[写真は挿絵代わりのオマケ]
<はじめに>
今回も ざれごとを無責任に投稿したいと思う。
前回のざれごとでは多元宇宙=パラレルワールドは存在するか?について投稿した。
そのときの最後の方の文章で『消えたり同時に二か所に存在する素粒子』について投稿してみたいとした。
でも今回は「現在は未来からの投影」という戯言に避けては通れない「時間」を題材にしてみたい。
今回は概念・直感的時間・物理学的時間・エントロピーとの関連について記してみる。
<本文>
<概念としての時間>
時計が刻む、カレンダーにスケジュールを書き込む。
何時何分何秒と時間刻みに予定を立てて生活する人間。
北半球の中緯度(30°から60°などの)では多くの国や地域で12月末に寒い年末を迎え1月に新年を迎える。
仮に時間が人間が決めた便宜上の概念だとしても実際に地球は太陽の周りをまわって中緯度では寒くなったり暖かくなったり。
春に種をまけば初夏には芽吹いて夏から秋にかけて(種類によっては冬でも)花が咲く。
時間を知って時間に合わせて人間の営みは過去から現在、そして未来へと進んでいく。
<直感的な時間>
人に限らず生物のほとんどは生まれて成長し年老いて死を迎える。
(例外としてベニクラゲのような一部の生物は事故的要因がない限り不老不死)
この流れを感じる限り、確実に時間は存在している。
<物理学的時間>
20世紀の天才アインシュタイン博士は私たちがいるこの宇宙を説明するときに
「時間と空間は織物のような存在」
とした。
さらに
「同時が同時ではない」
とも言った。
例えば冬の代表的な星座で今の日本で夜8時ごろに東の空に現れるオリオン座。
そのオリオン座の鼓をかたどる一角を担う星に赤く光るベテルギウスがある。
この星は地球から640光年ほど離れた場所にある。
今見える光は640年前の光りと言うことになる。
この星は太陽よりも大きな星の最後である超新星爆発が近いともいわれている。
もしかすると600年前に超新星爆発を迎えているかもしれない。
そして今現在、この星は存在していないかもしれない。
そう仮定しても地球にいる限り600年後(西暦2619年)でないとベテルギウスの超新星爆発を知ることができない。
同時が同時ではないとはそういう意味になる。
そしてこの理論からすると現在の光りは過去からの投影と言うことになる。
<関連記事>
ウィキペディア ベテルギウス
「エントロピー増大の法則」という言葉がある。
物理学的言葉で荒っぽく解説すると。
「お湯は何もしないで放置するとどんどん冷めてやがて室温になる」
そして
「さめた水がお湯に戻ることはない」
少し面倒くさく表現すると
『閉鎖系における秩序は無秩序へと向かう』
これは
「お湯に熱を加えるなど外部からエネルギーを与える(これを開放系)ことがないと冷めて水になる」
と言うことになる。
もう一つ例えると、
「生物は食べて呼吸をするなど代謝をして(開放系)生命を維持する」
「生物は死ぬと(閉鎖系)その体を維持することができず土にかえる」
生きているときは細胞を維持(秩序を保つことが)できても死ぬと細胞を維持できない(無秩序へと向かう)
熱を加えないお湯や死んだ生物は無秩序へとむかうことを意味する。
このエントロピーが増大している状態が現在観測している宇宙であるため時間が存在していると物理学者の多くが思っている。
次回では時間が進む方向について投稿してみたい。
【最後まで戯言にお付き合い頂きありがとうございます】
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