なのかも知れません。

まさに家族の闇。

外からは見えない、家族の小さな闇。

その事を、思春期の自分が体験し学び、人より早く大人にならねばならなかったからこそ、今の生活にそれが活かされているとも思うのです。

毎日、不機嫌な夫や子供たちを笑顔で迎え、火に油を注がないように静観して、話したそうな素振りを見せたら耳を傾け聴く。


そんな私の小さな努力で日々の暮らしが保っているとすら思えるのです。


母親がいつも元気で、明るく照らす太陽のような家庭が理想とされるなら、母というものは、きっとこの世で1番のブラック企業に永久就職したのと同じ事だと思います。

子供がいなくても、同じことです。夫のためにいつでも完璧な家事をこなし、何時に帰っても暖かい食事を用意し、余計なお世話はせず、夫の思い通りの妻など、幻想でしかないと思うのです。


人は多分、わがままな生き物です。
自分さえ良ければそれで満足なのかも知れません。
私もそうです。だから、家族の変化に自分の心を掻き乱されるのがしんどいのです。

家族のために自分を犠牲にするという生き方は、もはや今の平成の時代では通用しないから離婚率も上がる訳です。



私は、こう考えるようにしています。


家族は、自分を成長させてくれるためにあるのだと。
常に試されているのだと。


神様から与えられた試練だと・・・。初めから決められていた試練だと思わなくては、やってられません。
うちの家族たちは、どんなに不機嫌で感情を剥き出しにして当たり散らしても、受け止めて許してくれる人がいるから安心していられるのだと、思うようにしています。



でも今日は、結構しんどい案件が重なり、かなりへこんでしまい、ついついブログにまで書いてしまいましたが、これもきっと更年期のせいです!


心身が若くて健康なら問題なく受け流せることも、更年期真っ最中の私にとってはそう出来ずに、まともに喰らってしまったのだと思います。

今までなら受け流せたことに、ちょっと引っかかってしまい、「なんで私ばっかり・・・」と思考回路が混線して、深い深い闇の泥沼に引きずり込まれてしまったようです。

きっと更年期のせい。

こんな夜は、とことん飲んでぐっすり寝るだけだす。
もう、たっぷり飲んだし、思いの丈は書いたし、明日からまた元気で明るく家族のために働くのみです。


私と同じ思いの人もいるかな^^;

頑張ろ!

頑張ろう!

寝ます。

コメント
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